第8話 それから少年は...

 そこは教室だった。

 黒板、教卓、生徒用の机…といった具合に見慣れた道具たちが普段通りに設置されていた。

 人の話す声や生活音といったものはなく、せいぜい黒板の上にある時計の指針くらいしか聞こえてこない。その上、教室全体が橙一色に染まっているせいかどこか寂寥せきりょうとしているような、喪失感そうしつかんを与えてしまいそうな雰囲気をしていた。

 そんな場所に独り、上内里留かみうちさとるは突っ立っていた。

 何百何千にも及ぶ『繰り返しによる自殺』のせいで彼は精神的に弱っていた。

 いつ崩れ始めてもおかしくない。

 いつ狂い始めてもおかしくない。

 そんな状態だった。


「…」


 そこを見た時、初めは高校かと思っていた。しかしそれにしてはどうも様子がおかしい。前後ろにあるはずの黒板が前方にしかなく、その代わりに後ろの壁には授業中に創られた掲示物や作品が掲出され、棚には辞書や教科書といった個人の私物が一つ一つ整頓されていた。

 どれもこれも見覚えのあるものばかりだった。


「…、今度は中学校かよ」


 上内はそう呟いた。

 一番後ろの隅に立っていた上内は、ドアを背もたれ代わりにして全体重を預ける。体の力が抜けているのか手はダラリと垂れ、うなだれていた。

 次はどうやって死ねばいい?天井に紐でも引っ掛けて首を吊ればいいのか?それとも単純にそこにある窓から飛び降りればいいのか?もしくは──、それか──、それ以外に──…。

 頭の中がぐちゃぐちゃになりそうだった。

 自分を殺すことばかり考えてそれ以外は全て保留。理由や動機を中途半端に固められ、抗いも抵抗もなく偽りの解決案を実行する。正か否なんてモノは端から関係なくて『それ』があるだけで成立する。

 そんな虚偽だらけの内に彼はいた。


「ハハッ…、、ッはハハハハハはっはハハはッ、はははッははハハ──」


 変な笑いが出た。上内自身も驚くほどの可笑しな笑いだった。

 多分これは結構ヤバい奴で精神が崩壊する一歩手前の危険信号みたいなものだろうなって、上内はなんとなく悟っていた。きっと、すぐにでもやめて、何かしらの気分転換のようなことをすべきだろうなって頭では理解できていた。

 それでも彼は笑い続けていた。

 どれくらいたったのだろうか?笑い疲れた上内が顔を上げるとオレンジ色に染まり切っていたはずの教室が薄暗くなっていた。窓付近には赤色の光が微かに差し込んでいる。

 ふと、その窓から外の景色が見たくなった。だから上内はドアにもたれかかっていた体を静かに、音も無く離した。そして窓際の方にゆっくりと歩いて行く。そこに、どんな景色が転がっているのだろう、とかどうせ外には物体らしきものは存在しなくて光ぐらいしかないんだろうなあ、とかまあ、例え綺麗な景色があったとしても全て造り物だから感動とかはしないけど、とかそんなどうでもいいようなことばかりを考えていた──期待など微塵もしていなかった。

 だけど。

 そのはずだけど。

 窓から見えた夕日は、それはそれは素晴らしく綺麗なモノだった。

 

 


 少年は。

 いつの間にか涙を流していた。

 

 


「こんなところでなーにしているの、上内」


 聞き覚えのある、明るい声だった。

 だからこそ上内はゆっくりと振り返り、彼女に向って物寂しげに言い放った。


「俺でも良く分かんねぇよ、神崎」


 と。

 弱弱しく、言い放った。

 それでも彼女はフフフ、と無邪気な笑顔を浮かべて、


「昔みたいに、〝セツ〟って呼んでくれてもいいのよ?それとも久し振りすぎて、恥ずかしいのかな?」


 何も変わらず、生前と同じように少女は少年と接する。

 それが一番、辛かった。


「そんな訳無いだろ。ていうか、お前だって俺のこと苗字呼びじゃないか。お前こそ昔みたいに〝里留〟って呼べよ」

「いいよ」


 セーラー服姿の少女は即答した。


「それで、どうして〝里留〟は泣いているのかなー?好きな女の子にでも振られた?それとも何か大きな失敗でもした?ねえ、私に教えてよ」


 手を後ろに組み、姿勢を少し前に倒した様子でゆっくりと上内に近づいて彼女は尋ねる。

 純粋で。

 無垢で。

 まるで昔に戻ったかのように錯覚させられてしまう。


「こんなの偽りだ」


 苦い顔で上内は呟く。


「嘘で固められた幻想だ。『本物』じゃない、唯の紛い物だろ。模造品だろ‼」


 上内は拳を強く握りつぶす。


「どうして俺の目の前に現れた?これも『天使』の策略か?なあ、神崎。俺に教えてくれよ。そんなに俺の『心』を壊したいのか?」


 対して。


「かもね」


 彼女は否定しなかった。


「あ、でも別に〝里留〟の精神を壊したいとかは考えて無いよ?今の、かもね、は前者の方に対して答えただけだからね、って今の言い方だとそう勘違いしちゃうかも。反省反省」


 と、相変わらず無邪気な笑みを浮かべていた。

 黒髪の少女は体勢を元に戻してクルリと上内に背を向け黒板の方へと歩き始める。


「確かに君の言う通り私は紛い物で模造品なのかもしれないね。こうやって肉体を持っていること自体おかしいことなんだし、偽物って言われたら偽物だね」

「だっだら――」

「でもさ、」


 上内の言葉を遮るように、まるで彼の考えを見通すかのように彼女は続ける。


「だけどさ、そんなの関係ないよ。今、君の目の前には『神崎セツ』が存在している。目の前に二本足で立って君と喋っている。それが例え亡霊だとしても確かにここにいる。それじゃあ、ダメなのかな?」


 上内は何も言わなかった。

 視線を下に向けて黙っていた。


「というか、君にとっての『本物』って何?偽りでも見せかけでもない混じりけのないモノ?君に対して嘘も建前も何もかもを無しに全てを曝け出しているモノ?それとも君自身が『本物』って認識したモノ?そんなの勝手過ぎじゃないかな。例え『本物』であったとしても君自身が、いや、それは偽物だーって言い張ったらそれで偽りになるんでしょ。だったらそこに本物も偽物も関係ないじゃん」


 少女は黒板の目の前まで行くとそこで立ち止まる。


「ねえ。再度問い掛けるんだけどさ、紛い物でも模造品でも偽物でもダメなのかな?」

「…、ダメだろ」


 ぽつりと。

 上内里留は小さく呟いた。


「こんなことしたって何の意味もないじゃないか。唯の自己満足だろ。唯の自分勝手な我儘で利己的なご都合主義展開だろ!それじゃあ何も解決しない。根本的な解決策にはならないんだよ‼俺が、俺自身が、『偽物』じゃなくて『本物』に‼言わなくちゃならないんだよ」

 ちょっとした沈黙があった。

 時計の指針の音がカチッカチッと鳴っていた。

 陽が後数分で暮れるところだった。

 上内里留は顔を俯かせていた。

 そして、

 そして、

 そして、

 目の前に立っている黒髪のクラスメイトは口を開いた。




 だからさ、重要なのはそこじゃないんだよ。




 と。

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