あなたにあげる
雨森 無花
第1話
わたしの実家は坂の上にある。
正確には、長いこと登らせたくせにその後短くも急傾斜な坂を下らせた先にある。だったらもっと緩やかに真っ直ぐ繋いでくれ、と思うが仕方ない。実家の前とこの登り坂が繋がる以前は、もっと迂回して帰らなければいけなかったから、まだマシになった方だ。
思い立って大分まで2泊3日の弾丸旅行。誘う友達がいなければ、思い出話を渡す友達もいないが、良い娘ぶって母親へお土産を買っておいた。
人から頼られることを生きる原動力としている我が母は、もう若くないというのにほぼ毎日働いている。熱心なことに休みの日まで殆ど献上して、片道2時間の職場へと車を走らせる。
おかげでどこにも行けない彼女へ、こうして旅行の度に何かしらを買って帰るようにしている。
実家の最寄り駅へ着いた頃には時刻は14時を回っていた。勿論母は仕事で不在、どうせ食べるものも無いだろうからコンビニで弁当を求む。小さな旅行カバン、土産物屋の紙袋、傾けられないコンビニ袋。手一杯で登る実家までの道のりは、冬だというのにじんわりと身体を火照らせる。
住宅街を下から上へと縦断する坂の途中、1軒の家の前で車を見送る老婆がいた。
息子だろうか、男性が運転席に乗り込むまで、何やら声をかけ続けている。すぐに車は走り出し、老婆はそれに手を振り送っていた。
年末の帰省にはまだ早いが、親の歳を気にして様子でも見に来たのだろうか。過疎化するほどでは無いものの田舎な町だから、高齢者の一人暮らしも珍しくはないし、特に気に留める訳でもなく通り過ぎようとした。
「頑張って登らんとねぇ」
息子(推定)の車は坂下で国道に合流しようとしている。そこまで見守るつもりは無いのか、老婆はえっちらおっちら勾配と戦うわたしに笑いかけていた。
「はぁ、頑張りますぅ」
意外と疲れていたようで、深い息と共に情けなく語尾が伸びる。
「わたしもねぇ、時々向こうの畑へ行くときゃ苦労するんよ」
老婆は家の後ろに連なるいくつかの畑達のどこかを指さしてみせた。家庭で消費する程度の作物は育てられそうな畑が、20枚ほど広がっている。
確か向かいの幼馴染みのおじいちゃんおばあちゃんが、あのうちのどこかで野菜をお世話していたはずだ。どこか忘れたけど。
「坂がキツいから大変ですね」
「道具やら荷物やら持っていくじゃろう。車押していくんじゃけどねぇ、はぁえらいんよ」
「せっかく育ててるから、放っとく訳にもいきませんもんね」
老婆は見た感じ70~80代くらい。とはいえ皺が入り始めたら人間皆似たようなものと思っているので、正直よく分からない。
しかし頭はすっかり白灰色に染まり、背中も曲がり気味の彼女がひとりで坂を登って菜園を管理しているのなら、それなりに苦労するだろう。
「あなた白菜食べる?」
「え」
「今なら葱もあるわぁ。こっちよ」
訊いておきながら彼女はわたしの返事など大したことではないらしい。家より一段下の畑へと入っていく(畑は向こう、ではなかったのか)。
えーっと。
お腹空いてたからすぐ食べるつもりで、コンビニ弁当温めて貰ったんだけどなぁ。レジでチンをお願いすると少し熱いくらいだから、実家に着く頃には丁度食べやすい温度になっているだろうと計算していたのだけど。人生は思い通りにいかないと、昔の偉い人はよく言ったものだ。
ふぅむ…。
こっちよ、と誘導したわりにわたしが着いて来ているかどうかも大した問題ではないらしい老婆は、もう畑の畝を覗いて野菜の選別を始めている。
既に両手は塞がっているがお断りするのも気が引けて、わたしも畑へとお邪魔することにした。
植わっているのは白菜、長葱、ほうれん草。
「ほうれん草も小さいけど食べられるねぇ。葱はお鍋にしたら美味しいけぇ」
そう言いながら力任せに長葱を引き抜く老婆。手伝おうにも荷物を置ける場所もなく、ハラハラと見守っているうちに1本、2本…と葱を収穫していく。3本、4本、5本……。5本? ちょっと多いけれど、ついでに自分のも採っていくつもりなのかしら。
「見て、こんな所にもほうれん草が……種が飛んだんじゃねぇ」
きゃららと笑いながら老婆が指す先、畑と畑を区切る畦道の裾にもほうれん草がへばりつくように生えている。
「本当だ。いっぱい飛んでますねぇ」
「向こうの畑ではほうれん草はやっとらんのんよ。あっちまで行くのは坂がキツくてねぇ」
「毎日行かれるんですか?」
「白菜は1株ええかね」
「あ、はい。ありがとうございます」
そもそも白菜1株を抱えられるかも謎ですけど。
老婆は葱を傍らに下ろし、まるで体当たりをするかのように白菜を抱きかかえてへし折ろうとする。……白菜より先に、腰が砕けてしまわないかしら。
わたしの心配を他所に見事、白菜相手に白星を上げた老婆はよっこいしょと立ち上がる。
「泥は後で洗おうねぇ。周りの葉もちょっと落としてあげるけぇ」
続きましてはほうれん草。見て、種が飛んでこんな所にも、と畦道のほうれん草を笑いながら、畝を漁る。
結果。白菜1株、長葱5本、ほうれん草8株。
家のガレージに戻り、新聞を敷いた上にそれらを並べる。
老婆は勝手口の横の水道からホースを引っ張ってきて、収穫した野菜たちの泥をざばざばと洗って落としてくれた。
いつもここで作業しているのか、水道の近くにはプラスチックの薄いまな板と錆びかけた包丁、それから小さな桶が用意してあった。
老婆は桶をひっくり返してそこに座り、ずばん! と包丁で白菜の根元へ一太刀。切った、というより圧で押した、という感じ。外の葉何枚かを剥ぎ取り、中に付いていた土をまた洗う。
なんと本日の収穫のうち、彼女自身の取り分はほうれん草2株のみだったらしく、あとは全て新聞で巻きビニール袋に入れてくれた。なかなかの重量である。これを提げて残り半分はある坂道を帰るのかと思うと途方に暮れそうになるが、見ず知らずの通り縋りの小娘に、よくここまで親切にしてくれることだと感心する。少し申し訳ないくらいだ。
ちらり、とお土産袋を見やる。あの中には大分のご飯屋さんの大将がおすすめしてくれた老舗和菓子屋さんの栗どら焼きと外郎が入っている。母に事前にメールした時、栗どら焼きを大層楽しみにしていた。外郎は笹の葉で包まれた6個入り。
ふぅむむ……。
少々悩んでお礼に栗どら焼きを差し出すと、彼女は遠慮しながらも喜んで受け取ってくれた。お茶でも入れておやつにします、と笑う。
「是非また遊びに来てねぇ。ひでちゃーんって」
「ひでさん、って仰るんですね」
「そうそう、ひでちゃん来ーたよーって言ってくれたら大体おるけんねぇ」でも時々あっちの畑に行ってて、坂登るのがえらくてねぇ。
最早セットの持ちネタである。
それからひでちゃんは、わたしの頬を両手でもにっと挟んで、
「次遊びに来てくれた時に分かるように、よく顔を覚えとかんと」と、3Dプリントでもできそうなくらいまじまじとわたしの顔を眺める。
「また遊びに来ますね」
わたしもお返しに、ひでちゃんの顔をスキャンした。
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