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 小清水さんのあとを追って来たのは、裏路地にある小さな文房具店だった。シャッターが半分閉まった入り口と、筆文字で習字用紙に書かれた「開店中」のすれた文字。一目見ただけじゃ、店かどうかもわからないだろう。

 店内は半分は倉庫、半分は自宅みたいな雰囲気だった。段ボールに梱包されたまま、品出しもされていない紙の束が並んでいる。そしてそれを横目に、キッチンで茶を沸かす老夫婦がいた。「いらっしゃい」の一言もなく、ぐつぐつと湯が煮える音だけが響いていた。

「こんな店、大学の裏にあったんだ」

 僕はボソッとつぶやきながら、店内を見回す。ダンボールのなかには、もう何十年もそのまま放置されいてそうなペンだとか、ノートだとか、日焼けしたパッケージの群れだとかが詰め込まれていた。

「ええ。昔は学校に備品を納入していたらしいですよ。ほら、これなんてどうです? わたしもお気に入りです」

 彼女が差し出したのは、LAMYというメーカーの万年筆。それから手帳サイズのノートだった。

「小清水さんのおすすめに従うよ。僕なんて素人だし。いくら?」

「じゃあコレにしましょう。あと、それからこれ、わたしからのプレゼントですから」

 そう言うと、小清水さんは何の前触れもなく僕に背を向けて、老夫婦の元へ。おじいさんの耳元にささやくと、古めかしいレジスターで支払いを済ませてしまった。


 店を出ると、あたりはすっかり暗くなっていた。もうそんな時間だった。キャンパスの方角からぞろぞろと学生の群れがやってきている。みんな駅に向かって行進を続けていた。

「プレゼントだなんて悪いよ。いくらでしたっけ? 払うんで」

「いえ、受け取ってください。わたしが好きでプレゼントしたんですから。ですから、ちゃんと書いてくださいよ。そして、書けたら見せてください」

 小清水さんはそう言って、僕に微笑みかけた。あの喫茶店で見せていた神妙な表情じゃなくて。心から微笑んでいるみたいで。僕は少しだけうれしくなった。

 きっといまこうして二人でペンとノートを買ったことは、きちんと脳に記憶されるんだろう。誰からも「不必要だ」とか「重要ではない」と言われず留まり続けるんだろう。少なくともそうあってほしいと、僕は願った。

 だから僕はすぐにペンを出して、いま感じた言葉を書き留めることにした。

「そういえば、小清水さんってどこに住んでるんです? この近くですか?」

 さっそくペンを紙に押し当てながら、僕は問うた。

「はい。すぐそこです」

「どこ? 送ってきますよ」

「いいですよ、お構いなく。ほんと近いんで。それよりもその言葉、ちゃんと書いてくださいね。そして、また明日見せてください。明日の夕方、同じ場所で待ってますから」


     *


     /


 一〇月四日(金) 池袋 塚本文具店

 日記を書けと、小清水さんは僕に言った。

 僕がどれだけアヤコのことを覚えているか、どれだけ僕がアヤコのことを愛していたか。それがきっとわかるから。変われるからと言われて。

 でも、いざ書き出してみると、僕は彼女のことを何も覚えていなかったんだと気づく。それは、もうクラウドが僕らの仲を『断つべきだ』と判断し、そう導いているからかもしれないけれど。

 でも、一つ言えることは。いまの僕には、きっとアヤコのことよりも小清水さんのことのほうがずっと多く書ける。そんな気がしている。


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