第5話 繰り返しの世界ーその3

「……、起きろ。上内、起きろ」


 頭上から声がした。それと同時に軽く頭を叩かれたような感触が伝わってくる。反射的に顔を上げるとそこには男の教師が目の前に立っていた。


「全く。授業中だぞ。眠いなら顔を洗いに行け」


 教師は上内里留かみうちさとるに注意をして教壇に戻り中断していた授業を再開させた。

 …。

 その言葉の意味を…、現状を把握するのに一分も掛からなかった。そこは上内里留の通ういつもの教室だった。どうやら上内は授業の途中で顔を伏せるようにして爆睡してしまったらしい。黒板に書かれた内容から察するに今は古典の授業を受けているとみていいだろう。

 懐かしの風景、久し振りに感じる雰囲気に困惑してしまい、


「は?」


 つい口に出してしまった。

 咄嗟とっさのことで頭が理解に追いつけず、何がどうなったのかサッパリ分からなかった。確かにあの時、上内は屋上から三度目の自殺を行った。行ったのだ。にも関わらず何故生きている?何故、平然と授業を受けている?

 これでは、死んでも死んでも死ぬことができず、まるで永遠に『自殺』を繰り返している、そう感じざるを得ない。この世界は何がしたいのか、上内に何を求めているのか、そもそもこの世界は夢で、幻想で、妄想なのだろうか。本当に『偽りの現実』で『空想世界』なのだろうか。

 情報が少なすぎてどれもこれも疑問で留まり続け、それ以上先に進むことができない。


「次の文章の日本語訳を神崎、答えてみろ」


 いや。

 唯一の手掛かりとすれば、上内が落下している時に僅かに見えた女性――、『天使』ならば何かしら知っているのではないのだろうか?恐らくこの現象の答えを、最低でもヒントかそれに繋がる『なにか』を。で、あるならば何が何でも『天使』に会う必要性がある。


「何度も言っているがこの文法は間違いやすいからきちんと覚えるように。それと助動詞は……、」


 しかし一体どうやって?この広い世界から人間でもない『天使』をどうやって探し出せばいい?サハラ砂漠を歩いている一匹の蟻を見つけ出すことよりもはるかに難易度が高いのではないのだろうか?

 すると『それは』いきなり現れた。




『よお、人間。しばらく振りだな』




 その声は相も変わらず肉感的で透き通るように甘く誘惑的な女性の声だった。

 バッ、と上内がそちらの方へ振り返ってみると、腕を組み背中を軽く棚に預けた恰好で立っている『天使』の姿があった。


『私を探し出そうだなんて、面倒なことは考えるな。時間の無駄だぞ』


 上内の心を見透かしたかのように『天使』は言った


「お前っ、一体どこから……⁉」


 その直後、妙な違和感を感じた。咄嗟に周囲を見回すと教室内にいる上内以外の人間の動きが全て止まっていた。教師は教科書を持って教壇で立ったまま、他の生徒も黒板の内容をノートに書き写している状態だったり他の授業の課題をした様子で停止していたり、まるで上内だけの時間が進んでいるかのようだった。慌てて立ち上がり、近くの席に座っているクラスメイトに眼前で手をかざしてみるが全くの無反応だ。震える手で上内は『それ』の頬に触れてみる。

 そこには『体温』があり『感触』があり『命』が確かにあった。


『よくできているだろう』


 淡々と言った。


『お前の記憶から全て敷き写しトレースさせ、その主観データを私の力で具現化させた、言わば虚物の『傀儡くぐつ』、とでも表現すればいいか。だから、』


 指を一つ鳴らした。


『これだけですぐに動き出す。私の意思通りにな』


 さっきの出来事が嘘だったかのように人間が動き始めた。上内の触れていた人間も同じように『時間』が再開されキョトンとした表情で上内のことを見ていた。


「何をしているんだ、上内?さっさと席に座れ」


 教師が、『偽物』が『傀儡』が上内に注意をする。他の『人形達』も『天使』を無視して独りだけ突っ立っている上内にだけ不思議そうに視線を向けていた。

 そんな状況を気にも留めずに、上内は顔を上げて『天使』に向けて言い放った。


「…、勝手に人の記憶を覗き込むんじゃねぇよ」


 その声は少しだけ震えていて、

 殺意がこもっていた。


『良い目をするじゃないか、人間』


 そんな上内を目にしてもなお『天使』の態度は何一つ変わらない。それどころか上内に対して嘲笑していた。


「上内、壁に向かって何を独りで話しているんだ。早く座れ」


 再度、教師は上内に注意をする。

 それでも上内は微動だにしない。


「いい加減にしろよ‼人を馬鹿にするような態度を取りやがって。お前の目的は何なんだ?何がしたい。一体何を俺に求めている?何度も何度も同じような世界を繰り返させやがって…。挙句の果てには俺の記憶を敷き写しトレースして人間を創り出すだと、どこまで人をおちょくれば気が済むんだ!!!!!!!!!!!!!!」


 上内は『天使』に対して怒りを隠しきれず叫んでしまった。


「おい上内、もう一度言うが誰に対して何を叫んでいるんだ?それともこういうことをして教師をからかっているのか?いい加減、こっちに顔を向けろ」


 苛立ちながら教師は上内に近づいていき、彼の肩を掴んで振り向かせた時だった。


『少し外野が五月蠅うるさいな』


 そう、『天使』が呟き、バチン、と指を鳴らした。

 その瞬間、上内の目の前でパンッと風船のように全ての『傀儡』が破裂して空中に消えていった。


「なっ、…」


 驚きを隠せない上内に対して『天使』は、


『何をそんなに驚いているんだ、人間?それを創り出したのが私なら、逆にそれを無に帰すことも可能なことは明白だろう』


 呆れた顔で溜息を付く。

 それを聞いた上内がまた何か言おうとすると、


『おっと。私の行動に対してお前から文句を言われる筋合いはないぞ。忘れたのか?私は『天使』だ。いちいち人間如きに指図されたくはない。それに、今は話を前に進めるべきではないのか?疑問に思っていることがあるんだろ。どうして『上内里留』をこんな『世界』に連れて来たのか、とな』


 上内は何も答えなかった。

 それを肯定の意味と受け取った『天使』は薄く笑った。


『では、話を続けるとしよう』


 棚に預けていた背中を離し、『天使』は誰も居ない教室の中をゆっくりと徘徊する。


『そもそも、お前をこの『世界』に連れてくる前に私は言ったよなあ、『天国に送るなんて勿体ないことはしない。是が非でも異世界に行ってもらおうじゃないか。』と』


 忘れたとは言わせないぞ、と『天使』は付け足し、


『そして、『必ずお前は私に懇願する。異世界に連れて行け、とな』とも言った。私はただそうなるように舞台を整え、実行していただけだ。人間の四字熟語で表すと『有言実行』だったか』

「何が、言いたい」


 机の上を指でなぞるように、ゆっくりと歩いている『天使』を上内は睨み付ける。


『察しの悪い人間だ。要するに、だ。お前の口から『異世界に連れて行って下さい。お願いします。』と懇願させるためだけに、この『世界』は創られた。お前の記憶を忠実に再現させてなあ』

「…は?」


 時間が止まった。

 そう錯覚せざるを得なかった。

 そんな上内を気にも留めずに『天使』は相も変わらずゆっくりと教室内を歩き回る。


『まあ、残念ながらこの程度ではお前を『絶望の淵に叩き落とす』ことはできなかったがな。これに関しては私も驚いているぞ。普通ならば自分に何らかの言い訳をして二度目の時点で自殺を諦めるものなのに』


 黒板の前まで辿り着いた『天使』は教壇を挟んで上内のいる方向へと振り向いた。


『さて、と。話は以上だ。これでお前の知りたかったことが分かっただろう。ならば、この『世界』に執着している必要はない。さっさと別の『世界』に移動するぞ。そうだなあ。今度は、『あれ』を主体にして創ってみるか。今までと色々と異なっているから面白いものが見られそうだ』


 まるでそれは、この出来事をゲームでしか考えていない、楽観的で短絡的たんらくてきな、軽い発言だった。

 だからこそ、許せなかった。


「ふざけんなああああああああああああああああ!!!!!!!!11」


 教室全体に響き渡るくらいに上内は叫んでいた。


「どれだけ人の心を弄べば気が済むんだ、お前は‼俺がどんな思いで『命』を絶ったと思っている?どんな気持ちで『現実』と切り離れたと思っている?分からないだろ、理解できないだろ。それなのに、それなのに…。何もかもを思い出させるような真似をしやがって‼」


 『天使』に勢いよく近づいた上内は教卓を挟んで『天使』の胸倉を掴む。


「何が『これでお前の知りたかったことが分かっただろう』だよ。そう簡単に納得できるわけがないだろ‼俺に懇願こんがんさせてどうする?俺を絶望の淵に叩き落してどうする?これだけの『力』があればそんなことをしなくても強制的に『異世界』へ連れて行けるだろ‼。何らかの『契約』を結ばせて『自殺を防ぐ』こともできるだろ‼どうして…、どうして、俺の心を壊しにかかるんだ‼」


 一刻の間。

 ハア、ハア、と息切れをする呼吸音しか聞こえてこなかった。

 ドクン、ドクン、と動く自身の心音しか聞こえてこなかった。

 きっと。

 上内にとって『過去』とは『触れられざる領域』で『天使』から――、『誰』からも容易に扱って欲しくないモノに違いなかった。

 それゆえに、感情が高ぶって激情してしまった。

 が。

 そんな『人間』に対して『天使』は冷静に言い放った。


『この手を離せよ、


 その声は冷酷で残酷で。

 そして殺意が籠っていた。


『そもそも、だ。お前は根本的に間違えている。『命』だとか『現実』だとか言ってはいるが、そんなこと『自殺した後から』取って付けた言い訳だろ。本当は微塵も考えて無かった。考える必要が無かった。なぜなら、お前は『自殺さえできれば』それで良かった、からだろ。違うか?』

「なっ…」


 僅かに上内の掴む力が弱まった。

 しかし『天使』はお構いなしに続ける。


『もっと言えば『自殺』以外に興味が無かった。その他はどうなろうと知ったことではなかった。無関心だったのだろ。無頓着だったのだろ。なあ。そうだろう?上内里留』

「そんなわけないだろ!俺は、俺は…」

『いい加減認めろよ。お前は唯の『死にたがり屋』だ』


 その一言で十分だった。

 上内は『天使』の胸倉をゆっくりと離し、一歩、また一歩と後ろに下がる。


「…、違う。俺は、ただ、俺は…」


 対して。

 動揺している上内を完全無視して『天使』は追い打ちを掛ける。


『お前の言い分は聞き飽きた』


 一つ、指を鳴らした。

 すると天井を初めとして壁、床がパズルのピースのように一つずつ崩れ欠け始めた。


『気が変わったよ。もう、いい。叶えてやる。そこの『死にたがり屋』の願いをなあ』


 全てのピースが崩れ落ち、消滅して。

 次の『世界』が訪れる。

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