旅立つ日

それからは忙しかった。

お昼を食べてすぐに外出した俺達はショッピングモールで右往左往することになった。


『夕方に迎えにくっからー!一式揃えとけー!』


俺はソファに荷物を置いて、ぐったりと座り込んだ。

ピンク髪を振り回して言い残すや否や、颯爽といなくなった姿を思い出す。



符術の力が分かった以上、2人はすぐに保護されることになった。

もう家に戻れない、と言われた兄と妹の反応はとても薄情で。


服も日用品も置いてきてしまったから、みんなで買いに行こうとなって今に至る。


姉貴はというと、私服に着替えてから俺たちについてきて、佳奈美ちゃんと向かいの店を見ていた。



「はあ…」



隣で桾沢が重いため息をつく。



「疲れたな…」

「佳奈美はなんであんな元気なんだよ…」

「女ってすごいよな」

「おう…」



沈黙。

時折俺と桾沢に生まれるそれは、前とは違う雰囲気を纏っていた。

ほんの数日前はただのクラスメイトだったのに、昨日の一夜ですべてが変わったようで。

きっとその不思議な感覚は桾沢が一番感じているんだろう。


…そういえば。



「あのさ」

「んだよ」

「前に、『良い人間に囲まれてヘラヘラしてるヤツが嫌い』って言っただろ」

「…ああ、確か言ったな」



それが?とでも言いたげな目で桾沢が俺を見てきた。

そして腕を広げて背もたれに大きく寄り掛かった悪い態度のまま、足首を反対の膝に乗せて上下に動かす。



「俺は、嫌いじゃない」

「…ふーん、何でだよ」

「姉貴が、そうであってほしいと、思うから」



はあ?と大きな声で桾沢は俺に言った。

理解できないとばかりに足をしきりに上下させる。



「姉貴は、俺と血のつながりはないんだ、家族の誰とも繋がってない」

「…は?」



その動きは、ぴたりと止んだ。



「引き取られてきたんだ、小さい頃」

「…親に何かあったのかよ?」

「知らない。引き取られてきたときは、すごく暗くて元気がなかった」



でも俺の親に可愛がられて、俺とたくさん遊んで、愛されて。

やっと今みたいにニコニコと笑ってくれるようになった。



「そういうヤツもいる。だからヘラヘラしているヤツがみんなイラつく人間とは思えない。

 姉貴に関しては、ずっとヘラヘラしててほしいと思うくらいだし」



脳裏にちらつく『あなたは、だあれ?』の声。

姉貴の能力の代償。


あんな目に遭うくらいなら、いっそずっとバカみたいに笑っていてくれ。

俺はそう願うことしかできないけれど。




「それに、俺は、別にそういう恵まれた人間じゃない」

「…ふーん、そうは見えねえけどな」

「見えてないだけ、だと思う」



再度沈黙。

続きを促されたように感じて、俺は目を合わせずに口を開いた。




「俺の兄貴、昔から暴力的で俺や親父がよく殴られてた」

「…」

「口も悪いし、突然殴ってくるし、学校でもよく事件を起こしてた」



曰く、『ムカついたから』。

表情筋が死んでるのに沸点が低いし、すぐに手が出るし、強いから余計に質が悪い。



「今は結婚して家を出たけど、今はDVが原因で離婚調停中」

「…意外だな」

「実家に帰ってくることはないと思うから、今となっては平和だけど」

「何で帰ってこねえんだよ?」

「姉貴に潰されるから」



何故かわからないけど、姉貴は兄貴の背後からの攻撃でさえ避ける。

自分は手を出さず延々と避け続け、力尽きた兄貴に一言『もう終わり?』と言うのがいつもの流れだ。

自分の妹に毎回そうやって屈辱を味わされ続けた結果、近寄らなくなった。


ちなみに、殴り返せばいいのにって言ったみたら嫌だよと返されたっけ。


『大切な家族には傷つけたくないし、傷つけさせたくないから』




「………お前の姉貴は化け物か」

「俺はメスゴリラって呼んでる」

「ぶっ…!め、メスゴリラ…っくくくくく…!!」



桾沢は楽しそうに膝を叩いた。

いつもの仲間たちと見せるものではない純粋な顔だった。

ああ、やっぱり同級生なんだな、なんて思う。



「ひー!まっじでおもしれえ!」

「そんなに笑うか?」

「笑うだろ!最高だろ!」



……ま、ずっと強張ってた顔がようやく緩んだわけだし、いっか。

ひとしきり笑ったクラスメイトは、涙をぬぐって俺を見た。




「ありがとうな」

「ん?」



いや、さ。

桾沢は頭をかいて、少し緊張した顔で言った。



「お前のおかげで、俺も佳奈美も助かったんだ」

「…別に、姉貴のおかげだろ」

「違ぇよ、お前の姉貴のおかげだけじゃねえ」



そう言うと、桾沢は勢いよく俺に頭を下げた。



「お前が昨日、俺たちの『居場所』はここじゃねえって言ったおかげで知ったんだ。

 俺たちには『本当の居場所』があるんだ、って」

「…そんな、そこまで感謝することじゃないだろ」

「感謝することなんだよ、俺も佳奈美も」

「…そうかよ」



顔を上げて俺を見る目は、今までで一番輝いていた。



「…お前と話せてよかった。案外いいやつなんだな、お前」

「別に…」



やがて、買い物を終えて姉貴と佳奈美ちゃんがこちらに歩いてきた。

楽しそうに手を繋いで振りながら、何やら歌を歌っている。


隣からぼそりと声が聞こえた。



「これで、安心してへ行ける」



ちくり。


それは、俺とこの兄妹との最後の会話だった。


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