第2話 迎えた2度目の人生

朝起きると、横で寝ているはずの圭はすでにおらず、寂しさを感じるが彼は朝食の準備をしているのだと知っっているからこそ泣かずにいれる。

よく、目を覚ましたら横にいなくて、泣いていたっけか。

今となれば、女々しいやつだなとわれながらに思う。

けだるい体を起こして、リビングで朝食の準備をしている圭のもとに。

彼はすでに準備を終えていたのか、色とりどりの朝食が置かれている。

「おーはーよー」

圭を背後から抱き着くと、頬をすりよせる。

優しく頭を撫でられると、「おはよ」とさわやかに言われるので、イケメンだ。と心がトキめいてしまったのは内緒にしておこう。

タイミングよく準備されたコーヒーを受け取るとそのまま食卓のテーブルに腰を降ろす。

「柚葉はまだ起きてないの?」

「ああ、朝方まで練習してたみたいだから」

そういって、圭は「起こしてくる」と彼女がいるピアノの部屋に向かう。

それを目で追いながら置かれている新聞へと手を伸ばす。

日本の新聞には、今話題の事がかかれている。

圭が戻てくるまで、読み続ける新聞。


彼女がいる部屋に向かったはいい。

扉を開けるまではいつ戻り。

だが、中を開けた瞬間。

彼女は床に仰向けで、ピアノの椅子に両足を乗せて寝ている。

乱れる髪は楽譜と一緒に散乱していて、白いパジャマを来ている彼女の寝顔は天使そのものだった。

「柚葉、気絶するのはいいが朝だぞ」

控えめに声をかけるが彼女はびくともしない。

ベットの方をみると、そこには自分の寝床と言わんばかりに大の字で寝る世良 良はひさんな寝相だった。

仕方なく彼女を担ぐとそのままリビングに連れていく。

律樹はそんな姿を見ると諦めにも似た表情で用意された朝食を食べる。

未だに固く閉ざされた瞳。

起きる気配を感じないが、今日はコンサートなので、準備をさせなければならない。

2人はもくもくと口に運ぶが、1人はうとうとと寝ている。

2人は気にせずに朝ごはんを平らげると、そのままコンサートの準備へ。

それから準備が出来、またしても柚葉を寝間着のまま抱えると車にのせ、コンサート会場へ。

運転手はもちろん圭。助手席には律樹が乗っていて腕を組みながら寝ている。

後部座席には柚葉が寝そべっている。

いつ見ても幻滅してしまう光景だ。

今日の会場は武道館で行われる。

会場に近づくと、前日に受け取っていた通行書を警備員に見せると誘導にしたがって中に入る。

すれ違い際、今回一緒に演奏する日本の楽団がすでに到着して準備をしていた。

団員の人たちは音大生で、今回は特別出演らしい。

だから、律樹も準備を一緒にしていたのだ。

車を止めて、柚葉の専属のマネージャーに電話。

(もしもし?)

女性の声が電話口で聞こえる。

「お久しぶりです。春沢です。今着きましたので」

簡潔に伝えると、電話を切って、柚葉を抱き抱えると、目を覚ました律樹も起きてくる。

「ふあー、よく寝た」

そういって伸びをする彼。

あくびをしたから涙目になっている。

未だに寝ている彼女を抱えたまま控室に向かう。

すれ違う人々に凝視されながらも控室に着くと、マネージャーのヴァレンシアが待っていた。

「あら、相変わらず寝坊助さんね」

そういって、柚葉をべしべし叩いて起こす。

うねり声を上げながら起きた主役は夢と現実のはざまで葛藤をしている。

長年、サポートをしてきた彼女は、柚葉の起こし方というのを熟知しているみたいでお気に入りのコーヒーを入れると柚葉に差し出す。

すると、彼女は一気に覚醒したのか大きな瞳を見開きコーヒーを受け取って口にする。

『おはよ』

ドイツ語の柚葉は誰に挨拶をしているのか分からないが、小さな声でそういった。

「じゃあ、俺達はこれで」

2人は軽く挨拶すると控室から出て、各自自分たちの場所へと向かった。


コンサート会場は溢れんばかりの人で埋め尽くされている。

まるで、有名アーティストがライブをするような状況だ。

だが、周りを見渡すと、ドレスコードを着ている人や、制服、スーツなど身なりをきちんとした人々が多かった。

これが、ライブとの違い。

敷居が高く、高級感のある人々に恐縮しながらも高良 千佳は幼馴染の紅 奏と一緒に会場の中に入ろうとしていた。

「うわー、すっげー人」

興奮する奏に俺はクスリと小さく笑みをこぼすと、照れくさそうに奏は言う。

「だってさ、俺たちの夢じゃん!武道館ってさ」

そういう奏。それはバンドを立ち上げたときに夢は武道館ライブだ!と誓いあった日のことを思い出した。

「そうだな」

小さく返事をする。

千佳もヴァイオリニストだが、それは一般的にうまいレベルで、バンドに関してもここまで大きな会場でやることすらできないレベル。

それを柚葉はやってしまうのだ。

しかも、今回のチケットも即完売してしまうほど。

ネットオークションでは入札額が40万となっていたのを後になってから聞いた。

春沢 柚葉のコンサートは年に数回しか行われないと有名だ。だから、世界各地から人が集まり、各地で行われるコンサートに参列。

前回はイギリスでやったとか。

そして今回は日本で行われ遠い人だとブラジルから来日している人もいるそうだ。

いつの間にか世界レベルにまで成長した元恋人の妹。

同じ音楽業界の人間として圧倒的なレベルの差に辛くなる。

会場の中はすでに観客が席についていて、見渡す限り人で埋まっていた。

ところどころスタッフが相手の国の言語で応対している。

腕章にはしゃべれる国の印が書かれている。

さすがは、トップレベルとなるとこういった対応もしっかりとしているんだなと、内心関心する。

「にしても、やっぱすげーよな。見てみろよ、オーケストラ付だぜ」

正面に位置する舞台上にはオーケストラのひな壇とその中央にはグランドピアノが設置されている。

そして、ピアノの付近を囲うように、ドラムとアンプが設置されていて、今回のコンサートのコンセプトはロックテイストでとのことだった。

自分の今の音楽と近い状況に興奮が止まらない。

それから30分後にコンサートは開始されオーケストラの楽団が順次着席。

そして、指揮者が現れ最後に今回の主役である春沢 柚葉が登場。

ゆるくアップにした長い髪をお団子にして、白い大きめのワイシャツに七分のスラックス。

今までのクラシックの常識を型破りするかのようなラフな格好。

本来、ドレスなどで着飾るものだが、彼女は毎回こういったラフな格好らしい。

軽く会釈をしてピアノの前に座る。

呼吸を整え、指揮者に合図を送ると、それが始まりの合図のようだ。

振られた指揮棒。

それに合わせて始まる演奏に一気に気分が高まった。

始めはクラシック。何曲か演奏が終わると、中盤にピアノのソロ。

柚葉の奏でる音は、一台のピアノから流れる音とは違い、滑らかであたかももう1台ピアノが演奏しているかのような錯覚を覚える。

優しいタッチで思わず聞き入ってしまう。

緩急の着いた演奏に全身に鳥肌がたつ。

(これが、プロ)

そう頭によぎる。

彼女は知らない間に見えない高見に上っていた。

いや、俺が知らないだけかもしれない。

思い出せば、彼女がピアノを弾いている姿を見たことがなかった。

ただ、ピアニストと言うことは知っていたが、彼女がどのような演奏をするかは見たことがなかった。

(俺は何もしらないんだな)

日本にいる間はいつもそばにいたが、それほど日本に滞在することがなかった彼女だ。

ピアノソロ演奏が終わると、一旦場内は休憩にはいる。

トイレ休憩をしに席を立つ人々。

「生まれて初めてピアノ演奏で鳥肌がたった!」

興奮の余韻が冷めていないのか奏は叫んでいた。

「すごかったな」

「そりゃあ、即日完売しますなー。なんと言うか、音で何かを伝えようとしている感が半端ない」

感想を述べる奏に俺はしばらく考えた。

彼女が出す音は優しくて、暖かい。

それは、きっと今までにあったことを吹っ切れたかのようだった。

(俺も前に進むべきなんだ)

そして、1時間の休憩が終わると、今度はバンドマンが現れて、数人の弦楽器そこに律樹の姿もあり、遅れて柚葉も現れる。そばには金髪碧眼の外人の女性が立っていた。

司会者らしき人物が対話形式で柚葉に質問を投げかける。

「今回、日本での講演に当たって、何か思い入れはありますか?」

日本語で問われた言葉に、外人の女性が通訳する。

『ええ、私はもともと日本で生まれて、ピアノとであったのも日本でした。途中シェルマン先生とであってからはほとんど外国で育ちましたが、やはり生まれ故郷は何か感じるものがあります』ドイツ語での返答に、一度通訳が日本語に翻訳して説明する。

こんなやり取りを数回繰り返して最後の質問。

「今からロックテイストでの演出とありますが、どういったことでしょうか」

『ええ、新しく移り行く時代。音楽はジャンルが違えどすべては同じです。音で相手に伝える。それを今回、縁あって日本の音大生の方とうちの楽団と混合でやります。バンドマンはイギリスで知り合ったアーティストです。こうして国境を越えて一緒にできること。音楽に国境や差別はないのです。それを表したかったんです』

そう言って会釈すると、バンドマンと楽団の人にアイコンタクトをすると、始まる演奏。

それは映画で使われていた曲だ。

心動かされるリズム。

奏でる音はそれぞれの音がお互いを尊重しあっている。

(いい音楽だ)そう思えた。

そして、コンサートが終わるまで、会場は興奮の渦に巻き込まれていた。

革新的な音楽。彼女の持つカリスマ性。繰り出される技巧に舌を巻く。

ただ、圧巻とはこういうのだろうと思う。

聞き手側にただ聞いてもらうのではなく、楽しんでもらうとうパフォーマンスも込めて繰り広げられる。

これが、彼女が生み出す音楽の世界。

会場の観客はもちろん、演奏者も楽しそうだ。


そして、ほどなくして演奏が終わると、会場は大盛況だった。

沸き起こる歓声に拍手の波。

割れんばかりの音が会場を轟かす。


終わってそれぞれ帰路に着く。

冷めぬ興奮に柚葉が会場から出てくるのを待つ人もいた。

本当に有名芸能人みたいだ。

警備の人も現れ、強制的に解散させられる。


そばにいた日本人の老夫婦は言っていた。

「彼女は基本、こういったサービスはぜったにしないのにな」

その理由というのはただ、高慢なわけではなく、以前同じことがあってけが人が数名でたのだとか。それ以来彼女はかたくなにそれを辞めさせるようにしたそうだ。


帰り道、律樹にお礼の電話をかけると、出た相手が、女性の声だった。

慌てて間違えて電話をかけてしまったのかと思い名前を確認するが、どうやら間違ってはいないようだ。

だが、相手がドイツ語で話してくる。

「柚葉?」

名前を呼ぶと、一瞬会話が止まる。

すると、すぐさま律樹の声が電話から聞こえた。

(悪い、どうした?)焦った様子で対応されこっちも焦ってしまう。

「今の、柚葉ですか?」確認のために聞いてみた。

(ああ、電話が鳴りやまなかったから代わりに出てもらった)

「あの、柚葉としゃべれますか?」それはただの好奇心からくる欲求で、どうしても彼女と話をしたい。だが、返って来た返事は予想外の返事だった。

(悪い、それはできない)

「どうして?」

(柚葉は日本語しゃべれないから)

そういわれ、俺は不審感を感じれずにはいられなかった。

彼女と別れて1年を過ぎるが、当時の彼女は何の不便を感じることなく日本語をしゃべっていた。

確かにドイツ語と混じることもあるが。

それが、1年でまったく日本語がしゃべれなくなることはありえるのだろうか?

そして、この律樹の違和感。

(で、要件はそれだけか?)

「いえ、ただ、お礼を言いたくて」

(それは気にするな。まあ、お前も過去に囚われず、新しく一歩を踏み出せよ)

切れる電話をただ見つめる。

「お礼は言えたのか?」奏がそういうと俺は携帯を見つめたまま、先ほどの疑問を尋ねる。

「ああ、ただ、1年前には日本語しゃべれてたのに今になってドイツ語しかしゃべれないって事あると思うか?」

「それはありえないだろうな。少なからずしゃべれるとは思うぞ」先ほどの会話を知らない奏は答える。

「あるといえば、記憶がなくなった、別人かぐらいじゃないか?」おどけながら言う彼に俺は不安を感じた。

(記憶喪失?)

それは、先ほどの会場での彼女を見て感じたものを納得させる要素の一つだ。

だが、これはほとんど憶測でしかない。

本人に会って確かめたいが、だが、もし彼女が忘れているのであればそれはそのままのほうが幸せなのではないのか?とも考えてしまう。

何が良くて何が間違いなのか。

今の俺にはどうすればいいのかわからずにいた。


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