世界の隔たりのその隅で

桾沢兄妹の件から、しばらく経った。


特殊治安局に引き取られてからすぐ、桾沢は学校に顔を出すことなく転校となり、校内中が噂であふれた。



ついに退学させられたんじゃないか、とか。

傷害事件を起こして捕まった、とか。

少年院に入った、とか。



どれもこれも後ろ向きで適当なことばかりの内容だった。




「桾沢くん、どうしたんだろうね」



理科室での授業が終わり、教科書をまとめていると優希が声をかけてくる。

さあ、とだけ返すと、察しのいい幼馴染は声を小さくした。



「もしかして、この前のと関わってる?もしかしてあれって…」

「俺達が気にすることじゃないよ。

 少なくとも、悪いことにはなってないと思う」

「そっか…」



優希はあれからこの話題を持ち出すことはなかった。





俺は今日も変わらず河川敷を通って家路を急ぐ。


ふいに桾沢を思い出して川の傍を見てしまうけれど、そこにはもう雪が積もるだけ。



あいつは、今何をしているんだろう。


佳奈美ちゃんは、ちゃんと食べているだろうか。


2人は笑って生きているんだろうか。



姉貴に聞きたいけど、俺は未だに聞けていない。

この世界の向こうの人たちがどうなろうと関係ないだろ、って言われてしまうのが怖くて。




「…はあ」




ため息は白いもやとなって、一瞬でこの世界に消えていった。



――――――――――――――――――



「おかえり、伸太朗」

「…え?」



家に帰ると姉貴が玄関に姿を現した。

ニコニコといつもの笑顔で。



白い軍服を脱いでないところを見ると、帰ってきたばかりみたいだ。

鼻のてっぺんが赤くなっている。



「今日も寒いね、早く早く」

「え、ちょ、待って」



マフラーとコートを剥がされた俺は、あっという間にリビングの炬燵へ連れていかれた。



「今日姉貴が帰ってくる日だったっけ?」

「ううん、ついさっき連絡があったのよ」



俺は連行されながら事情を聞こうと試みたけれど、母さんは笑うだけだった。

突然だったとしても、なかなか帰ってこない娘に会えて嬉しいんだろう。




「さ、伸太朗も帰ってきたし、食べましょ。今日は豆乳鍋よ~」

「おお~いいねえ母さん」



父さんがいつもより元気な声を響かせる。

隣の姉貴を見ると、何も言わず微笑むだけだった。



「「「「「いただきます」」」」」




――――――――――――――――――――




「桾沢くんと佳奈美ちゃんのことだけど」



ご飯を食べ終わって各々リラックスして過ごしていると、洗い物の手伝いを終えた姉貴が炬燵に戻ってきた。


ばあちゃんと母さんはキッチンで片付けをしている、父さんはお風呂に入っている。

そんな家庭のよくある暖かい風景の中で、俺の身体は一瞬で冷たくなり、鼓動は激しくなっていた。




「…な、なんだよ」



ずっと心にひっかかっていたことが、姉貴によっていとも簡単に抉られた。

なるべく表情を変えずに向かいの黒い瞳を見ると、ふふふと笑われる。



「2人とも施設に入ることになったよ」

「…施設?」



施設ってなんだ。

ちゃんと生活できてるってことか?

いつの間にか睨んでいたらしい俺に、姉貴はああ、ごめんねと両手を振った。



「怪しいところじゃないんだよ?うーん、寮みたいなものかな。

 私も学生の頃は施設から通っていたんだよ」

「ふーん、それならいいけど」

「特殊技術専門学校ってところで符術の使い方を学ぶことになってね、佳奈美ちゃんは初等部、桾沢くんは高等部に編入したんだって。

 佳奈美ちゃんはもうお友達ができたって喜んでた」




無事で、よかった。


抉られた傷があっという間に暖かいものに包まれて治っていくような感覚がした。




「伸太朗、優しくなったね」

「え?」

「符術の力は正直とても危ないものだけれど、伸太朗はそれでもお友達を助けようと一生懸命だった。今だってこうして心配してる」

「……別に」

「前の伸太朗は他人に興味がなかったでしょ、だから優希ちゃんくらいしか仲いい友達いなかったじゃない」

「うるさい、符術に関わってたから気になっただけだし」

「へぇそう」



誰のせいでこうなったと思ってるんだよ。

俺は姉貴から視線を逸らした。




桾沢も、佳奈美ちゃんも笑って生きている。

それなら、いい。


もう少し違う出会い方だったら、

もっとたくさん話して、

ずっと仲良くなれたのに。



なんて、ほんのちょっとの寂しさはある。



でも、無事ならそれでいいんだ。



「…姉貴も」



あいつらみたいに、いなくなるなよ。



「ん?」

「…なんでもない」



そんなこと、言えなかった。





「ああ、そういえば!」



少し間を置いて姉貴はニコニコと俺に告げる。

それは俺の知る『世界』をひっくり返す、耳を疑うことだった。



―――――――――――――――




「よお!伸太朗!!」

「…は?え?…はあ!?」



翌日、俺の前には信じられない光景が広がっていた。

見れなくて残念、とか言ってくすくす笑いながら出ていった姉貴の顔が憎たらしく蘇る。


登校中の俺の肩にガッと腕を回して絡んできたのは―――――桾沢だった。



「お前、なんで、ここに」

「いやあな~お前の姉貴にちょーっと助けてもらってよー!」



助けてもらった?姉貴に?

桾沢は前よりずっと明るい顔で俺に語って聞かせた。



「佳奈美より俺は符術ってやつの力が弱いから、扱い方さえ覚えればこっちに住んでもいいんだってよ!

 今日は特別に数時間だけ許可もらったんだけどよ、申請ってやつをすればいつでも来れるんだぜー」





『符術が使えるからこっちの世界で生きていけない、なんてことはないのよ、実は』



姉貴の言葉を思い出した。



「…そう、なのかよ」

「だから俺さえ頑張ればいつでもダチに会えるってことだ」

「…へえ、よかったな」

「おいおいなんだよその反応、もうちょっと嬉しくしろよ!」



いや、俺別にお前のこと友達とは…。



「今度はちゃんと時間とって会いにくる。

 そんときはツラ貸せよ!伸太朗!」

「………」




前まで絡んでたヤツらといた時は全然見せなかった人懐っこい桾沢の顔。

俺はもやもやを吹っ飛ばすように頭をぐしゃぐしゃにかいた。




「~~~ったく!わかったよ!

 ちゃんと修行しろよ、龍輝!!」



おう!と言って去っていくあいつの顔は晴れやかだった。




『姉貴の生きる世界』は、関わることは許されない。

『俺の生きる世界』は、符術を使う人間にはあまりにも生きづらい世界だ。



大きな壁だと思っていたそれは、案外そうでもないかもしれない。



世界の隔たりのその隅で。

俺は再会を楽しみに『向こう』へ消えていく友達を見送った。




なあ姉貴。

いつか、俺にもそっちの世界のこと、教えてよ。

何もできないけどさ。

俺たち家族なんだからさ。

俺にも、姉貴を『大切に』させてくれよ。


そんなことを、思って。

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