第7話 本当のヒーロー

 その日、カラスの小さな影が渦巻く空は早くも夕日を飲み込もうとしていた。

 そんな下校途中。坂道の途中で、突然、カン、カン、カン、カン、カン、カン、カンと電車の警報機の音が、けたたましくボクの頭の中に鳴りひびいた。一緒に歩いているイクミちゃんたちは何事もなかったかのように歩きながら、おしゃべりしている。きっと普通では聞こえないほどかすかな音をリトルがキャッチしたに違いない。

「どうしたんだい?」

 ボクの無言の問いかけに、頭の中からすぐさま返事が返ってくる。

『さっきの電動車椅子の人!』

 リトルはボクが見聞きしても忘れてしまう細かなことも、細部にわたってすべて記憶してしまう。

「スーパーの買い物袋を持ってた人?」と頭の中へボクが聞きかえす。

『そう。あの人あぶないよ!』

「どうして?」

『カラスたちがあんなに騒ぎはじめてる。カラスは異常なことに敏感だから! きっと、なにかあるよ!』

「わかった」

 リトルは長く生きてきた中で身につけた経験を武器に、そんな寄せ集めの小さな情報を分析して解決に導く能力も持っていた。まるで生きたコンピューター。ほんとにスゴい奴なんだ。

               *

 ボクは急にその場に立ち止まると、もと来た道を脱兎だっとのようにかけ戻りはじめた。慌てた様子でついてきたイクミちゃんが息を切らせながら必死に呼びかけてくる。

「急にどうしたの、モトヒコ君?!」

「さっきの踏切で事故が起こりそうなんだ!」ボクはリトルの推測を形にしてイクミちゃんに叫んだ。

「イクミちゃんは、だれでもいいから早く知らせて!」

 言い終わらないうちにボクは踏み切りを目指して走るスピードをますます上げた。

               *

 最初のカーブを曲がると眼下にミニチュアのような線路が見えてきた。その線路の向こう、警報機が鳴り続ける踏切の中で電動車椅子が倒れ、その横で人が必死にもがいている姿が遠目にも、はっきりと見えた。

 周りには誰もいない。

『やっぱりだ!』

「あそこから助け出さなきゃ!」

 転びそうになりながら坂をかけ下り、フェンスが張ってある線路沿いを全力で走っているボクの頭の中に切迫したリトルの声が響いた。

『電車を停めよう!』

 リトルの意見も正しいことはわかっている。でも2つの事を同時にできるほどボクはスーパーマンじゃない。電車を止めて倒れている人を助け出す。でも、この2つのことができなければ事故は避けられない。  

 遠くの方で特急列車の汽笛が鳴り響いた。

               *

『あそこの石を拾って!』

「石を?!」

『そう。石だよ! それで緊急停車ボタンのスイッチを入れるんだ!』

 リトルの考えを瞬時に理解したボクは走る速度を少し弱めると、こぶしより少しだけ小さめの石を拾い上げた。そして踏切とは反対方向にある警報機のある鉄柱を見据えた。いまいる所から見ると柱は割り箸のように細い。そこに付いているはずの停止スイッチはほとんど見えない。

『信じて!』

「信じてるさ!」

 叔父おじさんの研究室の窓から見える木の上からモモが降りられなくなった時も、リトルを信じてうまく下ろせた。

 それに河で溺れかけていた仔犬こいぬを助けた時もそうだったんだ。川へ伸びた枝へのジャンプの強さや方向、河に板切れを投げ入れるタイミング。それらを正確に計算してくれたのがリトルだった。今回だって間違いないはずだ。

 ボクは激しい呼吸で上下する視界を、まぶたを閉じてさえぎった。すぐさま頭の中はリトルの視点に切り替わった。そこでは警報機の停止スイッチが鮮明に見える。ボクは荒い息を少し整えると目を開けて指示を待った。

『右!』

『もう少し肩の力を抜いて!』

『今度はちょい左!』

『そこだ!』。

 ボクは力一杯に投げた。と同時にクルリと回転すると反対方向の先にある踏切に向かって心臓が爆発するほどの全力疾走しっそうを再開した。石の飛んでいく方向には目もくれない。

               *

 鋭く重いブレーキ音が辺りに響きわたった。

 気がつくと、ボクは倒れている人を踏切の外に引きずり出していた。駆けつけた警察官によれば、それは火事場の馬鹿力というものらしい。その証拠に電動車椅子に乗っていた人はボクがリスに見えるくらい大きな人だったからだ。

 結局、ボクの投げた石は警報機の柱の端には当たっていたものの緊急停止スイッチには命中してはいなかった。

 特急列車はイクミちゃんの緊急連絡で停まったのだ。

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