手を差し出せるなら

その後。

家に帰るふりをして、優希がちゃんと家に入ったのを見送った俺は、自分の家に帰らず元来た道を辿っていた。



あの炎、符術だ。



俺はああいう力を目の当たりにしたのはほとんどない。

姉貴は符術を使えないし、唯一使えるばあちゃんも蛍と遊ぶくらい。

だけどなんとなくわかったのは薄まった先祖の血ってやつなのか?

よく知らないけど。



真っ暗で不気味な河川敷を早足で歩く。

僅かに息を上げながら俺は考えを巡らせていた。



火事。

桾沢の母親は火事で亡くなったと言っていた。

何となく記事を調べたら、気になる内容が書かれていたことを思い出す。


『室内から出火と思われるが、原因不明』


もしその出火原因が、『炎の符術』であったなら。

肝が冷える。

とてつもなく嫌な予感がする。



『吉川家はねえ』


のんびりしたばあちゃんの声が頭に響いた。


『昔っから符術は下手だし、家を大きくしようなんて野望もなくて、家族が幸せならそれでいいって人たちばっかりでねえ。

 でもね、だけは良いのよ。


 あなたは符術を使えないけれど、そのだけは大切になさいね。

 きっと本当に大切なことに気づけるわ』



気づいたら俺は全速力で走っていた。



あの日。

姉貴がいなくなったあの日。

きっと姉貴は、符術に関わる『何か』があったんだと思う。

もしそれが正しいなら、今でも俺は何にもしてやれなかっただろう。


それはたぶん、符術を使う『あっちの世界』で起きたから。


でも、今は?

桾沢はまだ『こっちの世界』にいる。




「見て見ぬふりなんてできるかよ…!」



『伸太朗!』

姉貴の笑顔が浮かんだ。



桾沢は今、かなり動揺しているはずだ。

自分から得体のしれない火が出たんだ。恐ろしいに決まっている。


その状態で自分の妹に、暴力をふるう親に会ったら、きっと…!





「はあ、はあ…はあ…」



白い息が出ては消えていく。

俺は古びたアパートの前に立っていた。

母さんに、この辺に家があるらしいって聞いたことがある。


息を整えながら煌々とする窓に映る人影を探して回った。

もし父親が暴力をふるっていたら、外から見ても影でわからないか…!?



「てめえ!!何すんだよ!!」


目を凝らしている俺の耳に、怒号が響いた。




―――――――――――――――――




アパートの下から2つ目、右から3つ目。

子供の泣き声を辿って怪しい部屋を見つけた。


ガシャン、と物が割れる音、倒れる音。

その音を聞くたびに俺の鼓動は早くなっていく。



「お、おい…やめろ!!」

「なんだよ!!これ!!」

「やだ、やだああああ!」



きっとここだ、ここが桾沢の家だ。

そして何かが起こっている。

俺のがそう言っている気がする、信じてみたい、信じたい!


冷たい空気を大きく吸った。



「桾沢!! 桾沢!!!」



近所迷惑なんか気にしてられるか!

俺は外から声を張り上げた。



「外だ!桾沢!!」



届いてくれ、頼むから。



「窓を開けろ!桾沢ぁぁ!!」



バタンと激しい音がして、窓が開いた。




―――――――――――――――――



「な!? 吉川!?なんでてめえが!?」

「おい!その手…!」



こ、これは…!と動揺した顔で桾沢はベランダに現われた。

その手はさっきよりも大きく燃え、近くの物を焦がし始めている。


まずい、このままじゃまた火事になる!



「こっちに来い!そのままじゃ危ねぇだろ!」

「はあ!?いや、でも…」


「何してんだ龍輝!!」

「いやあ!お父さん、やめてよ…!」



突然小太りの男が桾沢を後ろから羽交い絞めにした。

おそらくこいつが桾沢の父親なんだろう。

整えられていない長い髪を振り回して、桾沢を部屋へ連れ込もうとする。


「うるせえ!」

「きゃあ!」

「佳奈美!」

「佳奈美ちゃん!」


父親を止めようとした佳奈美ちゃんが弾き飛ばされた。

俺は思わず2階へ手を伸ばす。



「佳奈美ちゃん!!こっちへ来い!」

「吉川!?」

「お前も来い!!」

「何言って…」


「お前らは、このままじゃだめなんだよ!

 お前らの居場所は、『ここ』じゃない!!」



符術の力を持つ人間は、『こっちの世界』では生きていけない。

この兄妹が生きるには、この世界は辛すぎる。



俺はそのことを知っている。

だからこいつらを助けてやれるのは俺だけなんだ!



「信じてくれ、俺を!」



俺の言葉に最初に反応してくれたのは、小さな影だった。


「…っおい!佳奈美!」

「佳奈美、てめえ…戻れ…!クソガキ…!」


佳奈美ちゃんはベランダを超えようとよじ登り始めた。

俺は受け止めるべく真下へ走り出す。



止めようと手を伸ばす父親を羽交い絞めしたのは―――――桾沢だった。



「行け、行け!佳奈美!」

「…!うん!!」


やがてベランダを超えた佳奈美ちゃんは、俺に向かって頷く。

俺は手を広げて衝撃を待った。


「ぐっ…!!」


尻もちはついたが、俺は飛び降りた佳奈美ちゃんを無事にキャッチできた。

じんじんと身体に痛みが走る。


「いって…!」

「おにいちゃん…だいじょうぶ?」

「だ、大丈夫、このくらい…」



「おい!信じろとか言った癖にへばってんじゃねえよ!!」



どすっと地面に衝撃があり、立ち上がった俺の目の前には桾沢がいた。

父親を跳ねのけ自力で降りてきたようだ。

その手にあった炎はいつの間にか消えていた。


「佳奈美!大丈夫か!」

「うん、平気!」


「くそっ…てめえらああ!!」


桾沢兄妹の父親は咆哮を上げたのち部屋の中に入っていった。


「おい!追いかけてくんぞ!どうすんだよ!」

「佳奈美ちゃんを持っててくれ!走るぞ!ついてこい!!」

「おう!」


父親が下りて後を追ってくる前に、俺たちは夜の街へ走り出した。

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