第10話 ペンギンさん

「わあ! ペンギンさんの行進こうしんですよ」


 水族館に到着するなり入口でペンギン達が行進をして出迎えてくれた。

 飼育員のお姉さんに引き連れられて歩くペンギンの列は確かにいとおしい。


「ペンギンの歩き方って可愛いよね。ペンギン歩きなんて言葉があるくらいだし」

「そうなんです。ヨチヨチと氷の上を一生懸命に歩く姿が愛くるしくて、ぎゅうって抱きしめたくなります」


 好きなものの話になると饒舌じょうぜつになるのはオタクにありがちだけど、透子とおこさんは読書だけではなくペンギンのオタクでもあるみたいだ。だけどアニメやラノベについて話す時とはちょっと違って、子供っぽい無邪気な一面も垣間見かいまみえる。


「入口でこの可愛さなら中は一体どうなっているんでしょう。子津ねづくん早く行きましょう!」


 そう言うと透子さんは僕の左手をつかんだ。


「あ……ごめんなさい。ついお姉ちゃんと遊びに来た気分になってしまって。子津くんだと一緒に居ても緊張しないから……」


 申し訳なさそうにパッと手を離されてしまった。僕はこのままでも良かったという気持ちと、恥ずかしいという気持ちが戦って僅差で恥ずかしいが勝っていたので結果的に助かった。


「学校の先生をお母さんって呼んじゃうみたいな?」

「むぅ! 今日の子津くんはちょっとイジワルなところがあります」

「そうかな? 僕は元々こんな感じだよ」

「子津くんの彼女になる人は苦労しそうですね」


 透子さんはそのあとボソボソと何か言ってたみたいけど、迷子のアナウンスが流れたせいもあってよく聞こえなかった。


「ごめんごめん。付き合ってもないのに手を繋ぐのは僕もちょっと恥ずかしかったんだ。はぐれないようにお互い気を付けよう」

「そうですね。せっかく二人で来たのにはなばなれになったら悲しいです」


 順路に従って歩いて行く中で、僕らの間にあった隙間はほんのちょっとだけ狭くなった気がする。人が多いから詰めたというのもあるけど、気持ちが近くなった気がした。


「見てください! すごく大きな水槽すいそうです」


 中央に天井まで届く巨大な水槽があり、それを囲うようにスロープが敷かれている。水槽の中ではたくさんの熱帯魚が群れをなして泳いでいて、まるで一匹の大きな魚のように振舞っていた。


「すごい迫力だ。やっぱり大きいって良いね」


 透子さんは自分の胸元をチラリと見て


「子津くんのエッチ」


 と言い放った。


「え? なんで?」


 僕は水槽を見ての感想を言っただけなのに。


「今、一瞬視線を感じました。お姉ちゃんが変なことを言ったせいですね」

「見てない! 見てないから!」

「私、そういう視線には敏感なんです。私のレーダーに間違いはありません」


 すごい自信だけど今は絶対に胸元は見てない。これからは意識して視線を上にして濡れ衣ぬれぎぬを回避せねば。


「なんて、冗談です。子津くんはお魚に夢中でした。ちょっと嫉妬しっとしちゃうくらいに水槽に熱心を送ってました」

「そんなに熱中してた?」

「はい。恋する乙女みたいな目をしていました」


 魚に欲情した覚えはないけど、透子さんの胸元を胸元を見ていたのは冤罪だと証明されて一安心。


「それにしても水槽を見ながら坂道を歩くと転んじゃいそうです」

「気を付けて。足元も暗いから」

「はい……きゃっ!」

 

 言った側から透子さんはつまずいてしまう。僕が咄嗟とっさに腕を差し伸べると、透子さんの胸を鷲掴わしづかみにしてしまった。胸の弾力というよりブラジャーの固さが手から全身に駆け巡る。


「ひゃっ!」


 一瞬声を出しかけてそれを押し殺す。ここで大声を上げたら騒ぎになると気遣ってくれたのかもしれない。


「ご、ごめん」


 謝りつつも、今ここで手を離したら透子さんが倒れてしまいそうだった。透子さん自身が姿勢を整えてからパッと手を放す。


「本当にごめん! 坂道を転げ落ちそうだったからつい……」

「だ、大丈夫……です。助かりました」


 真っ赤になった顔は床を見つめている。僕もまともに透子さんの顔を見られない。


「この坂は危険です。残念ですけど、下に着くまでは足元を見ながら歩くことにします」

「あとで水槽をゆっくり見上げようか。ここは危ない」


 この後は二人とも黙って歩き続けたあと、しばらくボーっと熱帯魚の群れを眺め続けた。


***


「やはりペンギンさんこそ至高の存在です!」


 僕が胸を鷲掴みにしたせいで気まずい雰囲気になったデートもペンギンにかかればあっと言う間に空気が変わる。

 ペンギンショーを見た透子さんはすっかりテンションが高くなってご満悦だ。


「ペンギン歩きのイメージが強いけど、すいーっと床を滑るのはスタイリッシュだね」

「そうなんです! 可愛いだけでなくカッコイイ一面も持ち合わせるなんて素晴らしい生き物です」


 この熱量と勢いはちょっと恐いけど、ペンギンの話題ならクラスの中心にいるような女子の輪にも入れそうな勢いだ。


「あ、お土産屋みやげやだ。よかったら今日の記念に何かプレゼントさせてよ。ペンギングッズもいっぱいあるみたいだし」

「記念って何の……まさか!」


 バッと手で胸を隠す透子さん。そんな仕草を見せられるとペンギンショーで上書きされつつあった胸の感触を思い出して顔が熱くなる。


「ち、ちがっ! 初デートだし思い出に何か残せたらいいなって思ったんだ。あと、さっきのお詫びも兼ねて」

「ふーん。物で許してもらおうということですか」

 

 髪の毛の向こうからジト目で僕を見つめる。この目で見つめられると罪悪感がわくというか、つい謝ってしまいたくなる。


「ふふ。子津くんはからかいがいがあります」


 透子さんはフッと笑顔になった。


「お言葉に甘えてリクエストしてもいいですか?」

「もちろん。さすがにアレは無理だけど」


 指指したのは三メートルはあろうかという巨大なペンギン像。オブジェのように存在しているが売り物らしく、ちゃんと値札が付けられている。

 恐いから〇の数は数えないけど、とても高校生が手の出せる代物しろものではなかった。


「それくらいの分別ふんべつはわきまえてます。実はさっき目に付いた瞬間に気に入った物があるんです」

「へー、どれどれ?」

「これなのですが」


 それはペンギンのキーホルダーだった。ペンギン好きの透子さんらしいチョイスだと思ったけど、このペンギンのポーズに問題があった。


「やっぱり……恥ずかしいでしょうか?」

あかりさんとお揃いに……ではないよね?」

「は、はい」


 そのペンギンのキーホルダーは二つで一組になっていて、ペンギン同士のくちばしをくっ付けるとハート型っぽく見えるという代物だ。完全にカップル向けの商品である。


「本当に、これにするの?」

「子津くんが嫌でなければ……ですけど」


 これを買ったとして僕が身に付けなければ透子さんとペアになることはない。それで済む話ならいいけど、このペンギンを見る度に僕が持つ片割れを思い出してモヤモヤしそうだ。


「嫌ではないけど……恥ずかしい……かな」

「……子津くんに、む、胸を触れたの恥ずかしかった……です」


 ボソッと周りに聞こえないように主張された。それを言われると弱い。


「わかった。これにしよう。うん」

「本当にいいんですか!? なんか無理強いしたみたいで……」

「違うよ。僕もこれが良いって思ってたんだ。透子さんのおかげで決心が付いた」

「ありがとう……ございます」


 髪に隠れて透子さんの表情はよく見えなかったけど、その声は今日一番の幸せを感じるくらい優しく温かいものだった。


「それじゃあこれが透子さんの分」


 会計を済ませるとペンギンの片割れを透子さんに渡した。早速カバンに取り付けると嬉しそうに何度も触る。


「子津くんは付けてくれないんですか?」

「あんまりジャラジャラするのは好きじゃないんだ。部屋に大切に飾るよ」


 ジャラジャラが嫌なのは本当。透子さんを傷付けないようにお揃いを回避するのに無難な理由だと思う。


「そうですか……」


 しゅん……と肩を落とす透子さんを見ると少しだけ申し訳ない気持ちになる。だけど、僕が好きなのはあくまでも明さん。その気持ちは今日のデートを通しても変わらなかった。

今度の三人でのデートも気持ちが揺らがなければ、僕は明さんが好きだと断言できる。透子さんとの関係も壊したくない僕は気持ちがハッキリしても何も行動できないのだろうと予想できるのが情けない。


「子津くんとお揃いにできないのは残念ですけど、今日はありがとうございました。お姉ちゃんからデートの様子を聞いていたのもあるんですけど、子津くんとペンギンさんを見られて楽しかったです」

「こちらこそ、透子さんがあんなにペンギンではしゃぐなんて意外でおもしろかったよ」


 ペンギンを見てはしゃぐ子供みたいな顔、僕をからかうブラックな顔、一年間図書室で過ごしても見られなかった顔を今日一日で見ることができた。


「……子津くん、何があっても、明日からも図書室に来てくれますか?」

「? うん。他の委員はサボるだろうから明日も一緒に頑張ろうね」


 藪から棒に図書委員の話題を振られてキョトンとしてしまった。明日も明後日も、図書委員は僕と透子さんの実質二人だ。あまり胸を張れることではないけど、僕はこの状況を喜んでいるところもある。


「あの、これから私が何を言っても絶対に来てくださいね?」


 透子さんからただならぬ空気を感じ取った僕は無言でただ頷くことしかできなかった。

僕は透子さんを自分と同じ側の人間だと思っていた。実際にそうだと思う。優秀な姉の影に隠れてしまっていた妹。

シンデレラの魔法が掛かっていないとう妄想にとらわれていた透子さんが、もし大きな一歩を踏み出したら世界は大きく動き出す予感がする。


「私、子津くんのことが好きです。勉強も運動も友達の多さもお姉ちゃんには敵わないけど、この気持ちだけはお姉ちゃんに負けられません」


 風が吹いて透子さんの目が露わになる。その目は僕を真っすぐに見つめていて、いつも図書室で会う引っ込み思案の透子さんとはまるで別人のようだった。

 別人のようだけど、間違いなく透子さんだ。目元にホクロがあるからだけではない。透子さんが持ついろいろな顔の一つなんだと、今日のデートで僕は知っていたから。

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