第3話 まじじゃん
日浦。
日浦ほのか、がどんな人間であるか俺は思い出していた。
彼女は普通であることを嫌悪する人間だった。それはどこまでも平凡であるがゆえに、平凡に退屈してきた俺と似ているようで、しかし、決定的に違っていた。
日浦は平凡ではない。
身体能力に優れ、学問に優れ、容姿に優れる。
たったそれだけのことで、だから俺とは全て違うのだ。
そうして平凡でないのは、彼女自身のスペックだけで留めておけばよいものを、そうであれば幸せな人生が待ち受けているに違いないものを、思想まで非凡であろうとする奴だった。
一度、聞かれたことがある。
「ムー、好きな色と嫌いな色は?」
俺は答えた。
「青が好きで、嫌いなのは茶色とか?」
「ふーん」
「なんで?」
「別に」
素っ気なくいった日浦だが、次の日から、彼女の私物は茶色で統一され、青は排除された。
「俺のことが嫌いなのか?」
そう聞くと日浦はこう答えた。
「ムーは普通だから、私と好みが真逆なだけ」
そういう奴なのだ。
意地でも少数派であろうとする。変人であろうとする。
だから日浦は変人だ。変人であろうとする人間は変人なのである。
そうまでしていた日浦が、中学にはみんな通っているからと言う理由でまともに通わなくなってしまった日浦が、どうして高校にやってきたのか俺には分からなかった。
♢
自分の教室に自分の机がなかった時の気持ちを、理解してくれる人がどれくらいいるだろうか。
意外と冷静である。
「なぁ、俺の机ないんだけど」
とりあえず、こういう非常事態に頼れるのは友人だ。
同じ中学で旧友。加藤に助けを求める。
「まじじゃん」
と加藤は半笑いで答えた。
「何で?」
「…いじめとか」
「二日目から? ひどくね?」
「高校って怖いな。俺、気を付けるわ」
「何を?」
「朝からうるせーな。早く座れよ」
「席ないんだって」
そう言う感じだ。
あんまり動じない。いやだってどうしようもないし。
高校生活二日目、俺は愛すべく我がクラス1-3に普通に登校した。日浦とよく分からない女教師が巣食う、訳が分からない倶楽部など勿論行かない、なかったこととした。
俺は何も見ていない。
あれは雪がみせた幻だった。
けれど、1-3には俺の席はすでになかった。
ふと、日浦の言った「ムー教室、明日からここだから」という言葉がフラッシュバックする。
もしかしたら、俺はもうあそこに在籍することになっているのかもしれない。
なんて。
いやいや、流石に。
そんなことがあってたまるか。
だけど、まぁ、俺の机がないことには変わりがないのである。
入学式といい。今日といい。
普通にうんざりしていた俺だが、ここにきて普通すらままならなくなってきた。現状維持ができないなら俺に待ち受けるのは普通以下の人生で。
少し悲しい。
「佐藤くんなんで席ないの?」
仕方なく、席があった場所に立ちつくしていた俺に、隣の席になっていたはずの女の子が不思議そうに話しかけてきた。確かに、隣の席が急になくなって、そこに立ちつくしている人間がいたら気にもなるだろう。
良く俺の名前を知っているなと思った。座席表をみて覚えたんだろうか。
「なんでだろ、朝来たらなかった」
俺は首を傾げる。
「なにそれ」
「いやほんとに」
へぇと女の子も小首を傾げた。それから椅子の下の置かれた鞄に手を伸ばし、握った拳を俺に差し出した。
「これあげる」
手のひらに包まれていたのは個包装された飴玉だった。
「机の代わりにはならないかもしれないけど」
少しはにかんで、何故だか申し訳なさそうに言う。
「机はそのうち出てくるよ」
俺はそんな風に答えた。
本当にそう思ったのだ。机がないのは一時的なもので、むしろ貰った飴玉のぶんだけ幸せなのではないかと。
けれど、まぁ世の中上手くいかないというか。
やっぱりというか。
俺の座席はもうこのクラス1-3にはなかったのだ。
♢
今瀬というスキンヘッドの担任は、強面なだけで、規則に厳格過ぎるきらいがあるというだけで、悪い人間ではないのだと、むしろいい人というジャンルに属する人間なのだと朝のホームルームのあと俺は理解した。
「なんというかな」
今瀬は慎重に言葉を選んでいるようだった。
「世の中色んな奴がいるのを俺は知っている。佐藤、単純にお前より10年近く長く生きているからな」
と今瀬は言う。
教室脇の廊下。今瀬は腕を組んで、まるで説教をしているような姿だった。なのに口調はひどく優しい。
「確かに、集団生活が苦手な奴はどこにだっているもんだ。そんな奴らを隔離して、苦手を克服する機会を与えないってのは俺にはどうにも理解できんが、しかしまぁ、もうそんな考えは古いのかもしれん。視力が悪い奴がいるように、耳が悪い奴がいるように、個人の努力じゃどうにもならない話なのかもしれん」
今瀬さん、まだ26歳ですよね。とは口を挟めなかった。
古風な喋り方しますねと茶々を淹れることも出来なかった。
そんな風に今瀬は真剣な話を続けた。時には、自分の人生経験を語ったし、理想論を語ったり、酷く現実的な話もした。
そうして結局、話をこんな風に締めたのだ。
「けれど、どうあっても、俺はお前の担任だから、いつでも好きな時に戻って来てくれて構わないんだぞ」
と、一部の隙もない会心の笑みを浮かべる今瀬に、俺は何も言えなかった。
だから俺は特棟の4階、一番すみ、空白のプレートが掲げられたこの教室の前にいる。
戻って来てくれて構わない
もう俺が変人倶楽部に所属することは決定事項のような雰囲気があって、そもそも行きたくないんだけどとは言わせない雰囲気があって。
扉に手を掛けかけて、踏ん切りがつかず、ため息が出る。
そう言えば、飴もらったんだっけ。
僅かな時間稼ぎ。この教室に足を踏み入れる時間を少しでも遅らせるように、俺は貰った飴玉の包装を破いて口に運ぶ。
味がしないなんてことはなかった。当然だ。現実なのだから。
甘く、そのくせ嫌になる。
そうして俺は渋々ながら教室のドアを開いた。一番に目に入ったのは椅子に座り、机に突っ伏した日浦の姿だった。
日浦は俺を見止めると、どうでもよさそうに
「諦めた?」
と言って、一瞬で興味を失ったらしく、また気だるげに机に伏した。
俺は答えなかった。日浦の横には椅子と机が三つ並んでいた。日浦が一番廊下側で、一つ誰も座っていない席を挟んで、目つきの悪い背の高い男。一番窓際の席には小柄な女の子。教壇には昨日の頭のいかれた女教師。
テレビで見る過疎地の学校とかこんな感じだったな。とか、そんなことを俺は思い起こす。規模は小さくとも、学級の体を成していて。
ここはもう、学級として成り立っている。
「マジなのかよ」
俺は言う。昨日の与太話とも妄言ともつかない話が真実味を帯びてきているのを感じた。
日浦は何も言わない。
「日浦さんの言う通りちゃんと来たね」
立ちつくしている内に、女教師が手を叩いた。
「それじゃあ、ホームルームを始めましょうか」
そう言われて、俺はとにもかくにも空いている席に。日浦の隣に座る。日浦がこちらを見た気がして、隣を向いたが、机に伏せったままの彼女の視線は、丸きり俺とは反対方向。教室の入り口を見据えている。
何か気恥ずかしくて、俺は誤魔化すように反対の隣の席も向く。
座っているのは恐ろしく容姿の整った男だった。長身で、いがぐりのように短く逆立った髪をしている。日浦と同じように不機嫌そうな顔をしているせいで、ひどく柄が悪く見えて、とてもじゃないが仲良くなれそうにない。
日浦は論外として、仲良くなれそうにないのは両隣に。最悪の配置。元にいたクラスとは大違い。
女教師が大きく息を吸った。
「皆さん、おはようございます」
おはようございます。と慣例的に返したのは俺だけだ。他の奴らは微動だにしない。
「さて、何から話しましょうか」
女教師は口角をあげた。
「ああそうだ。こういう時は自己紹介からですね。私はるりといいます。気さくにるり先生と呼んでください」
そうテンプレートみたいな自己紹介をして、るり先生はびしりと人差し指を立てた。
「変人倶楽部とは何か。まずそれからお話しましょうか」
「いい、知ってる」
隣の男が言った。不愛想な声だった。
「大貴くんは知っていても、ムーくんと遠藤さんは知りません」
大貴くんと呼ばれた男は舌打ちをして、言った。
「ここはそういう足並み揃えて、みたいなことをしなくていい場所じゃねぇのか?」
「HRだけは別です。と説明したはずですよ。大貴くん」
また忌々し気な舌打ちが聞こえる。そうしてやはり大貴という男も机に伏せった。るり先生は、仕方ないなという風に、困ったように笑って、そうして語り始めた。
「変人倶楽部とは、分かりやすく言えば、特待生を扱うクラスです」
と、変人倶楽部のシステムについて語り始めた。
「特別な君たちを適切な待遇で、適切な環境で扱います。けれど、勘違いしないでほしいのは適切であっても優遇ではないこと、このクラスに普通に通う生徒よりも多額の予算が投じられることはありませんし、学校側としても君たちを普通のクラスの生徒に比べて大切に扱うということもありません」
そう言う話を俺は丸きり他人事の気分で聞く。日浦は特別だろう、けれど、俺は違うのだ。
「というか正直な話、どんなに手を尽くそう君たちに教育なんて意味がない。学校なんて通う意味もないでしょう」
だから、俺には当てはまらない話なんだよ。
「けれど、全くの利害無しに多くの人と関われる機会は、学校に通う、今だけなのです。君たちがそれを知らずに大人になっていくのが悲しいと、この倶楽部が設立されたのです」
るり先生は、まだ話を続けた。
話の内容は、昨日の演説に近い話。そしてるり先生の想いも含まれていた。
とにかく、普通の学園生活を目指して欲しいと、幸せに過ごして欲しいと、俺たちに、ごくごく普通の俺に語った。
知るかよ。俺に言うなよ。俺はどうあっても普通でしかいられないんだよ。と、ことあるごとに俺は思う。
機嫌は悪かった。
それは今瀬に何も言えなかった自分に苛ついていたのかもしれないし、ここまで流されて訳の分からないクラスにいれられてしまった不遇についてにかもしれないし、もしくは口に入れた飴玉を舐め切ってしまっていたからなのかもしれない。
だから、俺は教壇から降る言葉を遮って、椅子と机を蹴飛ばして、
「普通の学園生活なんて目指すものじゃねぇんだよ。何が変人だよ。何が少数派だよ。だったら徒党を組むな。組むにしても頭のおかしい奴らだけで勝手にやってろ。異常者の集団に、俺を巻き込まないでくれよ」
と。
言えたら。
俺はきっと変人だったんだろう。
周りの空気なんて読もうともしないで、周りがどう思うかなんて意にも介さず、好き勝手振舞って、好き勝手言って、けれどそれは、ごくごく普通の人間である俺には出来ないことで。
俺のやったことと言えば 拳を握り込んで、奥歯を噛みしめただけ。
無性にいらいらした。
日浦は。
日浦はやはり不機嫌そうな顔をしていた。
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