引き籠りで結構ですので
@maturika0924
第1話 過去に囚われる者たち
その日、私の人生は一変した。
気が付けばそこには、最愛の兄が血だまりの中倒れている。
嘘だ。嘘だ。夢だ。
状況を把握するのに時間がかかって、目の前の惨状が脳裏に焼き付く。
焦げ臭いにおいと、鉄のにおい。
すべてが嘘だと…夢だと誰か言って‥‥
誰かが叫んだ。
悲鳴にも似たその声は、この現状の最悪さを知らしめる叫びの様だ。
あの日以来、私の見えるすべての世界が色を無くし、自分の生きている意味すらも分からないまま、すべてが苦痛でしかなかった。
生きるのが辛くて
それでも、死ぬことが出来なくて。
誰も助けてくれない
何度死を決意しても死ぬことが出来なくて
それでも残された者は生きるしかなくて
無情にも時間だけが過ぎていく
閉ざされた世界で、私は独り生きていく
俺の初恋の人はある日突然壊れた。
突然恋人が亡くなり、彼女の心も無くなった。
壊れていく彼女から俺は耐えられず逃げた。
現実を受け入れることができずに。
どうすることもできずに、彼女を見捨て逃げたんだ。
だから、これは懺悔の歌
見捨てた彼女に
助けられなかった恋人に
守れなかった彼女に
愛してあげることの出来なかった恋人へ
だから、今日も俺は届くか分からない歌を歌う
とあるライブハウスでアマチュアバンドではあるがそこそこ有名なバンドグループが今日も盛大な観客を迎えて演奏される。
ボーカル兼ギターの高良 千佳は今日も懺悔の歌を歌う。
愛した恋人へ向けて
ライブは大盛況の上幕を閉じる。
バンドメンバーのドラム担当の幼馴染 紅 奏が、心配そうに声をかける。
奏は恋人とのことを存在を知っている。
何度か一緒に出掛けたから。
俺の恋人だった彼は有名人らしい。
音楽一家に生まれて、上2人の兄たちはヴァイオリニストでいくつもの賞を受賞しているらしい。
そして彼女はピアニストドイツの有名な音楽家にスカウトされて単身ドイツへ移籍。
彼女がCDを出すと即完売するほど。
コンサートは毎回満席で、チケットも取るのも難しいそうだ。
天才と呼ばれる彼女は時折日本に帰ってきては、数週間滞在してドイツに帰っていく。
たまたま、彼女の兄経由で知り合ったのだが、何とも不思議な子だった。
それから、彼女を知るにつれて興味から好奇心に変わり、目が離せなくなる。
年下ではあるが、大人びた彼女に初めて恋をして、恋人になった。
その時は、まさに天にも昇る気持ちとはこのことかと実感する。
だが、あの日を境に俺は彼女をどうすることもできなかったんだ。
壊れていく彼女に何をしてあげることもできずに、俺は逃げ出したんだ。
それから、音信不通となった彼女のことは気になってはいるが、連絡を取れずにいる。
荷物を片つけてライブハウスを後にしようとしたとき、彼女の兄、春沢 律樹が「よう」と片手をあげてやってきた。
久しぶりに会う律樹は変わっていなく、相変わらず綺麗な顔立ちで中性的な印象を感じる青年だった。
たしか、日本有数の音楽大学在学中で、ヴァイオリニストの彼は目下練習に励んでいる。
「久しぶり」
俺と同い年の彼は、歳の割には幼く感じるが、これでも21歳なのだ。
「久しぶりだな、いまちょっといいか?」
そう言って連れ出されると、彼は俺に細長い封筒を手渡した。
「コンサートのチケット」そういわれて中を見ると、そこには『春沢 柚葉』と書かれたチケットが入っていた。
その名前を見るだけで一瞬胸がドキリと鳴る。
「そろそろ、会ってやってよ」
律樹はそういって困った笑みを浮かべている。
彼も、俺と彼の兄とが恋人関係であったこと。柚葉との関係を知っている。
彼女の兄が死んだ後のことも。
返事が出来ず佇んでいると、心配して来た奏がそのチケットを奪い取る。
「へー、春沢 柚葉のコンサートね」
皮肉が込められた口調。
こんな精神的に参ってる俺の原因が彼女だと勘違いしている奏。
「そう、チケット取るの大変だったんだよ?それに柚葉はもう気にしてないって」
律樹がそういって俺の方に手を置く。
「伝えて欲しいって言われたんだけど、柚葉が、もう気にしないで忘れて欲しいって。君が柚葉と別れたのに罪悪感を感じないで欲しいらしい。彼女もそれを望んでいるって」
その言葉に込み上げられる涙が止まらなかった。
嗚咽交じりに泣く俺に律樹は「じゃあ、よかったら来てあげて」
そう言い残して去っていく。
「まあ、よかったじゃん」
「ああ」
奏がそういうと、俺は渡されたチケットを眺めた。
コンサートは明後日の土曜日に行われる。
1年ぶりに会う彼女。
俺の心情は複雑な心情だった。
迎えた当日、そこは人で溢れかえっていた。
兄貴が死んで早1年が過ぎようとしていた。
兄貴の死後、家庭は崩壊。
両親は離婚し、残された妹と俺は2人で暮らすことに。
壊れた妹は自傷行為に走り、目を離せない。
単身ドイツに移籍した妹は、有名な音楽家の元で成長を遂げる。
音楽一家だったうちは、有名な演奏者。
つい最近日本に帰国して俺は日本の音楽大学に入学。
レベルは違えと日本最高歩の音楽環境で目下練習に励んでいる。
正直、ドイツでは妹がそばにいるので、兄貴がやっていたヴァイオリンの練習を極力避けるのにつとめていたから。
なにはともあれ、妹を見捨てた兄の元恋人君に、チケットを渡したので本来の目的は達成。
彼も同じ音楽大学に在籍しており、ヴァイオリン専攻してたっけ。
妹との一件でギターを始めた彼。
正直、俺にとっては腸が煮えくり返る気持ちを必死で押さえている。
壊れる妹。その現実から逃げ出した彼が許せない。
柚葉から、「もう気にしないで忘れて欲しいって。君が柚葉と別れたのに罪悪感を感じないで欲しいらしい。彼女もそれを望んでいるって」とは伝えたものの、正直妹は、彼をあまり覚えていない。
事故の衝撃であの時の記憶がまるっきり思い出せないそうだ。
俺のこともあまり覚えていない。
ただ、時々思い出しては暴れる始末。
だから、柚葉は彼の存在自体を覚えていないから、彼が罪悪感を感じる必要すらない。
それが、一番の彼への罰だ。
死ぬよりも苦しい苦しみ。
それを知っている俺は、ひどい人間なのだろうか?
まあ、妹がこれ以上壊れないようにストッパーというか、当時から付き合っていた恋人の世良 良が半同棲生活を共にしながら暮らしている。
彼のおかげで幾分かまたもな生活に戻れた妹。彼には感謝してもしきれない。
もう二度と家族を失わないように。
彼の幸せよりも、家族の幸せを第一に守るさ。
路地に待たせていた車に乗り込む。
そこには、今の恋人相沢 圭が眠そうに待っていた。
「お待たせ」そういって彼の頬に軽くキスをする。
「用はすんだのか?」
聞き心地のいい声。低く甘い声で問われると、俺はいつも通り「うん」と返事をする。
彼と恋人関係になってからもう5年もたつ。
高校からの同級生で、今も同じ音楽大学に通う。
彼は、ピアノを専攻している。
だから、妹の存在も知っている。
初めて妹と会ってから、彼は衝撃を受けたらしい。
なんと言うか、演奏する彼女と日常の彼女とのギャップの差に。
それは俺でも笑ってしまうほどの差だった。
引き籠り気質の妹は、彼女の部屋に置かれているグランドピアノで練習をする以外はほとんどベットの上でぐーたら生活をしている。
ゲームに読書。それ以外は基本ピアノを弾いている彼女。
それはドイツでの生活でもそう。
わざわざ、有名な先生を自室に来させる始末。
だが、演奏が始まれば、天才と呼ばれる超絶技巧で本来ピアノでは出せない音が披露される。
あたかも。ピアノが2台で演奏されているかのような音が奏でられる。
それを1人で演奏できてしまうのだから彼女はすごい。
彼女の技術に嫉妬してしまうほどだとか。
たまに、彼女の気分がいいときは圭と一緒に音大でピアノのレッスンをしている。
本来は技術指導などありえないが、圭が俺の恋人で柚葉の私生活を支えているから。
走り出して、自宅に着くと、部屋の明かりは消えていて柚葉が寝ていることを知らせる。
車を駐車場に止め家の中に入ると、かすかに聞こえるピアノの音色。
完全防音の練習室に足を踏み入れると、そこには薄明りの中ただひたすらピアノを弾く彼女がいた。
集中しているのか、扉が開いたことにも気づいていない。
そっと、扉を閉めてリビングに戻ると、圭がいる。
「柚葉は?」
「練習中らしい」
「起きてたのか?」
「だね。相変わらず薄上がりで練習しているよ」
柚葉が起きていることを確認すると、二人は関係がないのか自分たちは寝る準備を始める。
柚葉の練習は明け方まで続いた。
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