訳の分からないクラスに入れられた。幼馴染も一緒に。

@HIHIHIHI

第1話


 雪が降った。


 高校生一年生の春。入学式の日のことだ。

 降りしきる雪はアスファルトに白い絨毯を織りなし、高校入学に合わせて購入した真新しい自転車が今日一日、役立たずになったことを告げていた。


 どうしてもいうのならチャレンジしてやってもいいが。

 入学初日から骨でも折って、そのまま変なキャラが定着するのは絶対ごめんだった。


 松葉杖のひと、とか、ギプスのひと、とか、入学式で骨折してたひとね、とか。

 名前も知らないような同級生に、そんな覚え方をされそうだ。


 そんなわけで自宅から高校まで。約二キロメートルの距離を初日から徒歩での通学を余儀なくされたわけだが、雪を踏みしめる俺の足取りは決して重いものではなかった。


 何かが始まる気がした。


 春真っただ中、4月の9日に雪が降ったのだ。

 曖昧な予感の一つや二つ感じたっていいだろう。

 俺がこれまで送ってきた、普通過ぎるくらいに普通な人生は終わりを告げ、そうして、新しい何かが始まる気がしたのだ。


 きっと楽しい何かが。


 名前は佐藤太一さとうたいちという。

 身長は170cmを少し超えたところでおおよそ中央値だ。

 中学生時代は、楽そうだからという安直な理由で、ソフトテニス部を選択した。


 俺の構成要素全部が平凡で、だから、俺は何の特徴もない人間だった。


 いい加減うんざりしていたのだ。


 出場した大会はいつだって二回戦負けで、その二回戦で負けた相手も三回戦ではまた別の相手に惨敗するような、そんな、どこまでも物語の外側みたいな蚊帳の外の人生には。


 けれど。


 4月9日。入学式に雪が降った。俺と言う人間にようやく非凡なエピソードが舞い降りた。そんな風に思った。


 雪のせいで昨日まで満開だった桜は完全に散っている。誰かが鳴らしたクラクションの音が聞こえる。


 全部が全部、非日常の扉を開けているようだった。


 だが俺は気付くべきだったのだ。この地域の高校生は全員が四月の豪雪を経験しているのだと、ならば非凡に祝福されているのは平々凡々を形にしたような俺ではなく他の誰かであって然るべきであると。


 つまり俺はおこぼれに預かる形でイレギュラーを享受しているだけなのだと。


 だいたい少し考えれば思い当たる節はあったのだ。


 俺には幼馴染がいた。

 そいつは平凡すら無色透明すらままならない、歩いた道を真っ黒に染め上げてしまうような、入学式に雪が降るのも当然のような。

 

 俺とは対照的で、けれど、決して羨ましくない奴だった。



 入学式。

 冷え切った体育館に暖房は入っていなくて、俺は安っぽいパイプ椅子に座りながらどこか耐えるように下唇を噛みしめていた。


 その内に春の温かさを感じられるようになった今日この頃、と新入生代表が答辞を外の景色とは的外れな切り口で読み上げ始める。


 勝手に俺たちがはつらつに学校生活を送ることを約束される。


 まばらな拍手が沸き起こる。


 なぜ人生でたった三度しか経験していないのはずの入学式が、こんなに既視感に溢れるのだろう。

 簡単だ。

 平凡だからだ。

 あまりに普遍過ぎて三回目ですら、意外性の欠片もなく、意表を突かれなければ退屈に決まっている。


 けれど、体育館の外で雪はまだ降っていた。


 入学式が終わると、スピーカーから流れる校歌に送り出されて、俺たち一年生は寒さに身を震わせながら、三階、一棟の教室に向かった。


 俺のクラスは一年三組。席は一番後ろの窓際。

 悪くない配置だ。と俺はそう思った。


 だって、俺の知っている非凡な学園生活を送る、物語の主人公は決まって窓際に。それも一番後ろの席に、いつだって座っているものだったから。


 そのうちにいかにも気難しそうな顔をしてジャージを着た体格の良い男が入って来た。

 男は俺たちの担任で体育教師でスキンヘッドで26歳で、名前を今瀬というらしい。


 それ以外の情報は何一つ得られないシンプルな自己紹介を終えて、今瀬が何か聞きたいことはないかと質問を求める。

 それに答えて、真面目そうな女子生徒が手を上げた。


「先生、寒いので暖房を入れてくれませんか?」


「四月に暖房は入れない」


 今瀬からの答えはこれだけだった。


 あと一年もこのクラスで過ごせば、校則で暖房器具の使用は11月から2月に限られているだとか、教室の右角に備えられた空調には冷房機能しか備わっていないのだとか、普段使う石油ストーブは片付けられて倉庫の隅に眠っているだとか、初めて担当クラスを受け取った今瀬が顔に似合わず緊張で口数少なになっているだとか、色々な事情が理解できるのだが、入学当初の俺達にはスキンヘッドの今瀬は融通が利かないタイプのいわゆる外れ担任だと認識するより他になかった。


 教室の空気は最悪だった。


 誰もが嫌な奴が担任になってしまったと、内心嘆いていた。

 みんなが新しい環境に少なからず緊張していた。

 沈黙を嫌ったように、喋り始めた今瀬の話は何一つ面白くなかった。


 と、それだけの理由ならこれほどに空気は淀まなかっただろう。


 なにしろ寒いのだ。

 寒すぎて全てがどうでもよくなる。どこか温かいところに移動したい。帰りたくて仕方がない。


 今瀬が手を後ろに組み、今年の抱負を熱く語っている。白けた空気が蔓延した教室にその熱が伝わることはなく、むしろその逆に冷え続けているような気さえする。


 朝、俺に非日常を届けてくれた雪もこうなってしまっては煩わしいだけだった。


 確かにこの状況は普通でないけれど、今までの平凡な人生はもう飽き飽きだと思っていた所だけど。


 だけど普通でなければ何でもいいわけではなくて、あくまで劇的でかつ幸せな非日常を俺は求めていたのだ。


 息を吐いた。

 吐息は白く。白い吐息はゆっくりと透明になっていく。



 チャイムが鳴った。小中学校の9年間で聞き続けたなじみの深いこれは、高校生になっても変わらず、拘束と解放の合図である。


 今日の授業は入学式と軽いオリエンテーションのみで、だから、今はもう放課後だった。椅子に縛り付けられていたクラスメートたちも、魔法が解けたように教室を去っていく。


 なのに、馬鹿みたいに寒い教室で俺は未だに動けないでいた。

 四月の雪が何かの予兆であるという一縷の望みを捨てきれず、どうにも何かが起こる気がして、取り残されていた。


 10分が経った。

 15分が経った。

 20分が経つ。

 

 寒いだけだった。


 それで俺は、まぁ、こんなもんだよなと一人頷いたのである。


 落胆はあまりなかった。

 そもそも大して期待していなかったのかったのだ。たがが雪が降っただけで、べつに空から美少女が降ってきたというわけではない。


 いやまぁ、べつにいいじゃないか。


 少なくともクラスメイトは悪い奴ではなさそうだったし、みんな俺と同じように良くも普通な感じがしたし。


 意思の強い人間がいたら、暖房をつけない今瀬に横暴だと、何かしら声を挙げていただろう。

 自由人がいたら、極寒の教室なんてチャイムを待たずにさっさと抜け出して帰路についていただろう。


 だけど、誰もそれをしなかった。

 皆が皆押しなべて、今瀬が毒にも薬にもならない今後の抱負を語るのを身を縮こまらせて耐えていただけだ。


 だから特殊な人間もいないけれど、だけど、ここ一年三組には別段悪い奴もいないのだ。それは良くも悪くも普通のことで。そうしてそういう日常を俺はこれまで繰り返してきた。


 俺はようやく席を立ち、ただ雪が降っただけの入学式を終えて、教室を後にする決心をつけた。


 大して幸せではなく、かといって、これといって不幸でもなく、俺は月並みに三年間を過ごすんだろう。


 不幸でもない話を、この上なく辛いことのように感じた。


 あの時、俺は憂鬱で、そして欲張りだったのだ。


 ないものねだりに違いない。


 世間でよく言われる、普通が一番などという言葉は凡人のひがみから産まれた言葉ではなく、それなりに含蓄のある言葉であるのだと。


 俺はこれからの三年間で思い知る。



 

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