第4話 特別講義

翌日はよく晴れた晴天の中、律樹の通う大学は今日来る有名音楽家の特別講義に胸を躍らせていた。

朝から音楽専攻の学生たちは自分たちの楽器を手に入念に練習をしている。


律樹もいつもより早く登校をしている。

部屋の一室で圭と一緒にヴァイオリンを演奏している。

律樹はドイツにいる間、ヴェルチェ先生の元で指南を受けていたからあまり緊張という言葉を感じることはないが、圭の場合、初めて会う憧れの先生であるからこそ先ほどから指がもつれたりしている。

「圭、また音外しているよ」

「悪い」

構えていた姿勢をほぐすと息を一つついた。

「緊張しているの?」

「ああ、雲の上の存在の人に会えると思うと」

そういう彼のしぐさがかわいくて、ここが学校だということを忘れてキスをする。

不意打ちにきょとんとする圭に思わず笑えた。

「そんな緊張しなくても」

けらけら笑いながら隣に腰を降ろし、下から見上げると彼の瞳には熱を帯びていて、妖艶に写る。

次第に近づく顔に、律樹はさりげなく目を閉じると、彼の唇がゆっくりと重なる。

外から中が見えないような仕組みになっているから、中で何をしていようと問題はないのだ。

重なる唇はより深く交わり、圭の手が怪しく律樹の体をまさぐる。

響く水音により興奮してしまうのは、彼を性的に好きだからで、始まった行為は止まることを知らない。

体を重ねれば重ねるほど、一層深くなるお互いの思い。

周りからは理解されなくとも、それでもいい。

「圭‥‥もう‥‥」イキそうになる律樹は押し寄せてくる快楽にあえぐ。

ラストスパートをかけるように律樹を責め立てる圭。

体を大きくくねらせて彼は果てた。同時に圭も果てると荒い息が部屋に響く。

圭は汗をかいた律樹の体をふくと手早く身なりを整えさせる。

まだ、紅潮した頬に軽くキスをすると自分も身なりを整え用意していた水を口にふくんだ。

事情後のこのまったりとした空気が好きな律樹は重い腰を上げて圭を背後から抱きしめる。

「圭‥‥」

いつもそばで支えてくれた彼。どんな時も、そばにいて励ましてくれた彼の存在は今では自分にとってかけがえのない存在だった。

彼の背中に顔を押さえつける。

かすかに香る彼に匂いに安心感を感じるとそっと離れてヴァイオリンを片つける。

二人が向かった先は本日開かれる大学で一番広いホール。

ここではコンサートも行われるほどの広いホールに続々と集まる生徒。

数人の音大の講師も集まり準備を始めている。

律樹も準備を始めると、ズボンのポケットに入れていたスマホが鳴っているのに気づく。

そこには『柚葉』という文字。

『もしもし?』

(兄さん、そっちに先生たちはもういる?)

『いや、まだいないけど』

柚葉の言葉に嫌な予感がする。

電話の向こう側にはかすかに良の声が聞こえる。

(今起きたとこだから、先生たちのことはよろしく)

と一方的に電話を切ると、溜息がでる。

相変わらずマイペースな彼女に突っ込む気力もなくもくもくと作業を始める。

少しして、ヴェルチェ先生一行が到着。

席に案内されると、歓迎の印として生徒たちの演奏が始まる。

この演奏される曲は次のコンテストでの発表曲。

今日一番の出来栄えに先生の指南を受け各自練習に勤しむ。

各パートに分かれて、先生がそこを回る。

丁寧かつ的確な指導に生徒たちはその日のうちにみるみるうまくなる。

練習に集中していると、ふいに開いた扉からは寝坊して到着した柚葉が相変わらず締まりのない服装にぼさぼさの髪の毛を一つに束ねて現れた。

ヴェルチェ先生も柚葉が来たことを確認すると、開いていた講師陣の席に座らせる。

先生たちに挨拶をすると、そのまま視線は生徒たちの方へ。

日本の大学に興味がある。

日本の学生の音楽のレベルに興味がある。

兄が演奏するヴァイオリンを見てみた。

だから、今日は本来は入れない部外者が見学と称してこうして兄の演奏する姿を見ている。

演奏している姿を見ていると、どうしても死んだ兄と姿が重なって、目頭が熱くなる。

泣いちゃいけない。

きっとこうなることは分かっていたから眼鏡をかけてきたのだけれど。

やはり血のつながった兄弟だ。

しぐさや雰囲気が似ている。

しばしその姿を見ていると、ふいにヴェルチェ先生に手招きされて舞台へと向かう。

『彼はピアノ専攻らしくてね、彼を少し指導してあげてくれないか?』

視線の先には、優しそうな顔立ちの青年だった。

軽く会釈をすると、彼もそれを返してはくれたが、私は今日、見学なだけのつもりだったので、予想外の展開に困ってしまう。

『先生、私が教えるよりも先生が教えられたほうがいいのでは?』

確認のためにそういうと先生は『問題ないよ』と言って背中を押される。

席を2つ用意されて開いた方に座る。

『とりあえず弾いてみて』

そういって弾き始められた曲はビバルディの『四季』第一楽章の冬だった。

それはピアノで演奏されるというよりかはどちらかというと弦楽器、バイオリンやチェロといった演目ではある。この曲をなぜ彼が選んだのかはしらないが。

一曲弾き終わると、彼はしっくりと来ないのか難しい顔をしている。

『かわって』

そういって、彼と席を変わると、同じように弾き始める。

周りで演奏していた人たちは柚葉が演奏を始めると自分たちの練習を中断してその流れるメロディーに耳を傾けていた。

それは、彼の演奏よりもさらにはっきりと鮮麗された音だった。

弾き手によりここまでのさが出るのかと皆が思った瞬間でもあり、また、さすがは世界有数のピアニスト。

バイオリン演奏と変わらない音でピアノを奏でる。

演奏が終わると、周りから拍手が生まれた。

彼も、感嘆の声を漏らす。

『この違い分かる?』

そう尋ねると、彼は言った。

「僕の演奏は音がぼやけるというか」

『そうだね、一つ一つの音が重なりすぎてなんだかパッとしない』

二人並んで鍵盤をたたく。

キーは違えど指の動きを確認している。

彼はまだはっきりとした指使いが出来ずもつれてしまっている。

それを永遠と繰り返し練習している。

午前の部が終わり、昼食を取りにホールを後にする。

生徒が掃け、柚葉はまだ、ピアノの前から動かずにいた。

先ほど指導していた青年も断りを入れて席を立つ。

人気が無くなったことを感じると持ってきた兄のバイオリンを手に弦を弾く。

音がずれている。と感じて調整するが思った音が出ない。

「貸して」

突如頭上から降ってきた声にびっくりして振り返るとそこには、会いたくなかった兄の兄の元恋人の千佳がいた。

彼は柚葉からバイオリンを取り上げると、調節し始める。

「はい」

手渡されたバイオリンはしっかりとした音を奏でた。

『ありがとう』

そういうと、バイオリンをケースにしまう。

「弾かないの?」

『私のではありませんので』

「誰の?」

『ところで、あなたはなぜこんなところに?』

「ここの学生だから」

彼が持っている楽器は形状からしてバイオリンだろう。

「君に直接謝りたくて」

そういう彼を怪訝な表情を浮かべる。

次に口を開こうとした瞬間、入り口から大きな声で誰かが呼ぶ。

そこには良がいて。

鬼のような形相でこちらをにらんでいる。

スタスタとさっそうとこちらに近づいてくる良。

かなりご立腹のようだ。

腕を乱暴に掴まれて引きずるように会場を後にする。

『痛い』

訴えても辞めてくれないのが良だ。

横暴で暴君な彼はそのまま、個室の部屋へと無理やり入っていく。

そこはピアノが一台置いてあって、おそらく個人で練習する部屋なのだろう。

「良さんやい、いい加減にしないと柚葉さん怒りますよ」

久々にしゃべる日本語に、良は鼻で笑いながら言った。

「ふざけんなよ。浮気か?」

それはさっき、兄の元恋人と一緒にいたことを指しているのだろう。

「そんな風に勘違いするって、何かやましいことでもあるんですか?」

そういうと、良はポケットから紙きれをだした。

そこには千佳の連絡先がかかれていた。

(なるほどね)

私室を一緒に使っている良だから見つけるのも簡単だ。

何を勘違いしたのか、私が千佳と連絡を取っていると勘違いしたみたいだ。

「向こうが一方的に渡してきたの。登録すらしてない」

否定の言葉を口にするが、俺様大魔王様の良はかなりご立腹のようだ。

そんな彼を無視してピアノの蓋を開けて弾き始める。

すると、彼は後ろから覆いかぶさるように座って、私のお腹に腕を回してきつく抱きしめる。

(苦しい…)そう思っても、彼が今非常にご立腹なのと、不安がっているのを知っていたので、あえてここは何も言わずにいる。

彼との出会いは幼稚園の頃だった。

ご近所というのもあって、1つ年上の彼は、やんちゃで外交的、いつも人の輪の中心に立っていて何をするにも一番目立っていた。

家族ぐるみで中が良かったので、兄達とよく一緒に遊んだりもしてたっけ。

彼は音楽には疎く、どちらかというと運動が好きな分類。

よく泥だらけになってはあちこちけがをしてた。

直接的なかかわりがなかったが、ある日小学校高学年になったとき、彼が両親の都合でうちに泊まることになった。

初めて顔を合わせた彼の第一印象は悪ガキだな。と率直に感じたのを今でも思う。

それから、寝る部屋がなくて一緒に寝ることになったはいいものの。

今でも思い出すと、あれは最悪だった。

高学年といえども良は中学生で私は6年生だったから異性を意識し始める年ごろ。

まあ、私に関しては兄達もいるので、良を異性と感じることはなかったが。

夜、布団に入って寝ようとする。

床に敷かれた布団に入る良は、自分が布団なのが気に食わないと言い出した。

内心、ここは私の部屋なのだが。

と突っ込みたくなったが、大人な私は我慢して、彼にベットを譲る。

それでも彼は違うといい始め、私はイライラのあまり怒った。

「君さ、いい加減にしてくれない?さっきからなんなのよ」

彼は黙りこくると、自分の隣を空けて、「こい」とぶっきらぼうに言う。

「いや、おかしいでしょ。ってか、そんな狭いベットで二人で寝るには狭すぎる」

突っ込みもあえなく、強引に良に引っ張られて隣に横になると、彼は満足そうに言った。

「お前の兄ちゃんたちと寝る時もこうだぞ?」

「兄達と一緒にしないでもらえる?」

「お前って、根暗で引きこもりなんだろ?」

「根暗かどうかは知らないけど、引きこもりに関しては否定しない」

そういうと、彼を無理やり寝かしつける。

秒で眠りに落ちた良を確認するとゆっくりと起き上がり、彼を起こさないように部屋をでる。

向かった先は地下室に用意してあるピアノ部屋。

夜中になってはいるが完全防音の部屋なので、気にせずにピアノの練習をする。

薄明りの中、練習を続けていると、急に部屋のドアが開かれる。

そこに立っていたのは先ほどまで寝ていた良で、「何してんだ?」と不機嫌を醸し出して彼は言う。

それに返事をせずにピアノのに向き直ると、彼はいらだったのか柚葉に詰め寄る。

そのまま、背もたれのある椅子と私の間に無理やり座るとお腹に腕を回し強く抱きしめるのだ。

彼は小さくつぶやく。

「急にいなくなるな」と、いつもの彼とは打って変わって捨てられた子犬のようだ。

そんな姿に思わず謝ってしまう私がいて。

その日は彼が寝ているにも関わらず、私は永遠とピアノを弾くのだ。


そんな初めての出会いを思い返して今の状況と比較をすると何も変わっていない。

ピアノを弾きながらクスリと思い出し笑いをしていると、不機嫌な声が頭上から聞こえる。

そして、不意打ちにも彼は私の耳を噛むのだ。

「いたっ!」

噛まれた耳を抑えて彼をにらみつけると、獲物を狙った動物のような鋭い眼光でこちらを見ている。

そのまま吸い寄せられるようにして合わさる唇に、いつからこんな関係になったのかを思い出していたが、与えられる刺激に、真っ白になる頭ではどうしても考えることが出来なくて。

流れにそのまま体を重ねる二人。

彼には噛み癖があるのかよくうなじを噛まれては歯形をくっきりとのこしている。

今日も彼は構わず、2日前に着けた噛み痕を上書きするかのように噛みつく。

瞬間、艶のある声が漏れるが、必死に口を手で押さえ声が漏れないように我慢する。

それを見て楽しんでいる良はやっぱり大魔王なのだろう。

腰の動きを速める。

果てる間際の高見までのぞり詰めると、唇を強引に重ねて私の中で熱いしぶきが飛び散る。

弛緩する中に彼は満足そうに自身を抜き去ると、再度唇を重ねる。

事情後は毎度体がだるい。

彼に倒れこむようにして、抱き着くとそのまま瞳を閉じる。

「寝るなよ」

甘く、官能的にささやく彼の声に再び熱が燻り始めたが、今は眠気の方が勝っていてそれどころではない。

彼の胸の中でまどろんでいると、本格的に眠くなってきた。

次第に薄れ行く視界に、大魔王良様は満足な笑みを浮かべていたのだ。

目が覚めると、そこは見慣れた自分の部屋で。

お腹に回る重みに顔をしかめながらその様子を見ると、そこには良の腕が巻きついていて、自分の中で納得しているとあたりを見渡す。

あのあと、寝てしまったのを、彼が家まで運んできたのだ。

そっと、彼の腕の中から抜け出すと、朝、律樹たちが淹れていたコーヒーをカップに移すと乾いた喉に流す。

そのままコーヒーのカップをもって自分の部屋に戻るとそこには、けだるげに上半身だけを起こして頭を掻いている良がいた。

しばし、彼を眺めていると、何も言わない柚葉の方に視線を向ける。

視線が合わさると、先に目をそらしたのは柚葉で、彼女はそのまま部屋の中央に置いてあるピアノの前に座る。

彼は黙ってその姿を見ている。

これは出会った時の時から変わらない光景だった。

柚葉がピアノを弾いているときは彼はただひたすらその姿を黙ってみている。

何が楽しいのか、彼は飽きないそうだ。


「良は学校に行かなくていいの?」

「もうすでに高校生は夏休みなんだよ」

「へー、日本の高校って夏休み早いんだね」

「ドイツだとどんな感じなの?」

「うーん、日本の一学期が4月だったら向こうは9月かな」

「じゃあ、今は冬休み的な感じなんだ」

「ああ、そうだね。日本で言うとそんな感じかな?でも、籍を置いているだけだからあんまり関係ないかな」

「そっか、算数とかできるの?」

「一応はできるかな。日本とのレベルの差がどれくらいあるかわからないから何とも言えないけど」

「よし、ならこの問題を解いてみるがいい!」

そういって出された問題集に目を向ける。

「日本語だ」

そういうと、彼は朗読し始めた。

理系科目はもくもくと解いていく。文系科目は全くわからないのでパスだ。

「へー、普通にできてんじゃん」

「バカにしないで頂きたい。それなりに勉強は得意な方なんだから」


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