第2話
左手に旅行カバンとコンビニ弁当、右手に大分土産と畑土産を提げ、背中にひでちゃんのお見送りを背負いつつわたしは再び帰路に着いた。
野菜はもちろん実家に半分お裾分け。わたしも兄も独立し、父も単身赴任をしているため、母は実家で一人暮らしをしている。2人で食べるには少々過多な気もするが、最近は野菜も高いので家計は助かるしありがたい。
栗どら焼きが冬野菜に変わった事を話すと、母は不貞腐れながらもひでちゃんの話を面白がった。
ひと月半後、ひでちゃんちへ再訪した。玄関で出迎えてくれたひでちゃんと少しばかりの世間話をしたのち隣の畑へと連れて行かれ、例によって冬野菜たちを持たされて帰った。
もしかしたら、前回のあの女の子だと認識されていなかったのかもしれない。
その次はもう少しスパンを短くしてみた。ひでちゃんはきゃらきゃらと笑ってわたしを家へと招き入れてくれた。
それからは月に1度、ひでちゃんの家へ顔を出すようになった。
実家を出て一人暮らし、といえど住んでいるのは2駅先なので大した距離ではない。ついでに実家の様子も見て帰れるし。
ひでちゃんの家は老後生活用に建てた平屋で、カウンターキッチンと合わせて25畳ほどのリビングと、6畳の和室がふたつあるのみ。すでに伴侶を亡くし、一人暮らしになって6年は経つようだ。
以前見かけた車の来訪者はやはり息子さんで、時折顔を出してくれるという。
「孫がおらんけぇね。嫁のひとりでも貰ってくれりゃ良かったが、もう駄目じゃろうねぇ。あの子は内気やから……」
そう言うひでちゃんはいつも少し寂しそうだ。一人息子は内気なため婚期を逃し孫はおらず、畑仕事の最中に隣畑の持ち主に会えば世間話をするのが楽しみなことを、わたしはこれでもかとひでちゃんに言って聞かされた。
ひとりで暮らすには広い家だ。いくら野菜が立派に育っても、その成果を褒め合い、美味しさを共有する相手ももういない。
ひでちゃんが出してくれるお茶、湯呑みは決まって紺と白の縞模様。向かいに座るひでちゃんの手には、桃と白の色違いの湯呑み。夫婦で揃えたのだろうか。
その湯呑みが、いつしかグラスへと変わった。
あられ入りの緑茶は麦茶に。溶けかけの氷が居住まいを正して茶の水面を揺らす。
相変わらずひでちゃんは内気な息子のせいで孫ができないことを嘆きながら、さくらやの酒最中の包みで鶴を折る。
酒最中は「向かいのババからもらった」、お中元のお裾分けらしい。
「わたしは好きじゃないんじゃけどね、死んだお父さんが好きだったんよ。お酒は弱かったんじゃがどうも飲みたがるけぇ、わたしがこれでも食べときって言うたら自分でも買うて食べよったねぇ」
目を細めて笑うひでちゃんの目線の先、簡易仏壇の遺影の前には酒最中がみっつ、供えられていた。
遺影のご主人は、にかっと笑ったその口から見える銀歯が印象的な、焼けた肌に白髪の映えるご老人だった。生前はよく一緒に温泉旅行へ行ったのだとか。
「わたしも旅行好きなんですよ。前に大分の栗どら焼きあげたの覚えてる?」
「大分はねぇ、日田がよかったね。湯布院もええが人が多いじゃろ。豆田町のがゆっくりできるわ。あそこで食べたおはぎが美味しかってねぇ」
ひでちゃんはよく、いや殆どのやり取りで、わたしと話しながらもわたしという存在を素通りしていく。わたしを媒介に、在りし日へと帰っているような、今ここにはいない誰かと向かい合っているような。
それはそれで、わたしがひでちゃんに会いに来ることに意味がある気がした。ひでちゃんが頭の中に仕舞っている思い出を言葉にして目の前に広げることで、少しでも懐かしさに安らぎを得るなら。
それに人と会話することで何かを考えたり思い出したりすることは、呆け防止にも繋がると聞く。
汗ばんだグラスの中で、再び氷がからん、と鳴る。
「しかし今日も暑いねぇ。ここのとこ暑うてしんどうてやれんわ」
クーラーが苦手というひでちゃんは、扇風機2台をフル稼働させてこの季節を乗り切るつもりだ。しかし例年の平均を上回る最高気温を打ち出し続けている今夏、もちろんそれで追いつくはずもなく、折り畳んだ地図をうちわ代わりに首元を仰いでいる。
ご主人との温泉旅行の名残か、たくさんの印がついたその地図は、うちわという想定外の役目を負わされ過ぎたせいでくたくたになってしまっている。
一応クーラーはリビングと寝室にあるので使うように、と息子さんからもお達しがあったようだが、長年扇風機で夏に打ち勝ってきた実績がひでちゃんを強気にさせている。
その日の帰り際、ひでちゃんは離れの方の畑へ行くと言い、一緒に家を出た。そして当然のようにわたしを畑へ案内する。
10本ほど植えられたトマトの株に真っ赤な実がいくつか生り始めていた。
「ちょっと持って帰りんちゃい。桃太郎トマトじゃけぇ美味しいんよ」
言いながら水を撒くひでちゃんのホース捌きはなかなか大胆で、根元を越えてトマトにも水が飛び散っている。――なるほど尻腐れした実が多いわけだ。納得しつつ、お言葉に甘えて4つ頂戴した。
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