第8話 後ろ髪を引かれる

 ウチもしょうくんのことが好きだから


 デートから帰ったあともあかりさんの言葉がグルグルしている。

 明さんからは直接、透子とおこさんからは間接的に告白されたようなものだ。ずっと、明さんが彼女だったらという妄想をしてたけど、いざそれが現実味げんじつみびてくると途端に妄想が浮かばなくなる。


「好きって、恋愛的な好きだよなあ」


 ベッドに横たわり天井を見上げながら思わず独り言が漏れた。

 いつも助けてくれるから『好き』

 この線は透子さんならありえる。

 人生の転機になったから『好き』

 明さんはこれの可能性がある。シンデレラの話をした時、すごく喜んでくれたし、あの場の勢いで『好き』と言ったのかもしれない。


「はあ。両想いっぽいのに、身動きとれないなあ」


 明さんに告白して付き合い始めたら図書委員の時に気まずい。

 透子さんに告白するのは何か違う。ちょっと気持ちがかたむいた瞬間はあったけど、僕はやっぱり明さんに憧れに近い好意を抱いてる。


「ひとまずは今の関係……で、いいのかな」


 スマホをチラリと見ても誰からもメッセージは届いてなかった。何かきっかけがあれば動き出せるんだけど。


 初デートは楽しかったけど、透子さんと明さん、二人と一度にデートしたような感覚があってすごく疲れた。

 充実した疲労感に襲われた僕はいつの間にか眠ってしまい、気付けば翌日の朝になっていた。


***


「なあ子津ねづ。昨日、映画館にいたか?」


 見つかってたあああ! でも、明さんについては言及されてない。正直に映画館にいたことだけを伝えよう。僕の中で方針が固まったその時


「おはよう。硝くんはウチと一緒に映画を見にいってくれたんだ」

「え? あ、は、はい」


 突如会話に割って入る明さん。三次元女子に対して僕以上に免疫のない浅倉あさくらはオーバーヒートを起こしたかのようにまともに返事ができていなかった。

 だけど今は浅倉なんてどうでもいい。クラス中にざわめきが起きている。


「す、鈴鳴すずなりさん。そんなに大声で映画を見に行った話をしなくても」

「硝くん? 鈴鳴さんじゃウチか透子かわからないって言ったじゃん。いつもみたいに明って呼んでよ」


 いつもみたいにと言われても明さんと呼び始めたのは先週の話だ。それに『あかり』なんて呼び捨てじゃない。クラスの注目が僕に集まる。特に男子からは怒りの視線を感じて恐い。


「あの……明さん。傘を貸したお礼で僕を映画に誘ってくれただけで、別にデートとかじゃなかったよね?」

「え? あれは完全にデートでしょ。そうだ、今度は透子と一緒に遊びに行ってね。あの子も昨日のことを話したら行ってみたいって」


 うわあああああああ! 火に油だよ。明さんとデートしただけじゃなく、まるで僕が妹と、透子さんと二股を掛けてるみたいじゃないか!

 男子は怒りの炎を燃やし、反対に女子は目を輝かせている。そうだよね。女子って男女の修羅場が好きそうだもんね。


「子津くん、ちょっと話聞かせてくれない?」

「おい。大人しそうな顔してどういうこった」


 普段はほとんど関わりがないスクールカースト上位の人達がそれぞれの思惑を抱えて僕の席に集まってくる。浅倉はまだオーバーヒートから回復していない。こと発端ほったんであり、唯一の味方になってくれそうな明さんは女子と楽しそうにお喋りしていた。


「話せば長くなるんだけどね……」


 相相合傘あいあいあいがさのくだりなんて当然話せないので、傘を貸したお礼に映画を一回おごってもらったということにしておいた。嘘は言ってない。


***


「ってことがあったんだ。もう大変だったよ。『なんで子津くんが明と!?』とか『いくら貢いだんだ』とか質問攻め。明さんは楽しそうだったけど、僕はもう疲れたよ……」


 どうにか一日を乗り切ったあと、図書室に向かうと透子さんが先に待っていた。大変な一日だったけどここはいつも通りで安心する。


「ご、ごめんなさい。お姉ちゃんが。……ううん。元はと言えば私が勇気を出して子津くんと映画に行っていればこんな話には……」


 シュン……と申し訳なさそうに縮こまる。その愛らしい姿を見ると、姉の暴走もなんだか許せてしまいそうだった。


「大丈夫。たぶん明日から少しずつ元の生活に戻るから。それより透子さん、デートの話なんだけど」

「ひゃ、ひゃい!」


 珍しく透子さんが図書室で大きな声を出した。数少ない利用者もカウンターに振り向く。


「子津くんが良ければ、私もお姉ちゃんみたいにデート……したいです」


 伏し目ふしめがちに恥ずかしそうに言われると心をくすぐられる。明さんみたいに引っ張ってくれる女の子に憧れてたけど、こういうのもアリだ。


「よかった。まだ見たい映画があって、透子さんも好きそうなジャンルだからそれにしたいんだけど、どうかな?」

「はい。お姉ちゃん、子津くんと映画を見て楽しそうだったので、私も映画見たいです」


 お姉ちゃんが楽しそうだったので


 明さんから透子さんの話をいろいろ聞いたので、この言葉が少し引っ掛かった。あくまで姉のあとを追いかける。自分から初めてのことはしない。

 もし僕が明さんと付き合い始めたとしても、透子さんは僕の彼女にはなれない。目標を失った透子さんは魔法が解けたシンデレラのように幸せになれるか少しだけ心配になった。


「子津くん?」

「あ、ああ。ごめん。ちょっと考え事してて」

「それなら良かったです。それと、実は私、行ってみたいところがあって」

「どこどこ?」

「水族館なんですけど、一緒に行ってもらってもいいですか?」

「もちろん! 透子さんの誘いならどこへでも」


 透子さんから誘いを受けるなんて思ってもみなかったので少し驚いた。薄暗くて静かな雰囲気の水族館というのは透子さんらしい選択だと思う。


「それじゃあ映画は見ないで水族館に行く?」

「あの……映画も見たいです。お互いに感想を言い合うのってすごく楽しそうなので」


 透子さんのふりをした明さんとも盛り上がったんだから、本物の透子さんならもっと……あれ? あの映画、透子さんは好きそうな感じだったけど、明さんも好きなのは意外だったな。『猫の宅急便』も好きだったし。双子で同じ家に住んでれば、同じ物を好きになることもあるか。


「ねえ、透子さんは『猫の宅急便』を知ってる?」

「はい。私もお姉ちゃんも大好きで。絵本も買ってもらいました」

「二人ともタイプは違うけど、共通の好きな物もあるんだね」

「最近はあまり被らないですけど……小さい頃は何でもお揃いでした」


 透子さんは少し寂しそうな表情を浮かべる。過去を懐かしんでいるのか、今の二人の関係を想っているのかはわからない。


「お姉ちゃんの話で思い出しました。子津くん、ポニーテールがお好きなんですか?」

「ふえ?」


 唐突な性癖せいへきの話に動揺してしまった。


「お姉ちゃんと、私と二人きりの時はポニーテールにするって約束したと聞いたので」

「あれは僕が透子さんだと勘違いしてた明さんと約束しただけで、だから約束したけど約束してないみたいな」


 あははと笑って誤魔化ごまかす。本人とならともかく、人伝ひとづてでポニーテールにする約束なんてちょっとおかしい。


「……いいですよ。ポニーテール」

「え?」

「人が大勢いる場所だと恥ずかしいですけど、みなさんが帰ったあとの図書室とか、子津くんと二人きりの時なら……いいです」


 つばをごくりと飲み込む。明さんと同じ顔だからポニーテールにしてもらっても普段教室で見るポニーテールと同じはずだ。それなのに、普段は髪で顔が隠れている透子さんのポニーテールだと思うと妙に興奮する。


「ほ、本当にいいの?」

「……子津くん、目が血走ってます。鼻息も荒いです」


 あまりの出来事に興奮が身体変化として漏れてしまったようだ。落ち着け僕。透子さんの言う通りなら、今の僕は変質者だ。


「ごめん。透子さんのポニーテールを見られると思ったら嬉しくて、つい」

「それってやっぱり、お姉ちゃんのことが好きってことなんですか?」

「……」


 透子さんからの問い掛けに僕は何も返すことができなかった。

 明さんが放った、

 

 ウチも硝くんのことが好きだから


 この言葉が目の前にいる透子さんにも告白されたような、そんな気持ちにさせたから。


「ご、ごめんなさい。変なこと聞いちゃいました。恥ずかしくてする勇気がなかったんですけど、お姉ちゃんみたいな髪型に憧れもあったので、子津くんはいい機会をくれました」


 僕からスッと目を逸らし急に多弁になる。僕が明さんみたいな性格ならもっとハッキリとした態度を示せたのかもしれないけど、今の僕にはどう動くのが正解なのか全く想像もできなかった。


「それでは放課後、みなさんが帰ったあとに……よろしくお願いします」

「は、はい。こちらこそ」


 ただポニーテールにしてもらうだけなのに妙な緊張感が二人の間を走る。髪型を変えるだけ。髪型を変えるだけ。そう自分に言い聞かせて心を落ち着かせた。


***


 試験前でもないのでそんなに多くなかった利用者が図書室から出ていくと、ここには僕と透子さんの二人しかいない。

 図書委員が最後に片付けをして鍵を閉めるのだからこの一年で何度も、ほぼ毎日経験していることなのに、今日だけは妙な緊張感に包まれている。


「それでは、よろしくお願いします」

 

 何をよろしくすればいいのかわからないけど、僕と透子さんは対面して座っている。透子さんが髪を結ぶ様子をこうして観察しろということなんだろか。


「あの……ごめんね。お風呂に入る時に適当に結ぶくらいで、お姉ちゃんみたいにしたことがないから……手伝ってほしいです」

「手伝ってって言われても僕もわからないよ!」


 異世界モノが好きだけど異世界に行ったことがないように、ポニーテールが好きでもポニーテールにしたことはない。好きと経験は必ずしも一致しない。


「さっきスマホで調べました。これを参考に結んでくださればいいと思います」


 そう言って透子さんは左手でスマホを手渡す。実はまた明さんがふざけてるんじゃないかと警戒したけど、目の前にいるのは透子さんだ。泣きボクロもしっかり確認している。


「それでは……失礼します」


 透子さんの髪を触ると自分にはない花のような香りがフワッと漂う。手触てざわりもツルツルで、僕の頭に生えているものと同じものとは思えないほど綺麗な髪だ。

 後頭部で結ぶために髪の毛を集めると、隠れていた耳や首筋が露わになる。後ろに立っているから見えないけど、顔だってしっかり出ているはずだ。


「……」


 透子さんは何も言わずじっと僕に髪を触らせてくれている。耳がほんのりしゅに染まっているのを見て、僕も釣られて恥ずかしくなる。

 僕の中にあるポニーテールの完成形は明さんなので、明さんを思い浮かべながらゴムで髪をまとめた。


「できたよ。ごめん。あんまりうまくできなかったかも」


 完成のイメージはあってもそれを実現させるのはとても難しい。女子は毎日こうやって髪型を作ってて偉いと感心した。


「ありがとうございます。どうですか? 変じゃないですか?」


 透子さんはイスから立ち上がりこちらに振り向くと、そこには明さんとは全く違うポニーテールの美少女がいた。

 僕の作ったポニーテールのクオリティが低いとかじゃなく、同じ顔で同じ髪型なのに雰囲気は透子さんそのもの。明さんとは別の魅力を持った女の子だと断言できる。

 明さんが教えてくれた二人を見分けるポイントである泣きボクロは、透子さんの魅力を引き立てる武器だと実感した。


「すごい可愛いよ。僕がもっと上手に髪を結べたら良かったんだけど。透子さんも髪を結んだ方が絶対良いって。髪で顔を隠したらもったいないよ」

「……でもそれだと、お姉ちゃんの劣化コピーになっちゃう」

「え?」


 透子さんの言葉が胸に突き刺さった。お姉ちゃんの劣化コピー。

 顔や髪型は同じにできるけど、成績や人間関係までは同じにできない。僕は透子さんの魅力を知ってるけど、受験や就活で有利に動けるのはきっと明さんだ。

 同じポニーテールでは姉に勝てないという不安が、透子さんのスタイルを決めていたのかもしれない。

 そんなことも考えずに僕は……!


「透子さん、もう一度だけ髪を結ばせてもらっていいかな。上手にできるかわからないけど、もっと似合いそうな髪型があるんだ」

「……」


 透子さんは無言で頷いてくれた。今度は僕のスマホでヘアアレンジの仕方を検索する。明さんみたいな快活なバスケ部員ならポニーテールが一番だ。でも、透子さんみたいな文学少女なら……これしかない!

 数多くのラブコメをたしなみ、ヒロイン達との恋愛を妄想してきた僕が辿り着いた答えは


「できたよ。気に入ってもらえると嬉しいんだけど」


 透子さんの左肩にはまとめた髪が垂れ下がっている。顔をしっかりと出しつつ、それでいて大人の落ち着きを演出できる。


「サイドポニーって言うんだけど、どうかな。高めの位置で結ぶとアイドルっぽくて、低めの位置で結ぶと大人のお姉さんって感じなんだよね」


 透子さんはスマホの自撮りモードで自分の顔を映し髪型をじっくり観察している。


「顔は同じだけどさ、性格も好みも違うわけじゃん。だからポニーテールも透子さんに合わせてアレンジした方が似合うって思ったんだ」

「ありがとう。子津くん。私のこと、ちゃんと見てくれて。知ってくれて」


 ポロポロと涙を流す姿に僕はうろたえてしまった。


「こんなに可愛くしてもらったのに、でもやっぱり、顔を出して外を歩くのは恥ずかしいなって思ったら申し訳なくて」

「泣かないで。二人きりの時に見せてもらえたら十分だよ。それに二人の秘密って感じで嬉しいし」


 透子さんが落ち着くのを待ちつつ、僕は結んだ髪を解いた。

 もったいない気持ちもあるけど、本人がまだ恥ずかしいのなら仕方ない。いつ自信を持って、みんなの前でサイドポニーを披露できる日が来たら、それは透子さんにとって大きな一歩になる気がした。

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