第9話 約束

 透子とおこさんと話し合った結果、まずは朝一あさいちで映画を見ることになった。待ち合わせは前回よりも早い午前九時。元の集合時間が早いとそんなに前倒しでは来られないので十分前に集合場所に到着すると


子津ねづくん、おはようございます」


 透子さんはすでにそこに居た。休日だからこの前みたいなサイドポニーに……はしてなくて、いつも通りその顔は長い髪で隠れてしまっている。

 黒いロングスカートにデニムのジャケットを羽織はおっていて露出は少ない。透子さんらしいファッションだ。


「ごめん。もしかしてすごい待った?」

「十分くらいだから大丈夫です。それに子津くんだって早いじゃないですか」

「待ち合わせに遅れたら悪いからね。さすがに九時だとそこまで早くは来れなかったけど」

「お姉ちゃんも言ってました。私のふりをするために早く行ったら、子津くんがもう居たって」


 透子さんとは初めてのデートだけど、その模様は明さんを通じて全部ではないけど共有されているらしい。僕にとっては二回目のデートでちょっと経験値があるはずなのに、それを透子さんにちゃんと発揮できるか心配だ。

 

「僕の行動は読まれてるのかあ。透子さんの裏をかきたいな」

「ふふ。あんまり変なことしないでくださいね」


 もちろん大それたことをするつもりはない。でも、透子さんが僕に抱くイメージを壊せるような、そんなサプライズをしたい気分になった。


「この前は猫がいたんだけど今日はいないな」

「例の『猫の宅急便』みたいな猫ちゃんですか?」

「そうそう。似ても似つかない憎たらしい顔をした猫だけど」

「お姉ちゃんは可愛い猫ちゃんだって言ってましたよ? どんな顔なのか見てみたいです」


 僕だってできればあの憎たらしい顔を見せてやりたい。それにちょっとは感謝もしてるからお礼だって言いたいし。


「子津くん、もしかしてあの子ですか?」


 透子さんが指差す先にはふてくされた表情の猫が一匹、塀の上に座ってこちらを見ていた。


「そうそう、あの猫。なんか憎たらしい顔してるでしょ?」

「そうですか? 可愛いじゃないですか」

「……」


 鈴鳴姉妹の可愛い基準がいまひとつわからなくなってしまった。女子高生はなんでも可愛いと言うけど、あれも可愛いに含まれるのか。


「追いかける時間は……ないですよね?」

「さすがにちょっと厳しいかな。あの猫、映画館とは違う方向に行くみたいだし」


 もうラブホに案内されるのはこりごりだ。どのみち高校生じゃ入れないから余計に辛い。もちろん入る気はないけど。


「透子さん、猫を手招きしてみたら? 明さんにはなついてたから来てくれるかもよ」


 猫を追いかけたら明さんとのデートの再現みたいになってしまう。今日は透子さんとのデートなんだから、新しい形で猫と触れ合ってほしかった。


「やってみます。来てくれるでしょうか」


 透子さんは塀の上に居る猫に向かって、おいでおいでと手招きする。その気持ちが通じたのか猫は塀から降りてくれた。じーっと透子さんを観察している。


「降りてくれました。猫ちゃん良い子ですね」


 ちょっと地面に降りただけで透子さんの株が上がるなんて、やっぱり憎たらしいやつだ。


「透子さんのことは気に入ってみたいだね。でも、僕がいるから近付いてくれるかな。ちょっと離れてみようか」

「え? そんなことしなくても」


 僕が少し後ずさりして、その様子を透子さんが振り返って見る。すると猫はたちまち透子さんとの距離を詰めた。


「わっ! こんな近くに。人懐ひとなつこいです」

「……こいつ、僕が離れたから」

「ち、違いますよ。ね?」


 猫に同意を求めてもニャーとも何とも鳴かない。僕が離れたから来たんだな。


「子津くんがこの子に何かしたんじゃないですか?」

「え? 僕のせいなの? 何もしてないよ」


 猫を発見するなり時間潰しに追いかけたけど……それは明さんだって同じだし。


「なんて、子津くんが酷いことするはずないですよね。そろそろ映画館に行きませんか?」


 時計を見ると上映の十五分前。今から映画館に向かうとちょうどいい時間だ。


「そうだね。ありがとな猫。今日も世話になった」

「バイバイ。私とも遊んでくれてありがとうございました」


 猫は気怠そうにニャーと鳴いて路地に消えていった。あの猫は二人の区別が付いていたのだろうか。その答えだけは聞いてみたいなと思った。


***


「おもしろかったですね。原作も読んでみたくなりました」

「気に入ってもらえてよかった。原作は映画のあとのストーリーもまだまだ続いてて……あんまり言うとネタバレになりそう。こういうのってさじ加減が難しいよ」

「この世にはまだ私の知らない物語がたくさんあると思うとワクワクします。そうだ、子津くんがお姉ちゃんと見た映画の小説を貸すって約束したんですよね? 交換で貸し借りしてもらえませんか?」


 双子の間で交換が行われていたことが衝撃的過ぎて忘れてたけど、そういえばそんな約束をしてた。


あかりさんとの約束だけど、その小説って透子さんの物なの?」

「そうなんです。私のふりをするなら原作くらい読んでおかないとって一日で読み切ってました」


 透子さんなら原作を貸すだろうと思ってのことなんだろうけど、人の物を貸す約束をするってなかなかすごい神経だ。本の出所は同じ家だけども。

 シンデレラの思い込みもあって、透子さんはいつも明さんに押されがちだ。たまには透子さんが優位に立てると自信に繋がりそうだけど……。


「ねえ透子さん。僕と明さんに約束してもらいたいことってある。透子さんが明さんのふりをしてさ、勝手に約束しちゃうんだ」

「ふえ? 急に言われても……」


 自分との約束じゃなくて姉との約束なんて急には思い浮かばないか。困惑した表情で透子さんは考え込んでいる。


「今すぐじゃなくてもいいよ。ほら、たまには明さんを困らせるのもいいんじゃないかって思って」

「そんないじわる、お姉ちゃんに通用するでしょうか」

「どうだろうね。明さんかんするどそうだし」

「でも、おもしろそうです。私一人では無理でも、子津くんとならうまくいきそうな気がします」


 明さんに対するちょっとしたイタズラなんだけど、透子さんにキラキラした目で見つめられると罪悪感が増していく。


「あんまり過激な約束はやめてね」

「過激……? 子津くんのエッチ」

「そうじゃなくて! 勝手に本を貸すとかそういうレベルにしようって意味」

「ふふ。わかってます。でも子津くん、顔が赤いです。ちょっと想像しました?」


 体は正直だ。キスの約束を取り付けられて、それを実行する未来を想像してしまった。透子さんはそんな約束しないと思うけど。


「どんな約束がいいでしょうか。お姉ちゃん何でもできちゃうから、たいていのことは許してくれちゃいそうですよね」

「確かに。勉強会の約束とかしても喜んで手伝ってくれそう」

「そうなんです。お姉ちゃん面倒見もいいから……あっ!」

「何か思いついた?」


 迷宮に足を踏み入れたように悩んでいた透子さんの表情がパァーっと明るくなった。だけどその光は長くは持たず……


「でも、こんな約束を勝手にしていいのでしょうか」

「どんな約束か聞かせてよ。あまりに無謀なら僕も諦めるし」

「……あの……お姉ちゃんともう一度デートしてください」

「え?」

「それで、そのデートに……私も連れていってください!」

「えええええ!?」


 まさかの二股デートの約束に、僕は街中にも関わらず大声を出してしまった。

 周りの視線が僕に集まる。普段、人から注目されない生活を送っているから視線が痛い。


「ど、どういうこと? なんか二股みたいで辛いんだけど」


 まさか透子さんがこんなインモラルな提案をすると思わなかった。


「お姉ちゃんの初デートは私のふりをしてたじゃないですか。本当のお姉ちゃんじゃないっていうか……」

「まあ、透子さんのふりをするのは大変とは言ってたね」

「だから、お姉ちゃんとして、明として子津くんとデートしてほしいんです」

「透子さんはお姉さん想いなんだね」


 理由を聞くとすごく納得のいく約束だった。ここまでは!


「うん。ここまでは良い約束だと思うよ。ここまでは。そのデートに透子さんが同行するっていうのは」

「私のふりをしていたとは言え、お姉ちゃんは二回目のデートになります。二回目のデートでどこまで進展するかわからないじゃないですか」

「進展って……特に何も起こらないと思うよ」


 自分で言ってて情けないけど、僕の方から仕掛けることはないと思う。明さんが攻めてきたらどうなるかわからないけど。


「それでも相手がお姉ちゃんだから心配なんです。だから私も一緒にデートします。どうですか? これにはお姉ちゃんもビックリすると思いませんか?」

「うん。僕もビックリしたよ。透子さんがこんなに大胆だいたんな提案をするなんて」

「ちょっと思い切り過ぎたでしょうか」

「僕も二人のことをもっと知りたいし、明さんがよければ三人で遊びに行きたいと思うよ」


 透子さんの表情がまた明るくなる。提案を受け入れてもらえたことに対してか、またデートできることに対してか、はたまた別の理由かはわからないけど女の子に喜んでもらえるのは嬉しい。


「来週の中ごろにでも、この前約束したよねって言ってるみるよ。明さんなら普通に乗ってきてくれそうだけど」

「ふふ。私が勝手に約束しただけなんですけどね」

「透子さんが自分からデートに誘ったって知ったら明さんも喜ぶと思うよ」

「そうだと嬉しいです。私、いつもお姉ちゃんのあとを追いかえるだけだったから。こんな風に少しずつ変わろうと思えたのは子津くんのおかげです。ありがとうございます」


 ペコリと頭を下げると長い髪が重力に従い垂れ下がる。僕はたいしたことはしていない。元々は明さんの好感度を上げたくてしたことだ。そんなに感謝されると胸がチクりと痛む。


「私は魔法が解けたシンデレラなんです。お姉ちゃんは、シンデレラは魔法が解けたあとに幸せになるって言ってくれますけど、その前に魔法が掛かっていなきゃダメなんです」

「明さんはシンデレラの魔法が解けたらどうしようって悩んでたよ。真逆の理由だけど、双子らしいなって思った」

「本当はシンデレラの魔法なんてありません。だから、お姉ちゃんは本当にすごい人なんです。魔法がないのなら、私は何もしなければ幸せになれません。お姉ちゃんみたいに動かないとダメだってずっと思っていたんです」


 透子さんは透子さんなりにシンデレラの魔法と向き合おうとしていた。魔法が解けたあとだからタイムリミットはない。明さんのような『いつか』がない透子さんには一歩を踏み出すきっかけがなかったのかもしれない。


「透子さんは透子さんのやり方で頑張ればいいと思うよ。だって、明さんとは別の人間なんだから。魔法が掛かってないってことは、魔法が解けるリミットがないってことなんだから。ゆっくり自分のペースで」

「ありがとうございます。そんな風に考えることもできるんですね。今まで何もできずに焦っていたんですけど、心が楽になりました。」

 

 いつか透子にも硝くんの口から伝えてあげて


 明さんから頼まれていた約束。今日果たそうと意識してたわけじゃないけど、この約束を無事に守れた。

 僕のシンデレラの解釈で姉妹の心が楽になったのならそれは喜ばしい。


「三人でのデート楽しみです。私、お姉ちゃんには負けませんから」

 

 今までで一番自信たっぷりな言葉だと思う。髪で隠れた瞳は僕をまっすぐ見つめている。


「その前に今日の水族館を楽しもう。今はペンギン特集をやってるらしいよ」

「ペンギンさん! 一羽でも可愛いのに、たくさん集まると可愛さが何十倍にもなるペンギンさん!」


 どうやら透子さんはペンギンが好きらしい。よかったなペンギン。

 ペンギンにテンションが上がった透子さんは魔法に掛かったように足取りが軽くなった。僕はそんな透子さんに置いて行かれないように、ペンギンの親子みたいにしっかりと後ろを追った。

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