第4話 繰り返しの世界ーその2

 人は自分の理解の範疇を超えたとき頭の中が真っ白になるようで、今まさに上内里留かみうちさとるはその状態に陥っていた。

 確かに自分は死んだ。

 死んだはずだ。

 体はコンクリートに叩き付けられ、至る所から骨が飛び出し、インターネット上に流出しているグロ画像のようになっていたはずだ。まず、助からない。

 にもかかわらず、上内は生きている。

 それも見慣れた高校にある保健室のベッドに横たわった状態で。

 大前提としてあの時、上内は病院の屋上から飛び降りた。

 そう。

 病院で飛び降りたのだ。

 それなのに何故学校にいる?どこから学校という選択肢が生まれた?普通なら真っ先に病院へと担ぎ込まれるはずだ。治療機関でもあり何より近場であるため他にない。(実際は、死亡していると判断されれば検死を行うため一度、警察の方に運び込まれてしまう)

 そんなことを考えていると突然、ベッドの周りを囲っているカーテンが開いた。


「あら、目が覚めたようね、上内」


 え?

 そこにはどういう訳か見知った顔の少女が一人立っていた。

 神崎かんざきセツ。

 上内のクラスメイトにして委員長。故に、面倒見が良く周囲からの評判も良好。さらに運動神経も抜群で毎年、体育祭の季節になると一躍スターとなる。その代わり成績はあまり優秀ではないが。


「えっと、今ちょうど起きたところだよ」


 戸惑いながらも上内は上半身を起き上がらせた。その時、自分の恰好が病衣から体操服に変わっていることに気付く。


「そう。体調の方は大丈夫?気分とか悪くない?」

「特に問題は無いよ。どこも痛くはないみたいだし」


 ありふれた会話。

 ごくごく普通の日常的風景。

 何だか久し振りに感じるこの感覚に上内はほんのちょっとだけ嬉しさを感じてしまう。


「なら良かった」


 窓から差し込んでくる陽光ようこうが異様に輝いて見えた。


「それにしても心配したのよ。体育の時間にいきなり倒れるんだから。こまめに水分補給しなかったでしょ。あれほど先生が言ってたのに、ホント人の話を聞かないよね」


 …。

 は?


「だから熱中症にかかるのよ。最近、日が強くなって気温も高くなっているんだから

体調管理には気を付けなさい」

「ちょ、ちょっと待って。え、どういうこと?」


 体育?

 熱中症?

 わけが分からない。

 すると神崎が上内の反応に対して納得したかのような表情で、


「あー、そっか。急に倒れたからその時の記憶が無いのね。貴方は体育の時間、炎天下の中水分補給もろくにしないでサッカーをしてたのよ。その結果、熱中症にかかってぶっ倒れたってわけ。分かった?」


 それを聞いて、さらに上内は困惑する。

 状況が明らかにおかしい。サッカーをした覚えは無いし体育なんてもってのほか。そもそも、病院の屋上から飛び降りたのにもかかわらず、熱中症で倒れた…、だなんて意味不明。それともさっきの出来事も夢だった?死ぬほどの痛みも意識を失う感覚も、五月蠅く鳴き続けるヒグラシも全部全部全部夢だった…?


「なあ、神崎、今日って何月何日だ?」

「確か、7月5日だったと思うよ。それがどうかしたの?」


 最初に飛び降りたのが8月28日で、その次がまだヒグラシが泣いていたし二日間昏睡状態だったことから(辻褄つじつまの合わない部分もあるが)恐らく8月30日。そして今回、7月5日。

 時系列が合っていない。


「…。本当に今日は7月5日なのか?8月だったりしないのか?」

「何寝ぼけたことを言っているの。そんなわけないじゃない」


 呆れたように神崎は言う。


「というか、もしも今日が8月だったら夏休みに入っているんだから学校に来るわけないでしょ。って、顔色が悪いけど大丈夫?」

「大丈夫。少し寝ればすぐに良くなるから」


 そう言って上内は体を横にして毛布を頭まで被った。

 そんな上内を見た神崎は、


「一応、先生を呼んでくるから大人しく待っていなさい」


 と言い残して保健室から出て行った。

 数分後、上内は起き上がりベッドから降りて廊下に出た。

 そして歩き出す。

 自身の死に場所へ。



                ☆



 昼休みなのだろう。至る所に学生がいた。

『おい、体育館で軽音楽部がライブするらしいぞ。早く行こぜ』

『待ってまだ飯買いに行ってない』

『ったく、しゃーねーなあ、俺が買いに行くからお前は先に行け』

 廊下を興奮気味に走り抜ける学生が数人いた。

『見て、これ可愛くない?』

『メッチャ可愛いじゃん。どこで買ったの?』

『良いなあ、私もそれ欲しい』

 教室で楽しく談笑している学生が数人いた。

『お前の球を必ず打ってみせる』

『できるもんならやってみろよ』

 校庭で元気に遊んでいる学生が数人いた。

 様々な学生の『生活音』を聞きながら上内は廊下を歩き続ける。

 まるでそれらから目を背けるかのように。

 拒絶するかのように。

 歩き続ける。



                ☆



 夏というものはどうしてこんなにも暑いのだろうか。少し歩けば汗をかき、外に出れば強い日差しが出迎える。しかもそれだけに留まらず蝉の鳴き声がやたらと五月蠅かったり、蚊が気持ち悪いほど湧いたりといい加減うんざりしたくなる季節だ。とにもかくにも夏を過ごす利点は学校側が与えてくれる夏休みと冷たい食べ物が美味しく感じられることくらいか。

 いや。

 現実に似せた夢を見せる、も付け加えるべきか。

 そのお陰で現実と対面せずに、何度も何度も死ぬシミュレーションができた。視覚や聴覚といった五感以外にも痛覚や温覚、圧覚などの体性感覚も変わらず、まるで現実にいるかのように思えた。まして人間関係ですら寸分違わず同じで、実際に起こっているかのように錯覚できた。

 だけど。

 そんな座興ももうお仕舞い。

 目の前に広がる地面に身を投げることによって。

 全てが、消える。

 全てが、終わる。

 そう。

 上内里留は今、学校の屋上にいる。落下防止用のフェンスを乗り越えた先の足場に立って。ここから飛び降りられれば上内の願いは叶う。欲しかったはずの現実も手に入るはずのない欲求も全部、全部、全部、全部、全部、全部――――。

 捨てることができる。

 そんな時だった。


『無駄な戯言ざれごとはいいからさっさと死ねよ』


 透き通るような声だった。

 誰かが軽く上内の背中を押した。

 無情にも抵抗できずに体は重力に逆らうことなく落ちていく。その最中、上内は視界の端で微かに捉えた。

 不気味に笑う女性の姿を。

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