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それよりも、小清水さんのことだ。
僕は二日酔いの頭をたたき起こして、部屋の中をあさって回った。探していたのはただ一つ、僕の日記帳だ。ノートに書き記した僕の記憶。消されたくないこと。クラウドに判断されたくない、僕の、僕のための些末な記録たち。
だけどいっこうに見つからなかった。カバンの中にも、上着のポケットにも、机の下も、ベッドの下にもない。まさか道中で落としてしまったかと思ったけれど。でも、あんな大きいものをどうやって落としたって言うんだ?
血眼になって自分の部屋を探して回った。神経を尖らせて記憶のなかを歩いて回った。けれど僕のなかに取り憑いた天上人はそれを許さなかった。
「どこだってんだ……こんなとこにあるはずないし」
風呂場、洗濯機、冷蔵庫の中、キッチン、クローゼット、靴箱……。どこにもない。
僕は完全に諦めかけていた。もうしばらくは見つからないだろう。どこかに落としたか、部屋のどこかにやってしまったに違いない。いつかヒョッコリ現れるだろう……と。
二日酔いそ覚ましに水を飲んでいた。グラス一杯の水を片手に、自分の部屋のなかをふらついた。おぼつかない足どりがステップを踏んで、もつれ、床へとたたきつける。あわや水をこぼしそうになったとき、僕は気づいた。
僕の部屋には大きな棚がある。特に何か並べるものがあって買った棚ではなくて。引っ越しの際、前の住人が置いていったものだ。縦一メートル、横一メートル半はあろう大きさで。だけど、僕はそこに何も置かず、無用の長物と化していた。
そんな意味の無い棚の、その裏側。壁との間の隙間に、僕は小さなカバンが挟まっているのを見つけた。近くにあった定規を使って引っ張り出してみると、それは黒いサコッシュバッグだった。それもなぜだか奇妙に見覚えがあるサコッシュだった。
「こんなカバン、僕持ってたっけ……」
疑問の前に、カバンの中身を開く。すぐに答えが判明した。
中から出てきたのは、
古ぼけたカセットプレーヤー、二股プラグ、二組のヘッドフォン、ザ・キュアーの『ウィッシュ』。そして一冊のノートと、LAMYの万年筆……。すべて小清水ケイの持ち物だった。
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Day 120
アヤコには、こうして
でも僕は反論した。
つまり、僕は個人図書館が作りたいんだと。
かつて存在した公立の図書館や文書館には、あらゆる文書が保存されていったけれど。でも、それは時代の変化とともに収蔵物が取捨選択され、結果的に『すべて』を保存してくれるのは、ほんの一握りになってしまった。
だから僕は、僕とアヤコのすべてを記録する個人図書館を作りたい。そう言った。そうしたら、アヤコも不服そうながらも納得してくれた。
でも、毎回書き出しにつけている『Day○○』というのだけはやめてくれと言われた。まるで囚人が刑務所内で刑期を数えているみたいだからと。
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Day 140
二人でいつもみたくカフェに行った。が、妙にアヤコの機嫌が悪い。どうして覚えていてくれないの? って。僕が何を忘れたと言うんだろう。
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Day 141
二人が初めて会った記念日のことを、彼女は間違えて記憶していたらしい。僕らは二年前の春、大学のサークル説明会で会ったと言うのに。それで、二人で一緒に勉強し始めたのが馴れ初めだというのに。彼女と言えば、僕から執拗に一方的なアプローチを受けたと言っている。
僕が日記を見せたら、そんなの信じられない。燃やしてと言われた。
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Day 142
アヤコと喧嘩した。
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Day 143
あれきりアヤコから連絡がない。
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Day 144
何度メッセージを送っても無視される。
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Day 145
彼女のクラウドはウソばかり言う。
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Day 146
やっとメッセージが帰ってきた。明日、二人でいつものカフェに行く。
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Day 0
アヤコはもういい。彼女は僕を捨てる気だ。
だから、次は僕を認めてくれる女性にしよう。
名前は小清水ケイ。イニシャルがKKだから、素敵だろう。
彼女は本を読むのが好きで、映画を見るのが好きで、物を書くのが好き。つまり新しい物好きのアヤコとは違って、僕と同じ古きを愛するタイプなんだ。
明日、ケイと会う。でも、まだ僕らは友達にもなれていない。出会うところから始まる。そこからは彼女の物語だ。
/
*
続けられたページには、小清水ケイによる一年間に及ぶ日記が記されていた。Day 1からDay365まで。
しかし驚くべきことに、その筆跡は、それまでつづられていた僕のアヤコについての手記――それとまったく同じだったのだ。
女性らしい文字はそこにはなく、何度も何度もインクで書いては訂正し、書いては訂正した原稿があった。
ああ、これはもはや日記ではない。
僕は生み出した、小清水ケイという女性の一年間。非実在性ガールフレンドの、存在しない一年間。
そしてその横に符号するようにして書かれた”僕の人生”。
二人の人生は、二股ケーブルにつなぎ止められた、一つのダンスフロアで交錯した。
だけど、初めからそれは二つに分裂などしていなかったのだ。
僕が、
この僕が、
小清水ケイだったんだ。
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