第6話 やっぱ無理
特棟4階。一番すみ。変人倶楽部は正面玄関から最も遠い場所に作られていて、だからこそ、どうしても仲間外れにされているような気分を拭い去ることができない。
けれど、ともかく、高校生活三日目、俺はこの仲間外れの教室に登校したのだ。
日浦はもう教室にいない。朝のホームルームを終えた後。
「ムー、行くから」
と言って、俺の肩を叩いて出て行った。当然、お前もこいというメッセージを伴うジェスチャーだったのだが、俺は断った。
「彼女なのに?」
と日浦は心底意外そうな顔をしていた。断られるとは思っていなかったという表情だった。
日浦は明らかに何か勘違いしていた。
彼女になると、いつでもどこでも彼氏を強制連行できる権利を持つことが出来ると思っていそうだった。
まぁ、確かに似つかわしいところはあるかもしれないけれど。
「他にやることがあるから」
しかし俺がこう説明しただけで日浦は特に食い下がらなかった。理由も大して聞かない。ただ不機嫌そうな顔をして言うだけだ。
「後で埋め合わせしてもらうから」
それだけで、本当にあっさり日浦は教室を出て行った。もはや大して俺についてきてほしくなかったんじゃないかと疑いたくなるぐらいに。
だからここは三人きりの教室。
そこで俺は一度大きく息を吐き、そうして決心をつけた。
俺はここで上手くやる。
俺の隣、柄が悪く恐ろしく顔の良い男、横峯大貴と喋らない女の子、遠藤真白と。
なぜ名前を知っているか。
調べたからである。
自分と同じクラスの生徒の名前ぐらい、その気になれば簡単に知れるものだ。
俺は昨日、山田さんに会ってから、彼女の人当たりの良さと、いかにも友達が多そうな雰囲気に触発され、俺もここで、変人倶楽部で友達を作ろうと思った。
なんならついでにちょっと刺激的な高校生活をエンジョイしてやろうと思った。
それでここで友達を作るため、何はともあれ、まずは形から。
山田さんは、高校が始まって二日目だというのに、俺の名前を憶えていた。そういう所を俺も真似たのだ。
横峯大貴は、分厚い参考書を開き、タイピングしたのかと見紛うほどの綺麗な文字をノートに並べていた。
「横峯くん」
話しかけても、横峯大貴は無反応だった。微動だにしない。方程式が着々と解へ導かれていく様を俺はただ見つめる。ギリシャ文字と数字が一つまた一つとノートに描き出され、そうして、A.に連なる文字列を最後に書き上げると横峯大貴はようやくこちらを向いた。
「話しかけるな、凡人」
やっと俺に向けた横峯の眼差しは人を、生き物を見る目ではなかった。
路傍の石どころではない。蝉の死骸を見る瞳にだってもう少し情が籠っている。
「ごめん、集中してた?」
そう俺は謝ってしまう。何も悪くないのに。
「違う」
俺の謝罪を受け取らず、横峯は舌打ちをした。
「時と場合をわきまえず、いかなる時も俺に話しかけるなと言っているんだ」
そして最後に吐き捨てた。
「凡人が遷る」
ああこいつやばい奴だ。
まともにコミュニケーションが取れない。そもそも取る気もない。
機械のように文字列を連ならせていく横顔は、もう俺のことなど認識していないようだった。
意外といい人間ばかりだと山田さんは昨日いったけれど、この男に関しては例外としか俺には思えない。
多分俺は横峯とは仲良くなれない。向こうが俺を拒絶していて。
というか、仲良くなりたくもない。
代わりにというわけではないけれど、元々、彼女とも仲良くなるつもりではあったわけだけど、横峯大貴の一つ奥、遠藤真白の席に俺は椅子を引く。
遠藤真白は読書に励んでいた。小さな手でページをめくる姿は、一生懸命のようでなんとなく好感が持てる。
「遠藤さん」
俺がそういうと、遠藤さんは、本は開いたまま、首だけを動かし不思議そうな顔で俺を見た。こくりと首を傾げて、何か小動物のような佇まいを感じさせる。
何の用?と明らかに問いかけてくる彼女の雰囲気に俺は取り敢えず、ひたすらに無難な話題を探す。そうして、たどり着くのは、ありがちなあの話だった。
おまえ、どこ中の出身だよ? である。
もちろん、こんな中学生ヤンキーみたいな突っ張った言い方はしないけど、喧嘩腰でもないけど、そういう旨の世間話を俺は仕掛けた。
便利なのだ。この手の話題は、出身地を尋ねられて嫌な気分になる人間はいないし、かといってとりたてて良い気分になるわけでもないと思うけど。
しかし、遠藤さんは答えなかった。それがまるで難しい難問であるかのように顔を歪ませ、そうして、開いていた本にしおりをはさみ、丁寧に閉じた。それから、ノートを開き。まっさらな左のページにシャープペンシルで。
『小兵町中学校』と書いた。
「ちょっと遠いね」
俺が言うと、遠藤さんはまたこくりと頷いた。
「自転車通学?」
また頷く。
「何分ぐらいかかるの?」
『4/7 25分43秒』
『4/8 22分20秒』
『4/9 22分32秒』
『いずれも小数点以下切り捨て』
と4行、文字列が並んだ。
「良く覚えてるね」
『聞かれるかもしれないと思った。』
「なんだそれ」
殆どテンプレートみたいな会話だった。だけど、円滑に会話は進まない。彼女は口を開くことなく、すべて筆記で済ませているのだ。それも決して速筆でなく、丁寧に一文字一文字、むしろ人より遅いくらいのスピードで。
「なんで、喋らないの?」
遠藤さんは表情を変えなかった。
要は、聞かれるかもしれないと思った、質問だったのだのだと思う。もしかしたら何度も繰り返された質問だったのかもしれない。いずれにせよ、答えはもう出来上がっていたのだ。
だから、彼女の表情は平穏そのもので、迷いなくペンが流れていって、ノートには彼女の言葉が記された。
『口から出した言葉はもう元には戻らない。正確ではないかもしれないのに、私の本当の気持ちとは違っているかもしれないのに、嘘や間違いかもしれないのに』
なるほど。とは俺は思わなかった。意味が分からない。
「文字ならいいの?」
俺がそういうと、遠藤さんは俺の方を見つめて、それから筆箱から消しゴムを取り出しそして、ノートにあった文字、全部を消した。
彼女の出身校から、この三日間の通学時間、それから彼女の喋らない理由まで。そうして遠藤さんは、まっさらになったノートに新たにシャープペンシルを走らせた。
『文字は見えるから修正できるし、消せる。でも見えない言葉には取り返しがつかない。だから私は喋らない。』
「へぇ」
俺は、理解できなかったのに空返事をした。
消して修正した文字を、相手が見てくれる保証などこにもないのに。消しゴムで消したって、相手の記憶まで消せるわけではないのに。
一体彼女にとって何が違うというのだろう。
遠藤さんの席は、4人しか生徒がいない教室の中で、いちおう一番の窓際だ。
外の景色が良く見えた。
雪が降っていた入学式と打って変わって、晴天。空には雲一つない。
逃げ出すように俺は青い空を見て、思った。
俺、ここで友達作るの無理だわ。
しばらく俺はそうしていた。遠藤さんの隣で、けれど、決して彼女とその奥の彼の方を向くことはなく、空を眺める。傍から見れば物思いに耽っているように見えるかもしれないが、しかし、何も考えてなどいなかった。
何も考えたくなどなかったのだ。
けれど、こんな子供じみた現実逃避すら俺には許されなかった。
「お前、出て行けよ」
俺を辛い現実に引き戻したのは横峯だ。気が付けば、すぐ横に立っていて、ぼんやりとする俺を見下ろしていた。
「凡人は目障りだ」
俺だって出て行きてぇし、なんならこんなとこ来たくなかったよ。
それが俺のまごうことなき本音だった。横峯の要望と俺の希望は合致しているのだ。けれど素直に出て行こうという気分にならない。
「なんで? ここが俺のクラスなんだろ?」
歯向かうくらいの意地は俺にもあった。無益かもしれなくてもそれぐらいは言いたかった。
「普通のクラス行けよ。なんのために此処があると思ってるんだ」
横峯は言う。
「邪魔なんだよ。お前」
横峯の声は刺すようだった。ただ話しかけただけの俺に明確に敵意を持った表情をしている。ここまで嫌われてしまうと、おかしな笑いさえこみ上げてくるものだ。
「俺だって来たくなかったよ。こんなところ」
それでも頑張ってみようとしたのだ。上手くやってやろうと思ったのだ。
どうしてこんなにも上手くいかないのだろう。
横峯は微動だにしない。冷徹な目で俺を見下ろしていた。
「悪かった」
そう謝ってしまったのはもちろん俺のほうだ。
♢
帰りのホームルームを終えるまで、俺は一言もしゃべらなかった。
「ムー、帰り路付き合って」
だから、日浦の言葉に「分かった」と答えたときには随分と久しぶりに話した気分だった。
俺は朝、横峯に謝ってそれから教室を出た。一人で過ごした。誰もいない教室でスマートフォンをいじって、昼には持ってきた弁当を食べ、16時35分に教室に帰ってきた。
思い描いていた高校生活とはかけ離れ過ぎていて。いくら高校デビューに失敗したといってもこんな目には合わないと思うのに。
けれどもう、どうしようもなかった。
「ムー、聞いてる?」
「聞いてる」
俺は答える。
日中、行動をともにしなかった埋め合わせとして選ばれた帰り路。俺は今日一日の日浦の行動の報告を受けていた。
とりあえず学校中を見て回ったらしい、なにか変わったものがないか。鍵がかかっていて入れなかった部屋と、屋上以外はもう全部確認して、そうして目を引くものは大してなかったそうだ。
「どう思う?」
日浦が聞きたいのは、もちろん自分の行動についてだ。どれくらい常軌を逸しているのか、ごく普通の俺の、ごく普通の価値観を持って確認してほしいのだ。
「多分、わりと普通だ」
俺は答える。
「授業を全く受けてない時点で普通とは言い難いけど、けどまぁ、学校を物色するぐらいならその内みんなやるんじゃないかな」
日浦は「ふーん」と意外にも軽く流す。別に意外とも思っていないようだった。
「じゃあこれは?」
そういって日浦は俺に背負っていた鞄を渡した。
ずしりとくる感触。けっこう重い。お前これずっと持ってたのかよ、と言いたくなるくらいには。
「いろんな教室で集めて、多分だいたいそろってるんじゃないかな」
入っているのは教科書だった。数学、現文、保健体育、地理、歴史、その他もろもろ。どれが一年生用で、どれが、上級生用なのか俺にはあんまり分からないけど。
つーかこれ、予備だったり、教師用のやつだったり、あんまり盗らないほうがいいやつだろ。
そもそも盗っていい教科書なんて、盗んでいいものなんて存在しないだろうが。
「どう?」
「こんなことするのお前ぐらいだよ」
日浦は満足げな顔をする。と言っても、眉間のしわが薄くなる程度の分かりづらい表情変化だ。
「あげる」
日浦は言う。
「ムーには必要でしょ」
俺は教科書の一つも持っていなかった。だから、素直に嬉しい。職員室で訳を話せば、それこそ今瀬あたりに相談すれば苦も無く手に入ったような気もするが、しかし、それとこれとは別問題だ。
「悪いな」
「いいよ。一応彼女だしね、もののついでくらいにはムーのこと考えてあげる」
そんなことを日浦は言った。
ついで、ね。
それでも誰かの興味の対象であるってなら悪くないもんだ。それが好意的な感情であるならなおさら。
そんな風に俺は考えてしまう。
「で、ムーの方は何してたの。何かやりたいことがあったんでしょ?」
普段なら俺は何も言わなかっただろう。「特に」と答えて話を流していただろう。けれど、一日うまくいかなかった俺は少し弱っていて、諸悪の根源の日浦の優しさは身に染みて。
つい、話してしまう。友達を作りたかったことを、結局うまくいかなかったことを。
日浦は黙って聞いていて、それから最後に「いらつく」と呟いた。
「明日、あの教室に来なかったら本当に誰か殺すから」
別れ際そう言った日浦はおそらく本気で。俺は話さなければよかったと後悔した。遠藤さんのように筆談で語って、消しゴムで消せば取り返しがついただろうか。
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