第2話 再会

 日浦との再会は季節外れの雪のせいだった。


 雪がなければ、何かが始まるかもしれないなんて漠然とした期待に従って俺が教室に残ることなんてことはなかったはずで、雪がなければ一年三組が灯りのついた最後の教室になることはなかったはずで、だから学校を徘徊していた日浦がここに導かれることはなかったはずで。


 全部の原因は雪のせいだった。


 俺は教室を出て表れた女の子が、日浦だとはすぐには気づかなかった。


 中学二年の頃ベリーショートだった髪は、背中までかかるロングヘアーになっていたし、だいたい訪れた幸福をいきなり疑ってかかるほど俺は人生に絶望していなかった。


 素直に受け取れば、それは美少女との邂逅だったのだ。


 窓を締め切った無風な廊下。それでも風に吹かれたように俺は視線は女の子に引き込まれる。艶やかな黒い髪。雪の白さより映える肌。綺麗な目鼻。


 可愛い。


 断片的な思考はどれも俺が非日常の扉を開いたことを示したようで。

 この美少女に導かれて、非現実的で鮮やかな青春群像劇が始まりそうな気がして。


 けれど残念ながらこいつは日浦なのである。

 日浦は確かに俺を非日常を届けてくれたが、それが幸福な非日常であった試しはこれまで一度もなかった。


「ムーじゃん」


 日浦はそう言った。

 ムーというあだ名と聞き覚えのある声が俺の記憶を呼び起こした。その時になって俺はようやく目の前にいる奴が日浦であると気づいたのだ。


 お化けにでもあったかのような気分だった。


 日浦が高校に通うことなんてあり得ないと思っていた。もうドロップアウトしてしまったものだと思っていた。俺の前に姿を現すことなど二度とないと思っていた。


 義務教育ですら必要ないと言っていたのは彼女自身だし、事実、彼女は俺たちの母校、西中学ですらまともに通っていなかった。通えなかった。最後にこいつがまともに登校したのは中学2年生秋のことで。


 顔を見たのは1年と半年ぶり。

 そして日浦の表情は一年と半年前から少しも変わらない。何がつまらないのか、何が面白くないのか、NHKのニュースキャスターだって、もう少し楽しそうな顔をしている。


 日浦は不満げに鼻を鳴らして、それから言った。


「…へぇ、まぁ、悪くないか」

 

「何がだ?」


 日浦が何を言いたいのか、俺には理解できなかった。


「いいから、来て」


 そう言って、日浦は俺の手首を強引につかんだ。

 他に説明はなかった。なんだか懐かしい気分だった。日浦と言う人間はこんな奴だった。


 こいつは俺になんか喋りかようとはしなかった。いつだって自問自答。相手が理解したかなんてお構いなしで、説明もせず自己完結で強引に物事を進めようとする。


 あのとき日浦がまともにコミュニケーションを図ってくれていたら言えただろうか。凡人の俺はお前についていくことなんて出来ないと。

 きちんと断って、手を払いのけられただろうか。


 けれど日浦は日浦であり、さらに思い出と言うものは大なり小なり美化されるものであり、日浦に連れ去られてひどい目に散々にあって来たくせに、俺が感じたのは懐かしさぐらいのものだったのだ。


 もしかしたら日浦も同じだったのかもしれない。

 日浦のほうでも俺について多少は美化されていて、懐かしくて、連れ出してしまった。


 とにかく俺は大した抵抗もしなかった。日浦がやばい女だと知っているのに、手を引かれて、ただ付いていったのだ。

 

 俺たちは渡り廊下を渡った。 


 一棟と二棟をつなぐ渡り廊下は吹きさらしで、止む気配のない雪が横殴りで入り込んできていた。学校指定のスリッパは当然雪の想定などしているはずもなく。二棟にたどり着くころには靴下は完全に濡れ細り、足先は寒さは、もはや痛みさえ伴っていた。


 身体を強張らせる俺をよそに、日浦は寒さなど何でもない風だった。身震いひとつせず。俺の手首を握る手のひらはむしろ熱い。


 それから俺はさらに連行され、三階から四階からへの階段を上り、そうして連れ込まれたのは、四階の一番奥。一番すみっこの教室だった。

 

 入り口には掲げられた教室名を記すはずのプレートは空白で。けれど、新設という感じはしなかった。少し古びたプレートは空白こそが正しいのだと言わんばかりにそこに居座っている。

 

 日浦が扉を開け、それで、手首を握られたままの俺は当然ついていく。


 教室内は暖かかった。暖房だ。凍え切った身体がじわじわとほぐされるように暖かくなっていくのを感じる。

 日浦がやっと俺から手を離した。


「日浦、ここは?」


 俺は聞いたが日浦は答えなかった。いつも通りだった。もはや俺に説明をすると死ぬ病にでもかかっているのかもしれないと疑いたくなってくる。


 仕方なく辺りを見渡す。教壇と黒板があった。だから教室のようにもみえるが少し毛色が違う。教壇の前に配置された椅子と席はたったの三セット。その後ろに座席の少なさを補うように真っ赤なソファーが二つL字に置かれていた。


 そして、教壇に一人女性がいた。茶髪で、髪の長さは、ベリーショートだった昔の日浦と、ロングになった今の日浦の中間。つまりセミロング。タイトなロングスカートと白いシャツ、黒縁の眼鏡、まるきり教師のようないでたちだ。


 目が合った。女の人はにこりと笑うと、言ったのだ。


「ようこそ、変人倶楽部へ」


 嫌な感じがした。日浦に問答無用で連れ出されていた中学時代、なんども味わった禄でもないことに巻き込まれる感覚。

 

 すぐに回れ右して帰らなかったのは、思い出が美化されていたからではない。

 教室は暖かく居心地が良くて、外はあまりにも寒くて。


 だからやっぱり、雪のせいだった。



「名前は?」


 と女の人が大きな瞳を俺に向けたまま聞いた。俺はすぐには答えられなかった。大した質問でもないのに答えない方が良い気がした。


 動けないでいる俺をよそに、日浦は髪についた雪を乱雑に払いのけると、ソファーに向かい、大きく音を立てて座った。


 それから舌打ちをして、なぜか俺を睨む。俺は視線を逸らす。


「こいつはムー。無個性だし、無色だし、無味無臭だから」


「今付けたあだ名?」


「違う。知り合い」


 日浦は答える。

 ふぅん、と女の人は興味深そうに俺と日浦を交互にみた。


「あの」


 ようやく俺はたった二文字の言葉を発する。日浦は視線を一切寄越ない。


「なに?」


 と返してくれたのは当然、教壇にたつ女の人だ。


「えっと、どうして俺はここに連れてこられたんでしょう?」


 女の人は面白そうに微笑んだ。


「何でだろうね? 強いて言うなら…」


 途中までで言い淀んで、にっこり笑って喋るのを止めてしまう。。女の人の目線の先はソファのひじ掛けに頬杖をついた日浦に向かった。


「日浦さん。なんで?」


 日浦は不機嫌な顔をした。普段から虫歯の痛みをかみ殺したような表情をしているやつだけど、話を振られた瞬間にぴきりと眉間にの皺がさらに増えた。


 日浦は一言答える。


「知らない」


「だってさ」


 女の人はやれやれというジェスチャーをする。

 だってさ、って言われても。


「はぁ、そうですか」


 意外に答えようがなかった。


「じゃあここは?」


 俺はもう少し聞いてみる。


「変人倶楽部」


 今度ははっきりとした答えだった。


「なんですか? それ?」


「聞いてみた通り、変人の隔離施設といってもいいし、はたまたその逆、変人のユートピアと言ってもいい」


 分かったような、分からないようなことを言う。俺の微妙な表情を察したのか。


「説明が難しいんだよ。そうだね。じゃあ、ここが何のためにあるか教えてあげる」


 と女の人はさらに説明を続けた。

 そうして始まったのは禄でもない説明だった。


「変人というものは、集団生活が苦手なものである。いやむしろ苦手であるべきである。さしたる目的のない学園生活において、変人は凡人に不快感を抱かれるし、その逆も然り。互いに排他的であり、むしろ排他的であるべきともいえる。下手に交われば何かしらの悪影響を伴うばかりで、良好な関係など望むべくもない」


 演説するみたいな口調だ。困惑したままに、ちらりとみた日浦はやはり不機嫌な顔をしていた。

 

 演説はまだ続く。


「変人な我らは、その希少性により将来的にはそれなりの成功を収めるだろう。目的のためならば人間はなんだって利用する。その中で我らの希少性が利用されないはずもなく、重用されることは疑いようがない」


 声のボリュームが上がって、まだ続くのか。


「ならば我ら変人は、凡人たちが巣食う目的意識のないものばかりの学園生活の間は息を潜めて、波風をたてず、三年間が過ぎ行くのを待てばよいのか? 幸せな学園生活など過ぎたる望みなのか? 否、断じて否 ! ここに変人による変人のため教室の設立を宣言する。そこは変人が集う小さな島だ。変人しかいないその孤島で、勉学に励むもよい、恋愛に興じるもよい、友情を育むもよい、諸君らは平凡な学園生活を十分に謳歌するのだ」


 そして、女の人は大きく息を吸った。

 教室いっぱいに響き渡る大声だった。


「それがここ変人倶楽部である!」


 頬が上気していた。拍手喝采、ただし一人きりで。手を叩いているのはもちろんこの教師のような女だ。


 やべぇよこの女。

 頭がおかしい。

 関わりたくないし、関わっちゃいけないタイプの人だ。


 そもそも日浦とつるんでいるような奴がまともなはずがないわけだけど。

 

 ここにきて初めて、俺は過去の記憶をしっかりと思い出す。美化せずに正確に。

 日浦と一緒に居るぐらいなら、真冬に半袖でいるほうがいくらかマシなぐらいで。外の寒さを差し引いても、ここからはさっさと脱出した方がよかったのだ。

 

 手遅れになる前に。


「日浦、俺、帰るから」


だからそう言った。


「別に構わないけど」


 ソファー越しに、日浦が横顔を見せる。右手が肩の高さまで上がり、地面を指した。


「ムーの教室、明日からここだよ」


「は?」


 日浦は珍しく、俺を眺め続けていた。だけど別に何かを教えてくれるわけではない。日浦はぽつりと言った。


「ムーは私のいない中学生活、楽しかった?」


「説明しろよ」


 日浦はつまらなそうに視線を逸らすと、はん、と鼻を鳴らして、ひらひらと手を振った。


「また明日」


 俺は何も言わず、教室を出た。

 逃走した、というのが正しかったかもしれない。

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