第2話

 三日月の綺麗な夜だった。煌々と輝く月は闇夜の全てを曝け出す。

 夜空には須らく星屑が瞬いている。そして地上は、無論青かった。大気も然り、地面も然り、そして《沈黙の塔》もまた然り。

 超高濃度の《ガーディン粒子》は、空間そのものを蒼く輝かせている。

 その只中に、人影が一つある。少女である。

 粒子を被った髪は以前まで行水をする鴉もかくやな濡れ羽色であったというのに、今ではすっかり青みがかっている。髪はおろか、全身に粒子を纏わりつかせて燐光のように蒼く儚げに発光している少女は、しかし粒子を振り払う事もせずに夢中で地面を捏ね繰り回している。

 まるで雪玉を作っているようだ。幾層にも降り積もって地表すら覆い尽くす粒子は、当然だが粒子である。月明かりがそうであるようにガーディン粒子も反射並びに青いスペクトルによって可視光になっているとはいえ、本来ならば触れて、剰え握ったり固めたりできる代物ではない。少なくとも人だけの力では。

 しかし少女は握って、固めて、丸めて、転がす。転がして転がして転がして、どんどん玉を大きくしていく。

「よいしょ、よいしょ。うんとこしょどっこいしょ」

 掛け声を繰り返す度に大きくなっていく青い玉はあっという間に両手で抱えられる程になり、一つ出来上がる。そしてまた少女は粒子の玉を作り、一歩踏み締める度に地面の粒子が羽毛のようにふわりと跳ねる。やがて出来たそれらを危なっかしい足取りで抱えながら穴を潜り、すとんと置く。

 そこは天井に幾つもの抜け穴が開く、まるで公園の遊具であった。勿論これも粒子製で、内部は蒼の光を帯びて人が二人密着して何とか入れるくらいに狭い。だが穴から這い出た少女は満足そうに鼻息をつき、今更気にしても遅いだろうに両手に付着した粒子を叩いて払う。掌からはらはらと散っていく粒子は粉雪のように宙を舞い、朧げに光り輝く粒子の海へ澱のように沈んでいく。

 作った二つの粒子玉は椅子の代わりとしては如何にも座りづらいだろうが、そんなことを少女は気にしない。そんな些事を気にも留めない程に、その瞳は夜空で輝いている星々を内包したように煌めいている。

 針を落とす音さえ聞こえないような森閑の中に、ぽつりと少女の声が落ちる。

「ほ兄ちゃんに早く会いたいなぁ。会いに来てくれないかなぁ」

 夜空に浮かぶ三日月のように綺麗な曲線の唇が細く裂け、無邪気な八重歯が覗いた。黒真珠もかくやな瞳は夜空を見上げてこそいるが、実際に視ているのは在りし日の兄の姿。

「会いに来てくれないんだったら、蓮華の方から会いに行こっかな。うん。そうしよう。ほ兄ちゃん喜んでくれるかな、驚いてくれるかな、抱きしめてくれるかな」

 少女は笑う、いじらしく。その笑い声だけがひっそりと響く。舌足らずの声は夜気に溶け、夜風に吹かれた粒子が夜闇で踊り狂う。場は蒼一色に埋め尽くされ、背景として在るのは高い塀に囲われた屋敷と昔ながらの公園。

 人はおろか生命の気配すら絶無なこの場所で、少女の声を聞く者はいない。そう、誰も。

 ガーディン粒子という《記憶》の海で一人佇む少女を見下ろすのは月と――無数の目、瞳、眼球。

 夜天を衝くように聳える《沈黙の塔》は、無慮千数万の目で事の成り行きを傍観する。今までもそうしてきたように。


 此処は塔京の危険区沈黙の塔、声なきモノが眠る地。

 裏の名は《記憶結晶の墓場》という。人ならざる《鴉》はこれを《廃棄物処理場》と呼ぶ。

 今日も変わらず、《沈黙の塔》はいつまでも蒼く冷え冷えと冴えている。

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