10. 若い身空でお気の毒なことです

「そういえば僕の生徒さんはいかがですか」


「はいはい。稲村和葉チャンっすね。一年生で妹チャン。一言でいうなら地味っすわ。存在を認識してなかったっす。学年違うから当たり前っすけどね。クラス覗いたんすけど、最初ドコいるか分かんなかったっす。地味めな下層のお嬢チャンたちに埋もれてて」


「大人しい生徒さんですからね」


「で、言われたとおり街であたってみたっすよ」


 えり緒さんの顔の筋肉が明るい表情を象ります。


「和葉チャン、遊んでるっすね。や、違うか。働いてるっすね。粉骨砕身で全身満開っすわ」


 えり緒さんが両手をパーに広げます。きらきら星ではなくお花でしょう。


「分かりました」


「現場押さえるっすか」


「いえ。もう結構ですよ」


「いいんすか。可愛い教え子チャンっすよね」


「生活指導は請け負っていません」


「さすがセンセ。プロフェッショナルっすね」


 さて。

 校門をくぐる生徒の数が減ってきています。長居し過ぎました。


「えり緒さん。調査協力ありがとうございました」


 頭を下げ、歩きだします。


 肩を掴まれました。長い爪が食い込みます。


「センセ」


 えり緒さんが手のひらを差し出します。


「今持ち合わせがないのです。次会うときに必ず支払います」


「また二年後すか」


 えり緒さんが笑みを浮かべます。

 慈しみに溢れています。

 聖母のようです。


 聖母が防犯ブザーの紐を引き抜きました。

 けたたましい音が耳をつんざきます。


 校門の向こうから人影が飛び出します。紺色の制服です。制帽を被っています。


 警備員さんが駆け寄ってきます。僕の左腕を掴み捻り上げます。えり緒さんにどうしたのかと尋ねます。順番が逆ではありませんか。


 えり緒さんは両手で自分の肩を抱いています。「えっと。その。すみません。すみません」と狼狽した様子を見せます。

 警備員さんの握力が強くなります。


 僕は内ポケットから財布を取り出して見せました。

 えり緒さんが背筋を伸ばします。


「そちらの方は家庭教師の天川先生です。進路相談が紛糾し、つい昂ぶって防犯ブザーを鳴らしてしまいました。身許の確かな方ですので手を離していただけますか」


 目をまるくした警備員さんに、えり緒さんが微笑みかけます。


 警備員さんが構内に戻っていきます。謝罪は受けました。しかし彼は最後まで僕を睨みつけていました。


「センセ。相手のホームにほいほい来ちゃダメっすよ」


 えり緒さんが僕の財布からお札を掴み取ります。根こそぎです。

 薄くなった財布が返ってきます。


「勉強になりました」


 教え子から逆に教わる。教育者冥利に尽きるというものです。


「そういえば知ってるっすか。あのコ死んだの」


 えり緒さんはスマホをいじっています。


「ええ。若い身空でお気の毒なことです」


「よく言うっすね」


 二年前、僕は二人の生徒さんを教えていました。

 えり緒さんともう一人の生徒さんは、同じ国立中学のクラスメイトでした。


 一人は合格を掴み、一人は桜を散らせました。

 一人は生き長らえ、一人は命を散らせました。


「特別授業のおかげっすよ」


 中学生の頃、えり緒さんはずっと二番でした。

 卒業する直前、学年で一番になりました。


 今、えり緒さんはまた二番です。

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