第11話 願望

 そこは『天使』と最初に出会った世界だった。


「興が醒めたよ。上内里留かみうちさとる


 気が付くと『天使』は上内の手から離れた場所に立っていた。

 つまらなそうに彼女は言う。


「お前の好きなようにしてやるよ。天国でも、異世界でも、望む世界に連れて行ってやろうじゃないか」

「…え?」


 言葉の意味が分からなかった。

 ほんの数分前まで、あれだけ『上内里留』を否定して、『繰り返しの世界』に縛り付けていた『天使』が、急に自分の好きなようにしてやる、だと?

 唐突過ぎて話の流れが見えてこない。


「なんだ、その間抜けなツラは。言葉通りの意味だぞ。まさか、日本語が理解できないとか言い出すなよ?何なら言語を変えてやろうか。英語、中国語、ロシア語、どれでも良いぞ」


 直感的に上内は、何か裏があるのでは、と疑問視するが彼の思考を見透かしたかのように『天使』は言葉を付け加える。


「言っておくが、何か裏があるかもしれない、などと無駄なことを考える必要はないぞ。あくまでお前に対して興味が失せただけだ。飽きた、という表現の方が的を射ているのかも知れないな。それに、お前のような奴の精神をへし折るには長い年月を掛ける必要がありそうで正直なところ面倒だ。そこまで構うほどの価値をお前に見出すことが私にはできないない」

「なんだよそれ。だったら―…」

「ただ、そうだな。敢えて裏がある、と言うのであれば、一つ、私のお願いを聞いてくれないか、人間」


『天使』は上内の言葉を遮るようにして問い掛けた。

 上内は考える。

 これはきっと悪魔の囁きで、本来であれば耳を傾けるべき事ではないのかもしれない。早い所断って、天国に連れて行け、と意思表示を行うべきなのかもしれない。

 しかし。


「…、内容による」

「だろうな」


 当たり前のように返答した。


「中身を知らずに答えを出す人間は楽観的な思考の持ち主か、唯の馬鹿だ。賢明な判断をしたじゃないか、そこは正当に評価してやるよ」

「無駄話はいいから早く本題に入れよ」

「そう急かすな。時間なんぞ無限にあるだろ。なんなら時間そのものを捻じ曲げてやろうか」

「…。」

「冗談だ」


 取って付けたかのように言った。


「お前も冗談とか言うんだな。なんか、意外に感じるよ」

「リクエスト通りさっさと本題に入ってやるから黙ってろ」


 どうやら上内の反応が面白くなかったようで、やや不機嫌だ。

 理不尽だろ、と上内は思った。


「まずは、そうだな。異世界の定義について話すのが先決か。おい人間、異世界と聞いてどんな世界を連想する?何でもいい、お前のイメージを私に寄越せ」

「えっと、妖精とかエルフとか、後はドラゴンとか?そういった空想動物が存在して、魔法みたいな不思議な力が使えるファンタジー世界かな」

「成程な。未知なる生物や非科学的な道具、理論的に不可能な手法が実在する世界。要は現実世界では有り得ない非現実的な世界、という認識か。二十点だ」


 なぜか、点数を付けられた。


「まあ、お前が勘違いをするのも無理ないか。一般的に普及している異世界はその認識で問題ないからな。仕方のないことだ」


 溜息交じりに『天使』は言う。


「だったら、異世界って何なんだよ。ファンタジー世界じゃないとすると…、人の夢見る妄想世界とかか?」

「当たらずとも遠からず、といったところだ」


 そう言って、『天使』はくうを指すように右手の人差し指を立てた。


「第一にお前の認識は、数ある異世界の一つに過ぎない」


 すると、Aの文字が現れる。


「ファンタジー世界という認識は間違いではないんだ。ただ、それだけを異世界と呼ぶのはおかしな話だろ、と私は言いたいんだよ。本来、異世界は『異なる世界』と書いて異世界と呼ぶ。その定義に当て嵌めるのであれば、現実世界ではない、それ以外の世界も異世界として含められるべきだろ」


 今度は中指を立て、そこからBの文字が現れる。


「例えば、現実的な世界だが、魔法、魔術といったオカルトな技術を使用できる世界だったり、日常的な中でも非日常を味わえる世界だったり、そんな世界も異世界の一つとして認識しても問題ないだろ。何故なら、本来あるべき世界とは異なる世界だからな」


 無論、お前目線での話だが、と『天使』は前提を付け加える。


「そして最後に、それら全てが混在する世界、私たちが管理している世界はどちらかと言えばこの世界に分類される」


 薬指を立てるとCの文字が現れた。同時にAとBの文字が二重線で覆われる。


「詳しくは実際に見てこい。百閒は一見に如かずとも言うし、私が説明するよりはるかに理解しやすいだろう」

「え、何。お前の願いって異世界じゃないと叶わない系なの?」

「順序良く話すからちょっと待て」


 三本の指を『天使』が折りたたむと、A、B、Cの文字は瞬時に消える。


「ここからが本題だ。私たちの管理している世界は元々、この世界で生まれた者だけで生活をしていたんだ。種族、動物、植物、霊魂…、そこに例外など一切なかった」


 一段階、声を落として、架空生物は言う。


「だが、ある時、どこぞの馬鹿野郎が言い放ちやがった。『異世界』にいる主人公をこの世界に招き入れろ。姿形、起因は何でもいい、を付加させて『理想の世界』を叶えさせろ。それで全てが救われる、ってな。そのお陰で、本来あるべき自然の摂理が崩壊した」

「…。」

「お前に対する私の願いは唯一つ、『異世界』主人公をお前の手で絶命させろ。なあに、成功すれば報酬としてどんな願いでも必ず叶えてやるよ。『天国』でも元の世界でも好きな世界に連れて行ってやるし、それこそ過去の事象を無かったことにもしてやる」


『天使』は真っ直ぐと『異世界』人を見つめる。


「だから、私の願いを聞き入れろ『異世界』主人公」

「ああ、いいぞ」


 即答だった。

 あまりの躊躇いのなさに『天使』は怪訝そうな表情をする。


「なんだよ、何か問題でもあるのかよ」

「いや、問題はない。ただ、お前のことだからありもしない正義を振りかざして拒絶すると考えていたからな。すんなりと了承がもらえるとは思っていなかっただけだ」

「ありもしない正義…、か。別に正義なんて振りかざした記憶ないんだけど」

「〝神崎セツ〟との約束は良かったのか」


 彼女は何気なく質問した。


「さっきも言ったけど、〝セツ〟との約束はきっかけにしか過ぎなかったんだ。心の折れていた俺をもう一度立ち上がらせるための、さ。それだけなんだ。それだけで良かったんだ。だけど、ここから先は俺の選択だ。誰が何と言おうと俺は俺のためだけに選択して行動する。〝セツ〟もきっと分かってくれるはずだよ」


 都合の良い解釈だってことは分かっているんだけどね、と上内は付け加える。


「それに、お前に対して抗うことを諦めた訳じゃないぞ。願いを叶えたら何でも言う事を聞いてくれるんだろ。だったらそれで、お前自身を殺させれば〝セツ〟との約束は果たされる」


 フンッと彼女は鼻を鳴らし、


「何なら言う事聞く前にお前の童貞でも奪ってやろうか。快楽によってそんな決意も一瞬ではじけ飛ぶかもな」

「なんでそうなるんだよ」


 上内は困惑する。

 さっきからこの『天使』、ちょくちょく様子が変じゃないか?どういう訳かボケをぶち込んでくるし…、いや、冗談、の認識で良いのか。よく分かれねーわ、こいつ。


「兎にも角にも私の願いを聞き入れてくれたことには感謝するぞ」

「お、おう。じゃあ、俺は今から『異世界』に行くってことで良いんだな」

「嗚呼、そうだ」


 だが、と付け足して、


「現状態だと、特別な力を宿す『異世界』主人公と対等に戦うことなど不可能だろうな。裸で戦場のド真ん中に行き、完全武装した相手と素手で敵対するようなものだ。最初から同じ土俵に立てるはずがない」

「ならどうするんだよ。まさか俺にも特別な力とやらを分け与える気か?」

「御名答」


 気が付くと『天使』の手の平にはが、一つ宙に浮いていた。

「これを食え」

 

 当然の如く彼女は言った。


「えっ?」


 言葉の理解に追い付いていない上内をガン無視して続ける。


「他とは少し性質が異なるが、これを摂取することで『異世界』主人公と同等の力を宿すことができる。いや、もしかしたらそれ以上のモノかもしれないな」


 受け取れ、と彼女が手を横に振るうと、宙に浮いているがゆっくりと近づき、上内の手の届く範囲で止まった。

 それは拳くらいの大きさだった。手に取るとずっしりとした重量を感じる。


「一口かじれば十分だ」


 ここで、上内はの異様さに気付いた。

 どういう訳か何も見えない。確かに手の中にはがある感触がするのに、容姿も質感も重量もはっきりと感じるのに、何も見えない。まるで、視界に入ることを拒んでいるような、見える手段や知恵を持ち合わせていないような、不思議な感覚に襲われる。


「何を迷っているんだ。さっさとしろ」


 そういえば、『天使』が手にしていた時、そこにがあるとどうして分かった?直感的か?感覚的か?はたまた、そう感じ取れるように仕組まれたか?

 その上で一番の疑問点は、

 どうやって自分はの有無判定を行っている?


「ここにきて恐怖が芽生えたか。」


 相手は『天使』だ。どうせ、未知なる力でも使っているのだろう。だとしたら考えるだけ無駄だ。

 だったらとを食べてさっさと異世界に行こうじゃないか。いつまでも現状況に立ち止まっていても意味がない。

 上内里留は、ゴクリ、と鍔をのみ込み、一口かじった。

 すると…、

 …

 …

 、

 特に何も無かった。



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