第四話
「___動け」
つむぎ様の声と共に、ふ、と体の硬直が解ける。たたらを踏んで体勢を持ち直すと、私は跳ねるようにつむぎ様から離れた。つむぎ様が、微かな苦笑を零す。彼女はちらりと高橋を見ると、軽く肩を竦めた。
「わらわが居ても、邪魔だろう。暫し、場所を貸してやる。存分に話し合え」
その一言と共に、ごう、と突風が吹いた。さあっと桜吹雪が舞って、次の瞬間、つむぎ様は居なくなっていた。二人で話し合え、ということらしい。それを感謝する気はない。そもそも彼女が刀を与えなければ、高橋はあれを切っていない。
刀を鞘に戻し、静かに佇む高橋の元まで歩むと、首元まで手を伸ばして胸倉をつかむ。高橋は一瞬私の手首をつかみかけたが、触れる直前に、躊躇うように指が宙を掻いた。
その一瞬の空白に、胸を焼け焦がす激情のまま、どなる。
「なんてことをしたの?!赤い糸を切ってしまえば、あなたの運命は居なくなってしまうのに!私みたいに一人で生きることを、選ぶ必要なんてないでしょう!」
心の底を吐き出し切って、私は掴んでいた彼の襟首を離した。いきなり叫んだからか、酷く喉が痛い。軽く俯いて、ごほごほと咳をする。
咳がようやく収まった後、生理的な涙で潤んだ目のまま、高橋の顔をきっと見上げる。
ふざけるな、と叫んでのたうちまわりたいくらいの気分だ。だけど、それを実行に移すつもりは無かった。流石にそんな醜態を晒す気はない。その代わりに、掌をきつく握りしめる。伸びっぱなしの爪が掌に食い込むが、気が立っているせいか、痛みは感じない。
高橋はほんの数秒、苦し気に息を吐いたが、やがて緩く首を振った。まるで、駄々を捏ねる子どもをなだめるような仕草だ。それにも腹が立って、ごうごうと、腹の底の怒りがまた暴れ出しそうになる。その炎を必死に押し殺して、どうしてあんなことを、と呟くと、高橋は鋭く私の顔をねめつけた。
「お前が。お前が、運命が居るからって、俺を拒んだんだろう。ただ、俺が嫌いで拒むのなら、それは構わない。他に好きな人がいるのなら、それでも構わない。だけど、決まってもない未来のせいで拒まれるのだけは、絶対にごめんだ」
俺が好きなのは、お前なんだから。
そう、今までで聞いたことのないくらい低い声で、高橋は呟いた。
「だから、俺は赤い糸を切った。もう、俺に運命はいない。お前が恐れる運命はいない」
さっきは触れることを躊躇った指先が、今度は私の小指を掴んだ。切れた赤い糸が結ばれた、私の小指。けして離さないとでも言わんばかりに、きつくきつく握りしめられる。痛いくらいに。
「俺が嫌いなら、今、そう言ってくれ。それで俺は、諦める。二度と、お前に関わったりしない」
どこまでも真摯な物言いだが、言っていることは卑怯以外の何物でない。
卑怯者、と心の中で悲鳴を上げる。
赤い糸を切っておきながら、勝手に運命より私を選んでおきながら、どうしてそんなことを言うの。
だって、もし私が彼を拒めば、彼はいずれ一人になってしまう。母さんが、父さんに捨てられたように。好きな人を、一人にしたいわけがない。
「ずるいよ、高橋………!」
「ああ、いくらでもそう言えばいい。ずるくても、俺はお前の隣に居たいんだ。そうするためなら、どんな手だって使う」
例え、私の罪悪感を利用してでも。多分、彼はそう言っている。
「……‥最悪。本当に、最悪の気分よ、高橋」
「お前が拒むのなら、それで済む話だろ」
「よく言うわね。私の思いを踏みにじって、自由を奪っておきながら」
じわりと滲んだ涙を、掴まれていない右手で拭う。腹立たしい。腹立たしくて仕方がない。選択の自由を奪われるなんて、ひどいことをされても、未だに彼のことが好きな自分に。
なにより、好きな人に、こんなひどいことをさせた自分に。
「私も、高橋が好き」
けして告げるつもりのなかった恋情を、吐き捨てるように呟いた。その言葉に、高橋の強張った体が緩んだ瞬間、私は小指を掴む手を振り払う。高橋が、さあっと表情を青ざめさせる。その姿をいい気味だと思いながら、切れた赤い糸の糸端を掴んだ。
そのまま私は、未練がましく残った糸端を、ぶちりと引きちぎった。
「佐倉、今の音は」
高橋が、大きくその目を見開いた。赤い糸が見えなくても、音だけは聞こえたのか。それなら、よかった。
高橋の頬を両手で挟むと、その唇に掠めるように口づけた。顔が離れた瞬間、高橋が、戸惑ったように息を吐く。僅かにしたのは、レモン味なんかじゃなくて、鉄臭い血の味。きっと、私が唇を噛みしめていた時に、いつの間にか切れてしまったのだろう。
これは、誓いだ。運命を捨てて抗いぬくという、誓いのためのもの。運命を捨てて互いの手をとるための、誓いの口づけ。
「いいわよ、それなら、私は運命を捨てましょう。この手で決めた、一人ぼっちの運命を捨てる。私はもう、勝手に高橋を諦めない」
例えこの先、高橋が誰を愛そうとも、今この瞬間彼の側に在れる幸福を、けして手放すものか。
この恋に、赤い糸の絶対はない。
それでも私は、彼のことが好きだ。今まで私は、それでいいと思っていた。自分の思いだけで得た好きな人を眺めるだけでいいと、それだけで満足していた。
だけど高橋は、私のことを好きになってくれた。それは多分、奇跡みたいに幸福なことなのだ。高橋にとっても、私にとっても。それを捨て去ることを、もう私は、決してしない。
私の誓いの言葉に、高橋は緩く頬をほころばせると、そっと私の背中に手を回した。
「俺も、お前を諦めないよ。今までも、これからも」
二度目の口づけが降ってくる。私はそれを、目を閉じて受け入れた。
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