第6話 謎の黒背広

「も・と・ひ・こ・君!」

 イクミちゃんの声が耳元で鳴りひびいた。可愛らしく伸び伸びとした声とは違う、怒れば怖いしっかり者のクラス委員長の声で。

 そのしっかり者を、ボクとリトルが先月、文化祭のクラス劇でサポートしたのだ。うっかり台詞を忘れてしまった主演のイクミちゃん。真っ暗な舞台そでからリトルが覚えている台詞を小声で伝えるボク。劇が終わった後の鳴り止まない拍手。3人の絶妙のコンビネーション。イクミちゃんと仲良しになるきっかけになった記念すべき瞬間だ。

「聞いてるの?! 見学と、その後のお土産物の買い物は班行動だよ!」

『ふふっ、叱られたね』

「うるさいぞ、リトル」

「なに?」

「い、いや違うんだ。イクミちゃんに言ったんじゃないよ」

 リトルへの小声を聞きとがめたイクミちゃんの横では、同じ班のアキちゃんがリトルと笑っている。

「仲いいんだね」

「なに言ってんのよ、アキ!」とイクミちゃん。

「そうそう。『なに言ってんのよ、アキ!』」と大森君が混ぜかえす。

「ふざけないで! そんなひまがあったら社会見学のしおり作りよ。でないと、ちえ子先生に、また叱られるわよ」

『好きなら、好きって伝えればいいのに。も・と・ひ・こ・君』

「バ、バカなこというなよ、リトル!」

 耳まで真っ赤に染まったボクに皆の視線が集中した。

「リトルってなに?……」

 ボクはイクミちゃんの口から発せられたみんなの疑問をごまかすのに苦労した。

               *

 こんな風に放課後のクラスで毎日続けられた遠足のしおり作りも賑やかで楽しかった。でも作業はあまり進まなかった。それは大森君と福塚君が茶化したり、サボったりしたこともあるけど、そんな雰囲気を、いつもなら真っ先に注意する、ちえ子先生が、二、三日前から心ここにあらずといった、なにか落ち着かない雰囲気だったからかもしれない。

「そういえば、最近のちえ子先生、なにか変だね」とアキちゃんが口を開く。

「うん。私も同じように感じてた」とイクミちゃん。

「好きな人でもできたんじゃないか?」

 プリント用紙で手裏剣を折る手を止めた大森君が、イクミちゃんとアキちゃんの会話に何気なく割って入った。彼の発言は石が水に投げこまれたみたいに、ボクとリトルにどんどん波紋を広げていった。

「オレもそう思うな。男の感だけど」

 福塚君が腕を組みながら、うなずく。

『もし、そうなら可愛そうだね、叔父さん……』

「うん。スゴくガッカリするだろうな……」

 リトルの声に頭の中で応えたボクが目を上げると、4人の視線がボクの視線をとらえた。 体は大きいくせに、どこか頼りなげで憎めない叔父さんのことに、みんなも思いいたったに違いない。結局、叔父さんのちえ子先生への想いを知らない者は誰もいなかったってことか。

「ま、まぁ。ちえ子先生に好きな人がいるって決まったわけじゃないし……」

 でも、みんなの視線は、そうは言ってはいなかった。

               *

 ちえ子先生監督のもとで一日の作業を終えたボクたち5人は、談笑しながら、グランドを横切り、急いで正門まで歩いていった。下校時間ぎりぎりだったからだ。ふと、さっきまでいた2階の教室を見上げると、スマホでしきりに話している、ちえ子先生の姿が窓の向こうに見え隠れしていた。

「最近、ずっとアレだもん。やっぱりおかしいよ」

 視線を外したイクミちゃんは、ボクの右横でだれに言うともなく、ボソリとそうつぶやいた。

『用事の電話なら、普通は職員室でかけるよ、モトヒコ。よほど人に聞かれたくない話かなぁ?……』

 まったくリトルの言う通りだ。ボクはさっきみんなでしていた話を思い出して、自分のことのように暗い気持ちで正門を出た。そして危うくそこに停まっていた黒い乗用車にぶつかりそうになった。真っ黒で大きな自動車。しかも窓まで黒い、まるでカラスのような車。

               *

 ボクたちが立ち止まっているとカラスの後部ドアがゆっくりと開いた。中から、これまた真っ黒な背広を着込んでサングラスをかけた陰気な男が現れ、ボクたちに声をかけてきた。

「君たちは、ここの学校の生徒かね?」

 あっ気にとられて、みんな口々に「そうです」と応えると、陰気な黒背広の男は手に持った小さな小ビンから錠剤を山のように取り出してボリボリとかみ砕いた。そしてボクたちをゆっくりと見回すと地の底から響くような低い声で「早く帰りなさい」と告げ、こめかみを揉みながら、再び車内へと姿を消した。

 ただならぬ気配を感じて、その場を立ち去りぎわに車の方をチラッと振り返ったアキちゃんは、車が見えなくなる所まで来ると、ボクらが見落としていた情報を教えてくれた。

「ナンバープレート見た? あの車、領事館のだよ。どこの国の人かな? 日本語、上手かったね」

 ボクたち5人とリトルは不思議を抱えたまま、それぞれの帰路についた。

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