第3話 姉僕妹

 鈴鳴すずなりさんに姉からメッセージが届いたらしい。


「もしかしてお姉さんが傘を持ってるとか?」

 

 バスケ部なら雨に関係なく体育館で練習できる。喋りながら着替えてたら一時間くらいは平気で時間が経つかもしれないし、そのタイミングで傘を持っていない妹にメッセージを送ったのかもしれない。


「ええと。それがですね、お姉ちゃん、私が傘を持ってると思って自分の傘を貸してしまったそうです」

「へ?」

優香ゆうか風間かざまくんと相合傘あいあいがさできて嬉しそうだって書いてあります。私は知らない人達ですが」

「あー、うん。僕と同じクラスのバスケ部だね」


 姉の鈴鳴さんって風間のことが好きじゃなかったの? まあ風間以外にライバルは多いだろうから手放しては喜べない情報だけど。


「どうしましょう。私も傘を持っていません。子津くん、一緒に来てもらっていいですか?」

「う、うん。いいけど」


 僕が一緒に行ったところで何の解決にもならない気がするんだけど……。


***


「おねえちゃーん」

 

 こんな大きな声を出せるのかとビックリするくらい、正面玄関で姉を発見するなり普段では考えらない声量で呼び掛ける。


「よかったー。透子とおこまだ学校に居たんだ。お? しょうくんじゃん。いつも妹がお世話になってます」


 まるで保護者のように深々と頭を下げる姉の鈴鳴さん。どういうノリなのかも付いていけないし、何より『硝くん』と呼ばれたことに戸惑ってしまう。


「こちらこそ、いつも鈴鳴さんに助けられてるよ」


 僕が言う鈴鳴さんは妹の方を指す。同じ苗字だとややこしい。


「いやー、ずっと置きっぱなしだった傘が部室にあったんだけど、たまたま優香と風間くんが傘を持ってなくてさー。この傘を二人に差し出せば進展があるかなって思っちゃったわけよ」

「もう! 後先考えずに行動しないでください!」


 むぅ! っと、ほっぺを膨らませて猛抗議する妹の鈴鳴さんがハムスターっぽくて可愛らしい。怒ってる鈴鳴さんを見るなんて初めてだ。。姉の前だとこんな感じなのか。普段はあんまり感情を表に出さないからすごく新鮮。


「あはは。ごめんって。それで透子は傘持ってたりしない?」

「私も持ってないですよ。あんまり雨が強いので子津くんと図書室で止むのを待ってたんですが……」

「だいぶ弱くはなったけど止んではないねー」


 全然タイプの違う二人だから学校で話すところをほとんど見たことがないけど、こうして姉妹同士で普通に会話するという発見ができてちょっと嬉しい。


「硝くん、まさか傘を三本、いや、二本でいい。持ってたりしない?」


 急に僕に話題を振られてビクッとしてしまう。妹の鈴鳴さんなら慣れてるから平気だけど、姉の鈴鳴さんは生きてる世界が違うみたいなイメージもあるから話し掛けられると緊張してしまう。


「さすがに二本は……一本ならあるんだけど」

「そうだよねー」


 海外ドラマみたいなオーバーリアクションでガックリする姉の鈴鳴さん。ここまで落胆されると傘を貸さないのが申し訳ない気持ちになってくる。これは人気者の成せる技なのだろうか。


「ダメですよお姉ちゃん、子津くんを困らせたら。子津くん、私達のことは気にしないでください。もう少ししたら雨が止むと思いますし」


 鈴鳴さんが根拠のない天気予報で姉をなだめる。姉がいかにも姉って感じの姉妹だと思ってたけど、妹の鈴鳴さんの方が包容力があるのかもしれない。本当に僕は鈴鳴さんのことをよく知らなかったんだな。


「お父さんはまだ帰ってきてないよねー。車で迎えに来てもらったら解決なんだけど」

「さすがにまだだと思います。一応連絡してみましょうか?」


 どうやら二人は父親に頼ることにしたようだ。だけど、その勝算は低いらしい。

 僕はここでどうするべきなんだろう。ラブコメ主人公だったらきっと行動を起こすはず。姉の鈴鳴さんとこんなに話せたのは初めてだし、思い切って……!


「鈴鳴さん、僕の傘を貸すから二人で帰りなよ。あんまり遅くなっても良くないし。僕が残って様子を見て帰るから」


 傘を貸せば、返してもらう時にまた話す機会ができる。教室で返すなら姉が、図書室で返すなら妹がって感じだろう。何となく妹の鈴鳴さんが返してくれそうな気がするけど、姉へのアピールにはなるはずだ。


「そんな、悪いですよ。私達ならお父さんが迎えに来てくれますから。ね?」

「うむ。この傘をウチら二人で使うなんてできない」


 妹の鈴鳴さんの答えはある程度予想していたけど、まさか姉の方にも遠慮されると思ってなかった。僕が濡れるのを気遣ってくれているのなら嬉しい。


「硝くんの傘は大きそうだし、ウチら三人で一緒に帰ろう。相合傘? いや、相相合傘あいあいあいがさかな」

「何を言ってるの鈴鳴さん」

「二人で相合なら三人なら相相合あいあいあいかなって思ったんだけど」

「そうじゃなくて!」


 傘を貸すのを断られたのではなく、まさか三人で一本の傘を使おうと提案されると思わなかった。確かにこの傘は大きめだけど、さすがに三人は無理じゃないかな。


「お姉ちゃん! それだと三人とも濡れてしまいます」

「そう? 硝くんを真ん中にすれば硝くんは無事だと思うけど?」

「あ、あの……鈴鳴さん」

「なに?」「なんですか?」


 姉妹揃って僕の方を向く。双子なだけってあって息がぴったりだ。


「うーん。ウチも透子も鈴鳴だから鈴鳴さんだとややこしいよ。ウチのことは明って呼んで」


 さすがクラスの人気者だ。距離の詰め方がうまい。妹と同じ苗字だからという筋の通った理由で自然に名前呼びにしてくる。女子への免疫が妹の鈴鳴さんくらいにしかない僕には刺激が強すぎる。


「あ、あかり……さん」

「そんなに緊張しなくていいって。ウチら中学からの友達じゃん」


 どうやら鈴鳴……明さんの中で僕は友達という位置付けらしい。


「お姉ちゃん、あんまり子津くんをからかわないでください! ごめんなさい、変なお姉ちゃんで」


 姉に文句を言いつつもその表情はどこか楽しそうだ。


「いくら傘が大きいからって三人は無理ですよ。子津くんからも言ってあげてください」

「鈴鳴さんの言う通りだよ。さすがに三人は……って、うわ!」


 突然、明さんが僕の腕に抱き付く。自分が着ているものと同じ制服の感触に加えて、その下にあるであろうブラジャーの固さと明さんの体温が伝わってくる。


「な、な……っ!」

「そんなに照れないでよ。今からこの状態で帰るんだから。これくらい密着すればウチの濡れる部分も減るでしょ? ほら、透子も」


 男子にこれくらい密着するのがさも当然かのように妹を手招きするあかりさん。こんなに近い距離って付き合ってる同士じゃないとありえないんじゃないの? もしかして明さんって僕のことが好きなの!? 現実での恋愛経験がないから距離感が全くつかめない。


「む、無理ですよ! 私がお父さんの迎えを待ちますから、二人で傘を使ってください。」


 妹の鈴鳴さんは姉からの誘いをキッパリと断った。うん。普通の女子ならこういう反応になるよね。よかった。妹はちゃんと僕の常識が通じる人だ。


「えー! そんなことしたらウチが薄情はくじょうみたいじゃん。硝くんもそう思うよね?」

「ん? え、あ、うん」

「子津くんだって困ってるじゃないですか! ほら、もう少し離れて」


 そう言って鈴鳴さんは明さんを僕の腕から無理矢理がした。距離は離れたけど周りには残り香がある。呼吸する度に明さんの感触を思い出してしまってよくない。嬉しいけどよくない。


 ブブッ! ブブッ!


 着信を知らせるバイブの音は妹の鈴鳴さんが持つスマホからだった。


「ええー! お父さん、今日は帰りが遅くならから迎えに行けないって」

「そしたらもう選択肢は一つだよね?」


 泣きそうな目でスマホを見つめる妹と、ニヤリと笑う姉。父親が迎えに来れないことに対するリアクションがこうも真逆になるなんて。


「ほら、透子。いつも図書委員でお世話になってる硝くんに恩返しできるチャンスだよ?」

「え?」

「この子、いっつも硝くんの話してるんだよ。図書委員の手伝いをしてくれて助かるって。硝くんだって透子が相相合傘に入ってくれたら嬉しいでしょ?」


 まさか鈴鳴さんが家で僕のことを話してくれていたなんて。これってもしかして妹の方にフラグが立ってるんじゃ。そう勘違いしてもおかしくない展開だ。


「透子って人に気を遣い過ぎるから、図書委員で何でも一人で背負い込むじゃないかって心配だったんだ。硝くんが一緒なら心強いなってずっと思ってて、お礼を言いたかったんだ。ありがとね」


 妹を通じて姉の好感度を上げる作戦が意外とうまくいっていたらしい。僕は心の中でガッツポーズする。


「こちらこそ、いつも鈴鳴さんに助けてもらって」

「硝くん、透子のことも透子って呼んでくれないとどっちかわからないよ?」

「うっ……!


 明さんはグイグイくるから勢いに負けたけど、まさか妹の呼び方まで姉から指定を受けるとは。


「透子さんは……その、三人一緒に帰るのはどうかな?」

「……子津くんが良いなら、……お願いします」


 透子さんは僕を『硝くん』とは呼ばないけど、女子を下の名前で呼ぶって緊張する。特に妹の方はずっと鈴鳴さんと呼んできたわけで……。呼び方を変えるのってやっぱり一大イベントだ。


「あんまり密着されると恥ずかしいけど、三人で帰れたら楽しそうかなって思えてきたよ」

「そうだよねー。透子、観念して硝くんに近付いて」

「……子津くんのエッチ」

「ええ!? なんでそうなるの!?」


 髪で隠れた透子さんのジト目が僕のメンタルを削る。明さんが強引にこの展開にもってきただけで僕は巻き込まれただけのに。


「ちなみに透子はウチより少しだけ胸が大きいから」

「お姉ちゃん!」

「だって本当のことじゃん。顔も身長も同じなのになぜ」


 明さんよって放たれた爆弾によって僕の視線はつい透子さんの胸元に行ってしまう。明さんもスタイルが良いけど、透子さんはそれ以上のものを持っているのか。思わずゴクリとツバを飲み込んだ。


「子津くんの視線、すごくいやらしいです」

「ち、ちがっ! これは明さんが」

「ほほー。人に罪をなすりつけるような男に妹は任せられませんなー」


 事の発端は明さんなのになぜか僕が一番の悪者みたいな扱いを受けている。姉妹揃ってジト目で見つめられると、どんなに弁明しても無駄なような気がしてきた。


「なーんてね。傘の恩人を犯人扱いなんてしないよ。ほら透子、早く早く」


 そう言って明さんは再び僕の右腕に抱き付く。二度目とは言えこの感触と温もりは刺激が強い。


「……それでは、おじゃまします」


 透子さんは姉とは対照的に控えめに腕を組む。少しだけ大きいと言われた胸もギリギリ僕の左腕にくっつかない。


「もう、それじゃ濡れちゃうわよ」

「平気です! 雨も弱くなってきてますし」


 透子さんが控えめな性格で助かった。左右の腕に女の子が密着してたら理性を保てる自信がない。理性を保てなくなったところで勇気がないから何もできないだろけど。ほら、勝手に反応しちゃう部分ってあるじゃん。


「……傘はどうやって持てばいいの?」


 両腕が塞がって初めて気付いた。この状態で僕が傘を持ったら、どちらかの胸に傘がぶつかってしまう。


「そしたら、透子が傘持ってくれる? ここは妹優先ってことで」

「良いお姉ちゃんだね」

「でしょ?」


 ニヒヒと得意げに笑う明さん。しかし、この笑顔の裏にはとんでもない企みが隠されていた。


「それじゃあ帰ろうか。透子さん、悪いけど傘お願いね」

「は、はい」


 鈴鳴さんは傘を開くと、僕の方に身を寄せてくる。


「どうしたの? つまずいた?」

「……お姉ちゃん……濡れちゃうから」


 左側に立つ透子さんが傘を持つということは、右側に立つ明さんの頭上を守る面積が減るということ。それを少しでも解消するためには、透子さんが右側に寄る、つまり僕に密着するしかない。


「ありがとう。透子のおかげで濡れずに済むよ」

「……」


 妙に楽しそうな明さんとは反対に、透子さんは耳を真っ赤にして黙り込んでしまう。僕も体が熱くなるのを感じている。女の子こんなに密着、しかも可愛い双子に左右からなんて、一生分の運を使い果たしたかもしれない。


「やっぱり今からでも二人でこの傘を」

「ダーメ。ウチはもう少し濡れちゃってるし、今更二人だけで使っても遅いよ」


 確かに明さんのポニーテールは少し濡れている、なんで髪の毛って濡れると色気が出るんだろう。いつも教室の後ろから見ているポニーテールからいつもとは違う印象を受けた。


「ところで硝くん、もしウチか透子、彼女にするならどっちを選ぶ?」

「ど、どうしたの急に!?」


 ここで『明さん』と即答できなかったのは、勇気がないからだけじゃなく、透子さんもいるからだ。もし仮にこの回答で明さんを彼女にできたとしても、ズバっと透子さんを切り捨てるなんてできない。


「お姉ちゃん! 傘を貸してくれた子津くんを困らせちゃダメですよ。私に気を遣ってお姉ちゃんを選べないじゃないですか」


 透子さんは自分が選ばれないと思っているらしい。僕が好きになってるのは明さんの方だけど、妹の透子さんだって十分魅力的だと思う。みんなが気付いてないだけで。


「いや、僕、明さんのことをちゃんと知らないし、透子さんだって一年も一緒に図書委員をしてるのに実は知らないことだらけで……。こんな状態でどっちかなんて決められないよ」


 半分建前たてまえ、半分本気ほんき。そんな返事をするのが精一杯だった。二股とかそういうことじゃなく、もし二人とも僕を好きになら、二人をよく知った上でちゃんとした答えを出したい。


「さっすが硝くん。ウチらが双子ってことをちゃんと尊重してくれてる。と、いうわけで透子、硝くん、今週末デートしてきなさい」

「「え?」」


 僕と透子さんの声が、双子でもないのにシンクロした。

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