第9話 神崎セツ

 相変わらず少女は上内に対して背中を向けていた。


「君も気付いているんじゃないのかな?重要なのはそんな事じゃないってことを、さ。だって私が、『神崎セツ』が『本物』であろうと『偽物』であろうと結局、それって君の言うところの自己満足でしかないでしょ。君が君の本心を『神崎セツ』に伝えて、それで?そこから何が生まれる?その先に何がある?唯々君が『神崎セツ』に、ずっと後悔してました、救えなくてすみません、勇気がなくてごめんなさい、って言って自身の罪悪感から逃げようとしているだけでしょ。押しつぶされそうになる背徳感から少しでも抜け出したいだけでしょ?だから、自分を殺した。違うかな」


 少女は顔を少し上げた。


「私は、さ、別に君のせいでこんな風になったわけじゃないんだよ。勿論、周囲のせいでもない。というか誰のせいでもないよ。これは私が、私自身が勝手に選択して進んだ道なんだ。

仕方がなかったんだ、それ以外の方法を私の頭じゃ思いつかなかったんだし。そういう事だから、君が私に対して罪悪感や背徳感を持つ必要なんて一つもないよ。もう、何も背負わなくていいんだよ」


 勢いよく彼女は振り返る。


「無論、今の話-を信じるかどうかは君に任せるけどね。君は『本物』に異様な執着を見せているようだから」


 でも、と彼女は少し間を開けて黒髪の少年に言い放った。


「その執着を棄てない限り、一生、〝里留〟は救われないよ」


 その言葉を聞いてハッ、と上内が顔を上げると、黒髪の少女はどこか切なそうな、悲しそうな笑みを浮かべていた。

 『本物』と『偽物』。

 『真実』と『虚偽』。

 どちらを選択した方が良いかは一目瞭然いちもくりょうぜんだった。だが、本当にそれだけが正しいのだろうか。『本物』ばかりを『真実』ばかりを追求し続けて、本当に『幸福』は訪れるものなのだろうか。


「そんなこと、お前には関係ないだろ」


 苦虫を嚙み潰したような顔を上内はする。


「うん、関係ないことだよ。だって私は君じゃないし。だから君の選択に対して、ああだこうだ、文句を言う権利なんて一つもない。だけど、さ。友人が誤った道に進んでしまっているのに、それに対して見て見ぬ振りをするなんて私にはできないよ」

「…、余計なお世話だ」

「知ってる」

「…、有難迷惑ありがためいわく

「うん」

「…、お節介にも程がある」

「そうかな」


 彼女は真っ直ぐに少年を見つめる。


「それでも私は君を救いたいよ。君がどんな風に受け取っていたとしても、どれだけそれを拒絶しようとも」

「『偽物』なのにか?」


 上内は続ける。


「『偽り』で『紛い物』で『神崎セツ』じゃないのにか?お前はあの『天使』の手によって俺の記憶から敷き写しトレースされて創られた、ただの操り人形なんだぞ。お前の記憶は全て本物の『神崎セツ』のモノで、お前自身のモノじゃなくて…、全部、全部、偽物で、だから、俺に干渉する必要も、俺を救う理由も無いんだよ。なのに、なんで、どうして…」


『偽りの記憶』を宿した傀儡くぐつ

 彼女には『本物』という概念が一つも存在しない。結局のところ、『神崎セツ』の複製コピー品に過ぎない存在なのだ。いくら容姿を似せようと、いくら正確な記憶を持とうと、その事実は一切変わらない。

 だからこそ上内里留を救う必要も無かった。彼と関わっていたのは『本物』の方で、『偽物』は一切関係のない話だ。あくまで、間接的に上内里留のことを知っているだけで、彼との実体験も無ければ触れたことも、共に過ごしてきた経験もない。殆ど顔見知り程度といっても過言ではないのだろう。

 果たして。

神崎セツ偽物』が『神崎セツ本物』の代わりに上内里留を救う必要などあるのだろうか。

 すると、目の前の同級生は軽い調子で言い放った。


「さっきも言ったけど、さ、『神崎セツ本物』とか『神崎セツ偽物』とかそういうのって実際問題、些細なことでそこまで重要じゃないんだよ。今回、重視しなければならないのは君自身なんだ。君は性格が歪んでいるから物事を素直に捉えようとしないよね。別にそれはそれで君の強みだからいいんだけど、さ、そんな君がどうして『天使』さんから一方的にやられているのかなって疑問に持っちゃうんだけど。ひねくれ者にしてみれば、この現状を安易に受け入れすぎじゃない?だっておかしな話じゃん?どんな事でもどんな状況でも屁理屈並べて反抗する癖に、なんで今回に限っては抵抗もしないで素直に死に続けているのかな。相手が『天使』さんだから?『繰り返しの世界』とか未知なる体験だったから?またまた冗談でしょ?君はその程度のことで折れるほど、弱い人間じゃないはずだよ。少なくとも、私が君の傍にいた時はそうだった。君はどんな理不尽な状況になろうとも絶対に諦めなかった。今回の問題点っていうのはさ、そういう部分がどうして現れていないのかって私は思うんだけど違うかな?」


 陽は完全に沈み、辺りは真っ暗になっていた。

 だから、少年と少女は互いに互いの表情を読むことができなかった。


「正直さ、君の自殺の動機について知ったような口振りでさっきは言ったけど、結局あれって、ただの私の想像なだけで実際の所、何も分からないんだよね。もしかしたら、他に動機があったのかもしれない。ずっと前から死にたくて死にたくてたまらなくて、やっと死ぬ決心ができただけなのかもしれない。結局、『本物神崎セツ』の消えた後の世界のことなんて『本物と偽物神崎セツ』は何も知らないんだよ。君に何があって、どんな風に変わって、それで、そこから何がどううなったのか、とかさ。それでも、私は君には変わって欲しくないかな。『本物神崎セツ』の知っている、どんな事にでも立ち向かう『上内里留』のままでいて欲しいって願ってしまうかな」


『神崎セツ』は上内里留かみうちさとるに、言う。

 自身の望みを。



「ねえ、もう一回だけ抗ってよ」



 その言葉は、『偽物』の言葉だった。

 その言葉は、『神崎セツ』の言葉だった。

 その言葉は、嘘偽りのない本当の言葉だった。



 少しだけ、沈黙が訪れた。

 月がいつの間にか出始めて、その光が教室内に注がれていた。

 それでも薄暗かったが、少年が少女の物悲しげに微笑む顔を目視するには十分な明かりだった。

 だから、

 それで、

 そこから。

 …。

 上内里留は拳を握り、言い放った。


「嗚呼、そうだな。ちょっとだけ抗ってみるよ」


 と。


「ごめんね。無茶、言っちゃって」

「そんな事ねーよ、〝セツ〟」


 上内里留の口から発せられた懐かしの言葉に神崎セツは、ハッとした表情になり、すぐに満足そうな笑みを上内里留に向けた。


「なまえ~、やっと、呼んでくれたぁー」


 上内里留の目には、その、神崎セツの笑みが今にも崩れそうで、壊れて無くなりそうで、そんな風に映ってしまった。


「〝セツ〟、俺は…、」

「何も言わなくていいよ、〝里留〟。全部分かってるから。だけど、〝里留〟ならきっと大丈夫だよ。ちゃんと乗り越えられる、絶対に。『神崎セツ』が言うんだもん。間違いないって」


 その時だった。神崎セツの体に異変が生じ始める。


「もう、時間みたい。行かなきゃ」


 小さな光の粒子が神崎セツの体から静かに溢れ出していた。


「なあ〝セツ〟、俺は今もお前が〝セツ〟の『偽物』だと思っているよ。でも、それ以上に『本物』であって欲しいと願っている自分がいるんだ。『天使』から創られて、この状況でさえも『天使』の思惑通りなのかもしれないんだけどさ、それでも俺はそんな奇跡があって欲しいって願ってしまうんだ」


 すると、神崎セツは言いづらそうに、


「あー、えーっと、言うタイミングを完全に逃しちゃって、そのままほっぽり出した形になっちゃったんだけどさ」


 それでも神崎セツの口調は、どこか悪戯いたずらっぽさが残っていた。


「私は、『天使』さんから創られたわけじゃないよ。というか、そもそも。私が『繰り返しの世界』にいること自体、『天使』さんにとっては想定外のことなんじゃないかな」

「…………………………………………………………………………………………は?」


 前提が崩れた瞬間だった。

 そもそも、『繰り返しの世界』に存在する上内里留以外の全ての人間は『天使』によって意図的に創られた存在だ。そこに偶発性も運命性も無い。全てが上内里留の『願い』を叶えるためだけに用意された登場人物に過ぎないのだ。

 だからこそ、上内里留は『神崎セツ』もその登場人物の一部で、自分を追い詰めるための道具として利用されているモノだとばかり考えていた。

 さて。

 神崎セツの言葉が真実であるならば、目の前にいる『神崎セツ』は一体何者なのだろうか。


「あれだよあれ、異分子的な?イレギュラーとかそんな部類なんじゃない?よく分からないけど。あっ、でも幽霊とか亡霊とかそういう心霊現象ではないよ⁉、まず、浮くこととかできないし。あと、…」


 そんな不思議な少女、神崎セツは一人で勝手に謎理論を展開していた。何も聞いていないのに、自分はああだの、これじゃないだの、ベラベラと…。暴走、と表現した方が正しいのか?


「でも、じゃあどうやってここまで来たのか、とか聞かれると説明が…。うーん、難しいね‼」


 なんか、投げやりな感じが凄かった。

 一方で上内里留はというと―、笑っていた。

 通常運転の、いつもと変わらない神崎セツを見て腹を抱えながら笑っていたのだ。


「なんだよそれっ、本当にお前って適当だな‼」


 自然と上内里留は神崎セツが何者であろうとどうでもいい、と思ってしまっていた。神崎セツは神崎セツでそれ以上でもそれ以下でもない。上内里留の知っている普通の女の子なのだ。だったらそれで良いのではないのか。それも『本物』に違いのないはずだから。


「良かった。最後に〝里留〟の笑顔が見れて。ずっと、変な顔だったから心配だったんだよ」


 神崎セツの体が徐々に薄くなっていく。それに気付いた上内里留は静かに、神崎セツを見つめていた。


「嗚呼、悪いな。心配かけて。でももう大丈夫だ」

「そうみたいだね」


 神崎セツは一呼吸置いた。

 目を細めて、全てを見通しているかのような表情で彼女は最後の言葉を残した。



「ありがとう」

 その瞬間、神崎セツは消失した。



「何がありがとうだよ、それはこっちのセリフだっつーの」

 独り残った上内里留はそう呟いた。



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ここからストックが無くなったので今月は更新ありません。

来月の下旬辺りに更新する予定です。

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