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素敵な靴を履いて、目元までしっかりおめかしして

すっかり上機嫌の君が見れるだなんて

なんでサプライズなんだろう


そんなしかめっ面はよして

音楽に合わせて笑ってよ

キャッキャって声をあげてさ

ぐるぐるぐるぐる回って見せてくれよ


     /


 電子アラームが脳の覚醒を促す。

 安眠導入用の擬似アデノシンが減少していくのがわかる。ヒスタミンが脳に充足し、覚醒が始まる。徐々にアラーム音の輪郭もよくわかってきた。視界もだんだんとはっきりしていく。よく見知った、あの白い天井。くすんだ白に、エンボス加工の天井だった。

「……どうしたんだっけ、あのあと」

 喉が熱く渇いている。

 鼻の奥ではアルコールのにおいがした。飲み過ぎたらしい。もとより僕は、そこまでアルコールに強いタイプではなかった。たぶん酔いつぶれてしまったんだろう。

 重い頭を揺り起こす。ズキズキと脳が痛む。クラウドはサプリメントの摂取を提案している。とにかく水分とブドウ糖を取れとのことらしい。

 蛇口をひねってコップに水を満たしながら、僕は昨日のことを思いだそうと努めた。

 あの日――

 そう、僕は小清水さんに誘われてクラブに行った。でも、二人ともDJチャンネルには合わせずに、カセットプレーヤーで曲を聴いた。二人、スコッチ・アンド・ソーダを飲みながら。ザ・キュアーを聴いた。メカノイズとともに、古めかしいヘッドフォンに響く音楽を。

 ――だけど、あのあと僕はどうしたんだ?

 記憶はそこでブッツリ途絶えている。まるで存在しないみたいに。

 ――クラウドがかき消した?

 まさか。クラウドに消されるにしたって、ここまでゴッソリ記憶が飛ぶことがあるだろうか? そんなハズない。だとしたら、酔いつぶれるまで飲んで、記憶を失ったということか?

「じゃあ、いったい誰がここまで僕を送って来たんだ……?」

 小清水さんが?

 一瞬そう思ったが、すぐにその考えはなくなった。

 カタン、と錠前を落とす音。キッチン脇にあるトイレだった。それから流水音とともに扉が開く。中から現れたのは、小清水さんではなかった。

「……アヤコ……?」

「あ、やっと起きた。トイレ、使わせてもらったから」

「どうして君がここに?」

「どうしてって。ミナトってば、なにも覚えてないわけ? あなた、昨日クラブでひどく酔いつぶれてたのよ。それで、私が偶然近くでゼミの飲み会に来てたから、送っていってあげたんじゃない。おかげでもうこんな時間よ。これからバイトだってのに」

「そう、だったんだ……」

「迷惑なものよ。まったく私がいなかったらどうやって帰ったわけ? あなた、一人で浴びるほど飲んでたらしいじゃない。まるで二人分。しかもすごい勢いで踊り狂ってたとか」

「は? 一人だって?」

「そうよ。私にフられた腹いせでやけ酒でもしてたの?」

 アヤコはそう言って、僕のことを鼻で笑った。

 きっと彼女は顔面蒼白の僕のことを、惨めに思ったに違いない。だけど、そのとき僕は彼女と別れたことだとか、フられたことだとか、そんなことはなにも考えてなかった。

 ――一人だったって……?

 小清水さんは?

 小清水ケイはどこにいたんだ?

 僕を酔い潰して、そのまま消えてしまったって言うのか?

 まさか、そんなことは……。

「ねえ、ミナト。思えば私達って、どうして付き合ってたのかしらね。……って、この話はタブーか。だって私達、それで別れたんだもん。

 でも私、はじめミナトのこと少し怖かったわ。話してるうちに悪い人じゃないってわかってきたから、付き合うことにしたけど。でも、あなたってときおり何かに取り憑かれたみたいになるから」

「取り憑かれてなんかないよ。それより、僕が一人って――」

「取り憑かれてたわよ」アヤコは僕の言葉を遮って続けた。「ちょっとストイックすぎるとこがあるって意味で。思えば付き合い出したのだって、あなたのストイックすぎる猛アタックがあったからだし。まあ、それがあったから私もあなたを意識したんだけどさ。でも、それが許せない人もいると思うから」

「僕はそんなに君にゾッコンだったか?」

「付き合う前、出会ったころはね。それはもう引いちゃうぐらいに。……じゃあ私、バイトだから。もう次があっても介抱なんてしないから」

「ああ。次はないよ。仮にあっても頼むこともないと思う。僕たちはもう恋人じゃないし」

「そうね……。それじゃ」

 玄関の閉まる音。オートロック施錠。アヤコは僕の目も見ずに部屋を出ていった。僕も、彼女の顔を見なかったけれど。

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