第3話 繰り返しの世界ーその1

 五月蠅うるさく鳴くヒグラシが癪に障る。

 相変わらず、頭上にある夏空は憎たらしいほど綺麗で美しい眺めだ。

 上内里留かみうちさとるは独り、ベンチに座っていた。そこは公園でも広場でも、ましてや異世界でも無かった。

 そう。

 ここは病院。大勢の怪我人や病人を抱えている公共施設。

 どうやら上内はこの場所で入院しているようだ。その証拠に青色の病衣を着て、手首には患者認識用リストバンドを巻き、点滴を右腕に打たれている。

 上内は溜息ためいきを付いた。

 そして思い出す。ほんの数時間前のことを。




 見慣れない天井の次に飛び込んできたのは、家族の姿だった。父親の上内徹かみうちとおる、母親の上内瑞希かみうちみずき。そして妹の上内唯奈ゆいな。三人ともそれぞれ別のことをしていた。父は椅子に腰かけ本を読み、母は父に文句を言いながら荷物の整理を、妹はその手伝いをしていた。最後に会話をしてからそこまで時間が経過していないのにもかかわらず不思議と懐かしさ感じてしまうのはどうしてだろうか。

 最初に気付いたのは上内唯奈だった。

 手に持っていたフルーツバスケットを床に落としてしまう。


「おにい、ちゃん…?」


 小さな呟きだった。

 その言葉に反応して上内徹と上内瑞希は上内の方に視線を向けた。+


「里留、大丈夫か?どこか痛いところは無いか?母さん、一応看護師さんを呼んできてくれないか?」


 椅子の上に本を置き、ベッドの傍にあったナースコールを急いで押す。

 上内瑞希は父の言う通り慌てて病室を出て行き、上内唯奈もその後を付いて行く。

 数分後。

 看護師が母、妹と共に駆け付けて来た。すぐに上内の意識状態の確認をし、現症状の聴取を行った。

 そのタイミングで少し遅れて医者が部屋に現れる。

 そこから先は時間が経つのが早かった。

 レントゲンやらMRI、CTなど、検査、検査、検査の連続だった。その上、両親が伝えたのか、祖母や祖父といった親戚や知り合いが次々にお見舞いに来て、ゆっくりする暇もなかった。

 ようやく検査も終わり、落ち着きを取り戻したところで現在に至る

 涼風が吹きとても気持ちがいい。

 あと数週間で夏が終わるというのに相も変わらず蒸し暑い。

 そんな中、上内は自身の状況について整理していた。

 その一、丸二日間意識不明になっていた。

 ──屋上から飛び降りたのにも関わらず骨折等は無く奇跡的に軽い怪我程度で済んだ。

 その二、上内の転落について事故という形で処理されていた。

 ──老朽化ろうきゅうかによりフェンスが脆くなり、そこに体重をかけたことが原因だった。

 …らしい。正直、全て両親や看護師、医者から聞かされたことで実際のところは分からない。というか後者に関しては全くの偽りだ。あの時上内は自分の意志でフェンスを飛び越え、自殺した。これは変わりようのない事実で真実だ──フェンス自体きちんと補強されていて壊れるはずが無かった──。

 意味が分からない。

 何故、そういう結果で処理されてしまったのか。何故、誰も転落について事情を聴いてこないのか。

 謎が謎を呼ぶ。

 しかし上内にとってはどうでも良かった。

 いくら考えたところで自殺が失敗したことには変わりない。だったらもう一度やり直せばいい。

 ただそれだけだ。

 静かに、ゆっくりと、上内は腰を上げた。

 そのまま屋上の外周に設置されている柵まで近づき一回目と同じように飛び越える。三十センチにも満たない足場に立ち下を覗き込んだ。

 ここは十二階建ての病院の屋上。流石にこの高さから落ちれば確実に死ぬだろう。

 少し傾き始めた太陽が視界に入り少し眩しい。

 それにしても一つだけ気になっていることがあった。

 あの夢は一体何だったんだろう。『天使』と名乗る女性が現れ自分に『天国』か『異世界』か、選択する権利を与えてきた。結局、謎の光により夢から覚めたのだが、もしもそこでどちらか選択していたらどうなっていたのだろう。

 まあ今となっては確認しようもないが。

 一つ、深呼吸をした。

 心音が自分の耳にまで聞こえ、変な汗をかく。

 そして上内は空中に体を預けた。

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