1943/11/YY(2)
どうしてこうなったのか、と言えば、きっかけは実に他愛のないものだった。
八刀が通う学校のクラスで、たまたまこんな会話があったのだ。
「お誕生日おめでとう、はいプレゼント」「わぁ、嬉しい!」――なんてことのない日常の一風景。けれどそれは、ちょうど近く九重の誕生日を控えていた八刀にとっては少なからず衝撃的な内容だった。
「箱庭」においては、誕生日を祝う習慣こそあれ贈り物をするなんてことはなかった。
だが――どうやらよくよく観察してみると、外の世界、少なくともこの帝政圏ではそれがごく当たり前の風習らしいのである。
知らなければ、普段どおりに「おめでとう」という言葉や、精々普段より少しだけ豪華なご馳走でも振る舞っておしまいにしただろう。
だがとにかくこういうことに几帳面、悪く言えば神経質すぎる八刀にとっては、それは我慢ならないことだった。
知ってしまった以上、「普段どおりで済ます」などという妥協はもはやありえない。
九重が喜ぶような完璧なプレゼントを贈って、彼女の満面の笑顔を見たい。
そんな烈火のような思いのもと、彼女はその日から即座に行動を開始する決意を固めていた。
……のはよかったのだが、ここでひとつ、問題があった。
誕生日如何にかかわらず、八刀は誰かにプレゼントを贈るということをしたことがなかったのである。
当然と言えば当然。そもそも嗜好品・娯楽用雑貨の類などあの「箱庭」では一桁台が外から持ち込んだ物以外はおよそ存在せず、誕生日かどうかに関係なく、誰かに何かを贈るなんてことは滅多にない。
「他人に何を贈れば喜んでもらえるか」というのは八刀にとっていままで直面したことのない問題だったのだ。
ゆえに――彼女がまず頼ったのは、先人であった。
――。
「誕生日のプレゼント?」
とある休日の昼下がり。昼食の片付けを終えて部屋に戻ろうとしていた六花を、私は呼び止めていた。
先人。こやつのことをそう形容するのはいささか抵抗があったが……とはいえ今回のことに関して一番の適任は、恐らく彼女だろう。
六花と三七守は「箱庭」にいた頃から兎にも角にも仲が良い。そんな関係性もあって、当時からなにかの折にお互いに贈り物をし合ったりもしていたと記憶している。(というか、それに一度巻き込まれた件は今でもよく覚えている)
彼女ならば、私が一人で考えるよりもよほど良いアイデアを出してくれるのではないかと思ったのだ。
「ははぁ。そういうわけで、くー先輩のお誕生日に何かプレゼントしたいと」
「そういうわけなの。貴方、そういうの得意でしょ」
「得意かどうかは分からないけど……まあ、そういうのはわりとよくやってるかも。みーちゃんにもだけど、他の子とかにも」
言われてみれば、確かに三七守相手だけでなく、こちらに来てからは年少の子の誕生日などにも彼女は何かしらプレゼントをしていた記憶がある。
私よりも先にしっかりとこちらの風習に染まっているあたり、なかなかどうして周りが見えているらしい。
そう思ったところでふと、私はあることに引っかかる。
「……そういえば、貴方よくそんなにお金あるわね。お小遣いは年次ごとで同じ金額にしてるはずだけど……はっ、まさか何か良くないバイトとかに手を染めているんじゃないでしょうね!?」
顔を赤くしながら首をぶんぶん振る私を訝しげに見つめながら、六花は「してないよ」と苦笑した。
「前にやっちゃんがみーちゃんに編み物教えてくれたこと、あったでしょ。あれでみーちゃんが編み物にハマってて……だから私も一緒によくやるんだよね。それで二人で毛糸とか買って、皆にできたものプレゼントしてるの」
「なるほど……」
手作りであれば、確かに安上がりで色々作れるのは頷ける話だ。
納得しつつ、私は本題に戻ることにした。
「話が逸れちゃったけど。とにかくね、その……九重の誕生日に、何かあの子が喜ぶようなものをプレゼントしたいの。だけど、私は人に物をあげるなんてしたことないから――貴方に知恵を借りたくて」
「ふぅむ。そういうわけなら大船
早速若干不安になる調子だったが、自信満々にそう言って胸を張った後で六花は続ける。
「基本的には、贈り物ってこう――自分がもらって嬉しいものがいいと思うんだよね。やーちゃんは、何をもらったら良かったなって思う?」
「私は……」
言われて考えてみるが、今ひとつイメージがわかない。前述した通り、あまり他人から貰い物をしたりしないからだ。
うーん、と唸る私を見て、六花は「なら」と付け加える。
「好きな人からもらうとしたら、何がいい?」
「好きなっ!?」
瞬間的に頭の中に湧いたのは、ふんわりとした九重の笑顔。同時に自分でも分かるくらいに頬が真っ赤になって、私はぶんぶんと首を横に振った。余計に何も考えられなかった。
「なんだか意外な反応……も、もしかしてやっちゃん、誰か……!?」
「違うから!」
何か誤解がありそうな六花に慌てて否定しつつ、私は咳払いして話を戻した。
「ともかく。好きな人云々じゃなくて、もうちょっと他に何かアイデアはないかしら」
「そうだなぁ……そうすると無難に、くー先輩の好きなものとか」
口元に指を当てながらそう呟いた六花。しばらく二人で無言で考えた後、
「「……先生」」
同時に呟いて、私も六花も同時に呻く。
「思えばくー先輩の好きなものって、それ以外に思い浮かばないなぁ……。食べ物とかも、好き嫌いないし」
「そうね……。恋愛小説とかはけっこう読んでるけど、すごい好きってわけでもなさそうだし」
「うーん」
考えれば考えるほど、この線も袋小路に陥りそうだった。
……というかそれ以上に、悔しい。これでも九重のそばにはかなり長くいるのだ。その自分がこんなにも、彼女のことを知らないなんて――その事実と図らずも直面してしまったせいで、自然とため息が漏れる。
あるいは他の一桁台の姉たちが生きていれば、違ったのだろうか? 考えても仕方のないことだが、ついそんなふうに思ってしまう。
……そんな考えが顔に出ていたのかもしれない。
「落ち込むとまたおでこのシワが増えるよ、やっちゃん」
「……うるさいわね」
「そもそもさ、くー先輩はよく『
「…………『ミステリアス』?」
「そそ、それそれ」
難解にもほどがある聞き間違いである。落ち込む気分も吹っ飛んだのは、ある意味ありがたかったが。
肩をすくめつつ、私はもう一度だけ小さくため息を吐いた後で続ける。
「とはいえ、そうなると取っ掛かりがないわね……」
「だねぇ。こういう時は……あ」
そんな時、不意に六花が声を上げて庭の方を見る。視線を追ってみると――そこにいたのは、後ろで結んだ長い金髪と眼鏡が特徴的な大人の女性。
ティー、と名乗る帝政圏の軍人だった。
「おーい、ティーさーん!」
「六花!?」
何を思ったか、歩いている彼女を大声で呼ぶ六花。すると彼女の方もこちらの視線に気付いたようで、怪訝そうな様子で近づいてきた。
「……こんにちは。何でしょうか。私は
「ティーさんにちょっと訊きたいことがあって。そんなに時間は取らないから」
「はぁ。でしたら、構いませんが」
いまいち何を考えているのか分かりづらい鉄面皮のまま頷く彼女に、六花はあらましを伝える。
「かくかくしかじか、というわけで」
「九重さんにプレゼントを送りたいが、良い案が思い浮かばないと」
「ティーさんなら大人だし、なにかいいアイデアないかなぁって」
こういう時、誰に対しても物怖じしない六花は心強い。自分一人だったらティーにそんなことを訊ねようとは間違っても思うまい。
実際、ティーも珍しくやや面食らった様子であったが……しかし意外にも突っぱねるわけでもなく、「ふむ」と顎に手を当て真面目な顔で考えた後。
「……何も、思い浮かばないですね。そもそもお二人とも。私が誰かに贈り物をするようなタイプに見えますか」
「ティーさん、雰囲気は怖いけどけっこう優しいし」
けろりとそう返す六花に、ティーは無表情のまま……いや、正確には若干呆れた色を滲ませながら呟く。
「…………呆れたほどに純粋というか、なんというか」
「それはまあ、そう……」
つい同意しつつ、ともあれ内心では六花の人物評には少なからず私も同意はしていた。
連邦からのちょっかいで九重が連れて行かれそうになったり、そのアオリを食らって先生が捕まったり――色々なことがあった間、私たちのことを守ってくれていたのは他ならぬ彼女だった。
もちろん彼女にそれを言っても「私は皇帝陛下の命に従っているだけです」と言うだろうが、それでも彼女は不安定な立場の私たちが困ることがないよう、十分すぎるほどに便宜を図ってくれたのだ。
――などとは面と向かっては言わずにいると、ティーは何やら思案げにしてみせた後、ぽつりと口を開く。
「私ではお力にはなれませんが、女性への贈り物などには多少心得がありそうな者を一人知っています。よろしければ、取り次ぎましょうか」
「それは……願ってもないことだけど。大丈夫なの?」
いろいろな意味を込めての「大丈夫か」という私の問いかけに、ティーは数秒の間を置いた後、
「……まあ、およそのところは。一応私の部下に当たる人間で、あなた方の事情もよく知っている者ですので」
「なら、是非お願いしたいわ」
「了解しました」
――とまあ、少々長くなってしまったがそんな顛末があって。
ティーさんのつてで、私はカイという男と引き合わされることとなったのである。
■
まだ朝も早い時間だというのに、街はすでに活動を始めていた。
雑踏で賑わう商店地区を手を引かれながら歩いていると、カイ――もといレオンは私を一瞥する。
「大丈夫かい。なんならちょいと休むか」
「……別に。ちょっと人が多くて、驚いてるだけ」
普段は学校への行き帰りくらいで、こっちの方に出てくることはない。だから、この人通りの多さには正直面食らっていた。
それに加え、私の場合は聖痕症候群の影響で視力が悪いぶん、やや聴力が過敏なところがある。
……そのせいで、こうも人や音が多いと辟易してしまうのだ。
「顔色が悪いぜ。ティーから君を任されてる身なんだ。無理されて倒れられたら、俺も困っちまう」
「……う。じゃあ、少しだけ」
実際、根を詰めすぎたせいで皆に迷惑をかけたこともあった――その苦い思い出を回想しつつ、私は素直に従うことにする。
するとレオンは「いい子だ」と人懐っこい笑みを浮かべて、私の手を引いて近くの喫茶店へと向かった。
「何か飲もう。何がいい?」
「……別に、何でも」
そんな私のそっけない答えに「了解」と頷いて喫茶店のカウンターまで向かうと、しばらくして彼は持ち帰り用の紙コップを持って戻ってきた。
「ココアだ。熱いかもしれんから、気をつけな」
「子供じゃないんだから」
唇を尖らせながら、私はちびちびと紙コップに口をつける。確かに少し熱いが、やや肌寒くなってきた今の時期にはちょうどよかった。
なにより、優しい甘みが緊張感で疲れた体をほどよく和らげてくれる。安堵の息をこぼしていると、横で同じように紙コップをすすっていたレオンが口を開いた。
「ずいぶんと固くなってるようだが、そんなにガチガチじゃあいいプレゼントなんて選べないぜ」
「そういうものなの?」
「おうさ。贈り物ってのは贈る方も贈られる方も楽しい気分でなきゃいけないからな。女性に対して贈る時は、俺はいつだってそうしてるぜ」
「……軽薄な感じ」
「シャルみてぇな目で見るなよ……」
知らない名前を出しながらそう呻くと、レオンは頭を軽く掻きながら「まあ」続ける。
「でもそんだけ、君にとっちゃそのご友人……A-009だっけか」
「九重」
「……失敬。九重ちゃんのことが、大事ってわけだ。そう思ってるんならきっと、そうそう外れたものは選ばずに済むと思うぜ」
「……どうかしら。私はあの子が何を欲しがってるかも、よく分かってないのに」
「んなもん、誰にだって分かりゃしねえさ。御婦人への贈り物で大事なのは愛だ、愛」
歯の浮くようなセリフを平然と言ってのけるレオンを、私は半眼で見つめる。
いかにも女性慣れしていそうな振る舞い。だからティーも、彼を適任として寄越したのかもしれない。
――なんて、内心で失礼なことを考えつつ、私は飲み終えた紙コップを口元から離す。すると彼は間髪入れず、
「空になったか? なら、捨ててくるよ」
なんて言って、手を差し出してきた。
……やっぱり、手慣れている。無言で頷いて渡し、それを受け取った彼がゴミを捨てて戻ってくると――私たちは再び歩き出す。
すべては、九重の誕生日のために。
――だが。
「……八刀さん……?」
そんな私のあずかり知らぬところで、私たちを見つめる目があったことを、この時の私はまったく、これっぽっちも知るよしもなかった。
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