1943/11/YY(3)-side A-009-
「……八刀さん……?」
眼の前で仲睦まじげに飲み物を飲んでいる男女、その女子の方を見つめて、私こと九重はガラにもなく目を見開いていました。
だって、それはそうでしょう。あの八刀さんが。先生にだって基本的に塩対応ばっかりな八刀さんが、まさか男性と二人で歩いているなんて。
八刀さんとは恐らく一番付き合いの長い私ですら、彼女がそんなことをしている様子なんて当然見たことはありませんでした。
……ちなみに、なぜ私が彼女たちから少し離れた場所で、サングラスに帽子なんて怪しげな姿で二人の後をついて歩いているかと言えば――発端は、今日の朝のこと。
普段ならば学校のない日は部屋で読書などしていることの多い八刀さんが、今日に限っては朝食が終わって早々にそそくさと出掛ける支度をし始めたのです。
もちろん私は、尋ねました。「何か用事でも?」と。
ですがあの子はというと、露骨に目を泳がせながら「べ、別に」なんて――いかにも嘘ですと言わんばかりの嘘っぷりでそう答えたのです。
これはもう、怪しい。
そう思って遠巻きに観察していると、案の定八刀さんはそそくさと、他の子たちからも隠れるようにして「家」を後にしました。
――とはいえこの時点では、別に私とていきなり尾行しようなんて無粋なことを考えていたわけではありません。
八刀さんにだってプライベートというものは当然あります。一人でお出かけしたいこともあるでしょうから。
だから……私はまず、それとなく事情を他の人に尋ねてみることにしたわけです。
『あのあの、六花さん。ちょっといいですか』
『ほぇ? どしたのくー先輩。なんかいつになく真顔だけど』
『低血圧で。それより六花さん、その――八刀さんについて、お尋ねしたいことがあって』
『やっちゃんのことならくー先輩の方が詳しいんじゃ?』
『そうでもありません。学校に行っている時の八刀さんのご様子などは知りませんし。……でですね、六花さん。その……八刀さんについて、最近何か変わったことなどございませんでしたか。たとえば――好きな人ができた、とか』
『好きな人……あっ、そういえばこの前――』
――といった一幕を経て。私が掴んだのは、「八刀さんにコイバナの匂いがする」という六花さんからの極めて有力な情報でした。
こうなってくると話は別です。あの八刀さんにまさかそんな相手が現れるというのは喜ばしいことですが……それでもやはり私たちは特殊な身の上。
もしも相手が何かよからぬ輩で、八刀さんがその計略に陥りつつあるということもないとは限りません。
そうなれば八刀さんを救えるのはこの私しかいない――だからこそ、私は決意の上で八刀さんを追いかけることにしました。
ええ、決して恋愛の匂いを感じ取ってワクワクしたからとか、そんなわけではなく。
――。
幸い、八刀さんが「家」を出てしばらく後であったものの、どうにか彼女に追いつくことはできました。
「抑止剤」のおかげで今では以前と同じように杖さえあれば問題なく歩けるので、それが幸いした形です。
帽子とマフラーで申し訳程度に顔を隠しつつ、私は物陰からじっと、八刀さんとそのお相手らしき男性を観察することにしました。
金髪の、先生ほどに端正ではありませんがまあまあ男前な顔立ち。
年の頃で言うと二十歳近くかそこらといったところでしょうか。八刀さんのお相手としては(外見年齢、という意味で)やや年上です。御学友……という雰囲気ではなさそう。
「……八刀さん。一体どこで、あんな人と……?」
彼女は基本的に学校以外で外に出るようなことはなく、アルバイトだとか、そういったことをしている様子もありません。こう言っては何ですが、出会いの場なんてそうそうないはずです。
もしや本当に、何か怪しげな相手なのでは? そんな不安をよぎらせていると、二人が飲み物を飲み終えて歩き出しました。
考えるのは後、ひとまずついていくことにすると……二人は何やら節操なく、いろいろなお店に立ち寄っていきます。
写真用品のお店だったり、書店だったり。かと思えばいかにもファンシーな、ぬいぐるみばかり売ってるお店――ついでにこの帝都のどこにあったのか、怪しげな仮面が沢山売っている露店などまで。
「節操がない……というか、女の子とのデートだったらもっと雰囲気のいいところを選ぶものではありませんか?」
少なくとも、私の読んだ小説本ではもっとこう……デートというのは違った感じだったはずです。
実際歩き回っている間、八刀さんは始終何やら思案顔でおでこにしわを寄せていますし。
まあ八刀さんはいわゆるツンデレというやつですから、顔では怒っていても実はそうでもない、ということも往々にしてあるのですが――今の八刀さんは本気のお悩みモードです。
こんな体たらくではとても、八刀さんを預けておけません。
自分でも珍しいと思うくらいに怒っているのを感じながら、とはいえさすがにここで怒鳴り込むのも野暮ですので大人しく我慢。
と、そんなことを悶々と考えていたのがいけなかったのでしょうか。
「……あれ」
気付くと私は、二人の姿を雑踏の中に見失っていました。
尾行に失敗するとは、我ながら情けない。深いため息をつきながら、私はそれらしい道を選んで進んでみることに。
ですが……これまた失策と言う他ありませんでした。八刀さんのことを言えないくらい普段街に出ることのない私は――はっきり言って、まるで土地勘がないのです。
ただでさえ人がいっぱい歩いていて、その上迷路のように入り組んだ街並みの中。
……気付けば私は逃げるように、人気のない路地裏に入り込んでいました。
「……ええと、ここは」
きょろきょろと辺りを見回すと、どうやら商店地区から少し離れてしまった様子。
どことなくじめじめとしていて、まだ午前中だと言うのにもかかわらず薄暗い……嫌な雰囲気の場所でした。
道の端の方には座り込んで動かない男の人だったり、いかにもガラの悪そうな連中だったりが蠢いていて……私でも分かるほどに、明らかによくない空気。
多分二人も、こんな方には来ていないでしょう。そう思いながら、私は早足で踵を返そうとして――その時のこと。
後ろから来た人にぶつかって、私はたまらず転んでしまったのです。
「っつぅ……すみません」
「てめぇ、どこ見て歩いてんだこのクソガキ――」
と、そこまで言ったところでぶつかってきた男――これもまた人相の悪い男でした――が、私のことをじろじろと見つめてきました。
何かと思っていたところ、私は被っていた帽子が横に転がっていることに気付きます。
……私としては自慢の、けれど普通の人からしてみれば一目で尋常でないと分かる、桜色の髪があらわになっていることにも。
私の顔を見て、男の目の色が明らかに変わりました。
「……ほぉ、てめぇ――写真を見たことあるぞ。連邦の作った人殺しの化け物だよな」
「っ……!」
嫌な予感がしてとっさに帽子を拾い、逃げ出そうとする私の右手を男がぐっと掴みました。
筋骨隆々とした太い腕。以前ならば振りほどくのも容易かったでしょうが、まだ病み上がりの身では思うように逃げられず。
そんな私を愉快そうに見下ろしながら、男は下卑た笑いを浮かべました。
「こりゃあ拾い物だ。てめぇらに恨み持ってる奴はたっぷりいるんだ。……そういう連中に売りつければ、いい儲けになるだろうさ」
「……なんてことを――」
思わず歯噛みする私でしたが、悲しいかな、切れる手札が私には残っていませんでした。
……【秘蹟】を使えれば、こんな男は一瞬のうちに骨も残さずに【腐敗】させることもできたでしょう。
とはいえどんな事情があろうと、これ以上【秘蹟】で人を殺したくはないですし――何より【抑止剤】がある以上、【秘蹟】を使うことはそもそもできません。
そんな逡巡をしている間に、どん、とお腹に鈍痛が走って。
……それきり私の意識は、暗い闇の底へと沈んでいきました。
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