第2話 死の先で出会ったモノ
死の瞬間というものは意外と恐怖なんてものはなくて不思議と落ち着いていた。
――嗚呼、やっと終われる――
――やっと解放される――
死の
だってこれが彼の望みだから。
だってこれが彼の願いだから。
他に欲することも求めることもしなくなり、いつしか『それ』しか残らなくなった。
飛び降りてからほんの数秒。
痛みが全身を支配し、指ですら動かすことが不可能となっていた。
落ちた衝撃で内臓はぐちゃぐちゃになり、骨も所々粉々になっている。
息を吸おうにも上手くできない。
――これでやっと手に入る――
だけど上内里留には関係なかった。
衰弱していく体に、急激に奪われていく命に、見向きなど一切しない。
唯々、目の前にあるはずの『希望』を見据えるだけだった。
ここ最近毎日のように
夏の終わりを告げる風物詩の一つ、と言えば聞こえはいいが実際はどうなのだろうか。
相変わらず、頭上にある夏空は残酷なほどに綺麗で美しい眺めだった。
そんなくだらないことを考えながら。
そして。
段々と薄れていく意識の中、
☆
一体ここはどこなのだろうか。
見渡す限り、闇、闇、闇──。
黒一色に染まった世界だ。
確かに自分は死んだ。
死んだはずだ。
手足の感覚が徐々に薄れ、眠るようかのように意識が遠ざかっていくのを実感した。
ならばここは天国か地獄、又は
だとすれば更なる疑問が湧き出てくる。
どうして周囲の状況がこんなにも暗いのか。
どうして五感が残っているのか。
どうして魂だけではないのか。
どうして──、どうして──、どうして──。
上内は混迷する。
勿論、『ここが死後の世界だから』と言われれば納得せざるを得ない。死後の世界がどんなところで何をする場所なのか誰一人、見たこともなければ聞いたこともないのだから当たり前だ。そもそも、そういった場所は殆どの場合、人間の『願望』であり『想像』であり『妄想』だ。
であるならば、ここは死後の世界ではない可能性が出てきた。あくまで『空想の産物』であるのだから存在するはずがない。
が、しかし、だったらここはどこだ?死後の世界ではないとすると現実世界で合っているのか?
もう一度周囲の状況を確認してみる。
永遠と続くかの
本当にここは現実世界なのか?
仮に現実世界だと定義したとしても違和感しか抱かない。
自分は屋上から飛び降り全身を強打した。頭から血を流し、脳が痛み以外を感じなくなって、まさに瀕死の状態だった。
にもかかわらず、現状、どこも痛くない。もっと言えば恐らく、感覚的だが掠り傷すらないだろう。それに、誰が何の目的でどうやって自分をこんなところまで運んできた?
考えれば考えるほど現実味を帯びてこない。
となると……、やはりここは死後の世界……なのか?
同じ思考が何度も何度も頭を巡り結論が見いだせない。
完全にお手上げ状態だ。
上内は溜息を付く。
このままこうやって座っていても何も解決しない。
しかし、だからといってどこへ向かう?
一面真っ黒に染まった世界でどこに向かう?
…。
さて、どうしたものか。
「上内里留。男。16歳。高校一年生。生年月日は6月4日。双子座。好きなことはゲームで、嫌いなことは面倒なこと。これといった趣味はないが、最近読書にハマっている。両親ともに健全で三つ下に妹がおり4人家族で生活している」
声が聞こえた。
それは肉感的で透き通るような女性の声だった。
同時にコツコツと、ハイヒールの足音が聞こえてくる。
「学校の成績はそこまでよくはないが、運動神経が抜群なのか体育だけは毎年評価が高い。その運動神経を生かして運動部にでも所属しているかと思いきやめんどくさいの一言でどこにも入っていない。いわゆる帰宅部。人間関係に関して友人と呼べる者は多くはないが、他人以上、友人未満の関係は多く持っている」
その音は段々と上内の方へ近づいてくる。
そして、目の前で止まった。
「この資料を見る限りでは、お前はどこにでもいる普通の高校生のようだな。勿論、備考を含めても、な」
美しい女性だった。
ウェーブのかかった金色のロングヘアに真っ赤な瞳。真っ白な肌が服から露出している。片手には彼女の手のひらよりも少し大きい厚い本が開いた状態で乗っていた。
「誰…だ?」
訝し気に上内は問いかける。
だが眼前の女性は、その問いかけに対して薄ら笑いを浮かべるだけだった。
「備考として性格に難あり。ひねくれ過ぎて素直に物事や行為を捉えることができない。例えば、人からの好意に対して何か裏があると感じ警戒したり、自分の本音を周囲にぶつけることができなかったり、根本的に他人を信用していない。いや、これは、――。まあ、どうでもいいか。自殺を行った動機についてもこれが関係している。なぜなら―――――……」
「黙れ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」
女性の言葉を上内は遮った。
少しの間、沈黙の圧が空間を襲う。
先に口を開いたのは上内だった。
「もう一回聞くけど、アンタは誰だ?」
興奮を無理に抑えているような声だった。
「私か?私は、『天使』。とは言っても、お前のいた世界みたいに善良な行いをする『神の使い』とはまた別だけどな」
呆れたように『天使』は言う。
「全く。空想上の生物に対してお前達人間は一体どんな期待をしているのか。宗教や信仰によって、違いがあるとはいっても解釈は同じだ。くだらない。何を根拠にそう決めつけているのか…、嗚呼、思い出した。『旧約聖書』や『新約聖書』、『聖書偽典』、『ヨハネの
「そんなこと俺が知るかよ、自称天使」
さらりと言った。
「ほう、私のことを自称天使だと言うのか」
しかし、その発言に対して『天使』は腹を立てるどころか愉快そうに答えた。
「当たり前だろ。お前が天使だっていう根拠が一体全体どこにある?目の前にいきなり現れて、『私は天使だ』なんて言われて、誰が信じる?その判断材料なんてどこにもないだろ。だったら自称天使と呼ぶしかない。それ以外に呼び名もないしな。何か問題でもあるか?」
「成程。相変わらず、馬鹿みたいにひねくれているな。おい人間。その理論は唯の『屁理屈』だぞ。まさか、『理屈』だと考えているわけではないよな?普通の人間なら、相手のことを信用するはずだ。無条件で、な。それが人間の性質だから当然だよな。だが、どこぞの人間はそうしなかった。そうすることを無意識的に拒絶した。哀れで救いようがないな。まあ、だからこそお前は輝けるのだから別にいいか」
『天使』は笑っていた。
「良いだろう。特別に見せてやろうじゃないか。しかと目に焼き付けておけ」
そう言って『天使』は、手に持っていた本をパタンと閉じた。
その瞬間、彼女の背中から六枚の紺色の翼がバサリと現れ、さらに彼女の周囲には白く輝くガラスの欠片のようなものが漂い始めた。
いつの間にか目の色が淡い紫色に変わっている。
「これでも信用できないか?まさか頭上に輝く金色の輪が無いから天使ではない、なんて戯言を抜かすなよ。そんなもの人間どもが勝手に想像し、創り上げたものだ。実物を見たわけではない。全てフィクションだ。であるならばお前の認識している『天使』の容姿が正しいとも限らない」
「勝手に俺の考えを読んだ気になるんじゃねぇよ。てか、別にわっかが無いからって疑ったりしてないし。ちょっと驚いただけだ。あんたが『天使』ならここは死後の世界ってことだろ」
フム、と『天使』は顎に手を当てて、
「『死後の世界』と言えばそうだがそうでないと言えばそうではない。中途半端であやふやな、不安定で不確定な世界。だが、お前にはどうでもいいことだ」
理解の追い付いていない人間に対して『天使』は言い渡す。
「選べ。天国という名の実質的な救いの場に行き次の『生まれ変わり』が発生するまで何もせずに呆然と無駄な時間を過ごすのか。それとも異世界という現実からの逃避場に行き特別な力を駆使して人間の夢見る『理想の世界』を築き上げるのか。さあ――、どちらがいい?お前の望む方を叶えてやる」
どちらの選択肢が最良でどちらの選択肢が望むべきものなのかは明白だった。
恐らく年頃の人間であるならば、十中八九そちらを選ぶはずだ。
そこに例外も異例も何もない。
なぜなら、誰もが『理想の世界』に憧れ、欲し、手に入れようとするからだ。
が。
「前者」
上内里留は違っていた。
「ほう。理由は?」
その答えに対しほんの少し目を細めて『天使』は人間に尋ねる。
「理由…か。特に考えてねぇよ。まあ、強いて言うなら想像したことが無いからじゃないかな、『理想の世界』ってやつを。そもそも、俺はそんなものに興味が無い、っていうかどうでもいい。普通に生活ができればそれでいい。だったら『生まれ変わり』の方を選択するさ」
それを聞いた『天使』は顔を俯かせて肩をプルプルと震わせ――…。
そして腹を抱えて大爆笑していた。
「な、なんだ、その恥ずかしい理由は。くっくっ…、これは面白い。最高だ」
涙目になりながら言う。
「まさか、自殺した人間の口から『理想の世界』に興味がない、と聞けるとはな、フフッ、これを笑わないでどうする」
『天使』は目の前にいる人間に構わずひとりでに笑い続ける。
その姿を見た上内は不貞腐れた態度で、
「うるさい。そんなの俺の自由なんだから別にいいだろ。お前には関係ない」
「いやいや、すまない。確かにお前の自由だな。私には一切合切関係ない」
一応、謝りはするが悪びれる様子が全くない。
「何かを考え、感じ、結論を出すのは人それぞれだ。十人十色という四字熟語があるくらいだしな。個々の思想を尊重するのは当たる前だ」
ただ、と『天使』は顔を上げて人間に問いかけた。
「お前は他の人間と違うとでも思っているのか?」
と。
上内里留は何も答えない。
『天使』は続ける。
「もしもそう思っているなら滑稽だな、人間。それは唯の妄想で迷妄だぞ。いや、より正確に捉えるのであるならば『他者と別の主観を展開できます』、『普通より斜め上の視点を持っています』と勘違いしているお恥ずかしい少年、とでも表現した方がいいか?そんな勘違い野郎には一応言っておくが、お前はあくまで『普通』で『平凡』だ。そこは誰とも『他の人間』と何一つ変わりはしない。絶対にな。だからこそ、お前はd───………」
「黙れ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」
二回目だった。
だが、先程と違って上内は止まらない。
「お前に俺の何が分かるっていうんだ!!!!何も知らないくせに、何一つ理解してないくせに語ってんじゃねーよ!!!天使だから何でもお見通しって言いたいのか?人間じゃないからどんなことでも言い当てられるって言いたいのか?冗談も大概にしろよ。どれだけお前が偉いのかは知らねーけど、人間のことをそう簡単に、努力も無しに理解されてたまるか!!!!!」
この真っ暗な空間の中、上内の声だけが響き渡った。
ハア、ハア、と荒い呼吸をする。
そんな上内の本音を聞いた『天使』はニヤリと笑い、
「やはりお前は面白い、気に入った。天国に送るなんて勿体ないことはしない。是が非でも異世界に行ってもらおうじゃないか。そこで、お前が何を感じどう動くのか、とても興味がある。だが、今の状況で無理やり転移させたとしてもすぐに自害をするのが目に見えている。それをされてしまったらたまったものではない」
「だったらどうするつもりだ?俺が自分から選択するまでここに一生閉じ込めるか?」
嫌味ったらしい口調の上内に対し、
「それも悪くはない、が」
と、『天使』は言う。
「もっと効率的で、お前を絶望の淵へ叩き落す方法を使ってやる」
笑顔で、だけどどこか不気味な表情を『天使』は浮かべる。
「断言しよう。必ずお前は私に懇願する。異世界に連れて行け、とな」
そして、『天使』は両手を大きく広げ、見下すように言い放った。
「さあ、上内里留。せいぜい抗えよ」
直後の出来事だった。
闇一色に染まっていたはずの世界が真っ白く輝き始めた。
眩しいくらいの光が上内を襲う。
何かが。
始まる。
───。
───。
───。
───、次に上内が瞼を開くと、見慣れない天井が飛び込んできた。
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