11. それでは恋人である方が当たり前のようです

 自動ドアが開きました。ファミリーレストランのチャイムはコンビニのそれとよく似ています。


 店員さんが駆け寄ります。コートを羽織った少年は首を横に振ります。

 少年が店内を見渡します。僕は手を挙げます。少年がこちらに気づきます。


「こんにちは」


 秀人くんが硬い声で挨拶をします。緊張、懐疑、そして警戒。無理もありません。


「こんにちは。突然お呼び立てしてすみません」


「いえ。大事なお話なんですよね」


 秀人くんには、和葉さんから連絡をとってもらいました。だからこそ彼はここに来たのです。


 店員さんがお水を運んできます。


「秀人くん、何か食べますか」


「結構です」


「遠慮は要りませんよ。呼び出したのは僕です」


「いえ。帰ったら夕ご飯がありますから」


「では、ドリンクバーを一つ」


 店員さんがハンディを操作します。たどたどしいです。ご注文は繰り返さなくて結構です。


 秀人くんがコーヒーと紅茶を持ってきます。


「ありがとうございます」


 コーヒーを受け取ります。


「僕に何のお話でしょう」


 秀人くんが切り出しました。世間話も時候の挨拶も抜きです。


「和ちゃんからは何も聞いてなくて」


「人に知られるのは望ましくないのです」


 秀人くんが首を傾げます。


「お話したいのは、美桜さんについてです」


「先生は、和ちゃんの先生なんですよね」


「はい。だからといって美桜さんを放っておくわけにもいきません」


「何かあったんですか」


 頷いて見せます。


 少し間を措きます。

 秀人くんが体勢を変えます。焦れています。


「先日、美桜さんから電話がありました。広沢ひろさわのドラッグストアにいる、と。僕に連絡してきたのは、ご両親に知られたくなかったからでしょう」


「それって」


「万引きです」


 秀人くんの目が大きくなります。虹彩の模様がよく見えます。


「急いで駆けつけました。美桜さんは俯いていました。店長さんが説明しました。美桜さんの鞄からはリップクリームが見つかったそうです。さくらんぼのフレーバーです。見つかったのは三つ。同じものが三つです。一つや二つならば誤って入ったものかもしれません。しかし三つです」


 コーヒーを口に含みます。まずいです。


「僕が着いたとき、美桜さんは既に罪を認めていました。僕が床に膝をついて頭を下げると、店長さんは却って慌てました。店長さんは警察にも学校にも通報せずにいてくれました。優しい大人です。美桜さんが素直だったのも効いていたようです。その日は商品の代金と免許証のコピーを置いてきました。それでなかったことにしてもらったのです」


「そんな、ことが」


 秀人くんが俯きます。


「僕のヴィッツでお家の近くまで送りました。車の中で美桜さんは泣きました。脈絡のない話を縷縷と語りました。周囲からの期待と現実とのギャップに苦しんでいると、概ねそのようなお話でした。僕は最初学校の成績のことかと思いました。しかし聞いていると違うようでした」


「僕の名前が出てきたんですね」


 聡い子です。


「美桜さんは言っていました。『わたしは秀くんの何でもない』と」


 秀人くんは暫し黙し、それから口を開きました。


「先生も知っていると思いますが、僕と美桜ちゃんは幼なじみです。ずっと一緒で、お互いよく知っています。距離が近いんだと思います。周りはそれを勘違いするんです。何でつきあってないんだとよく訊かれます」


「おかしな質問ですね」


 秀人くんが顔を上げます


「それでは恋人である方が当たり前のようです」


 僕は秀人くんを理解しています。


「僕が悪いんです」


 秀人くんが目を閉じ拳を握ります。


「僕が本当のことをみんなに言わないから。それが美桜ちゃんを傷つけて。僕のことなんていいって言ってるのに、美桜ちゃんは。僕が本当のことを打ち明ければ」


「秀人くん。それは美桜さんの献身を無為にする行為です。身勝手ですよ」


 秀人くんが「あ」と小さく声を出しました。


「はい、先生」


 俯くと涙袋の膨らみが強調されます。昂ぶっているのか、頬が赤味を帯びています。えり緒さんが言っていましたね、紅顔の美少年と。


「僕は最近自分で自分がはっきり分からないんです」


 秀人くんが言葉を紡ぎます。一生懸命に。


「この頃、美桜ちゃんのことを考えると気持ちがざわついて」


「秀人くん。僕はあなたのことをよく知りません」


 この少年の無垢で気高い魂に、僕は教育者として手を差し伸べなければなりません。


「ですから、今からするのは僕の勝手な一人語りです。僕には昔から人と違うところがありました。人と同じようには人を愛せませんでした。それを誰にも言えませんでした。周囲は僕を普通の枠に押し込めようとしました。辛かったです。人々の行いが純然たる好意からきていると分かっていましたから。僕はそれでも普通になれませんでした」


「先生は。先生も、」


「あるとき、ふと自分を試してみようと思いました。そうさせるだけの出会いがあったのです。僕は普通の枠に足を踏み入れました。僕にとっては特別なところへの一歩です。この先は割愛します。妻と息子のプライヴァシーにも関わることですので」


 秀人くんが僕を見ます。


 秀人くんは賢い少年です。きっと伝わったでしょう。


「何をすべきか、僕が今教えられることはありません」


「……」


「秀人くんは既にそれを知っているからです」


 秀人くんはしばらく黙っていました。

 それから、力強く頷きました。


 店の前で秀人くんと別れます。

 ヴィッツに乗り込み、エンジンをかけます。


 本当なら大人として秀人くんを送っていくべきでしょう。

 しかし彼と会っていたことを知られてはなりません。


 秀人くんも今日のことは秘密にするはずです。

 特に美桜さんには絶対言わないでしょう。

 そうでなくては困ります。


 せっかくのつくり話がばれてしまっては興醒めですから。




 後日。僕は和葉さんに告げました。


「特別授業の開講です」


 和葉さんは口許を引きつらせました。


「秀人くんの初めてになりましょう」

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