■1943/11/XX(5)
午後の授業を受けながら、私はいよいよ、落ち着かなくなってきていた。
タルシャはいったいどうしたのだろう。なんで帰ってこないのだろう。
胸の奥がざわざわして、私は思わずマフラーを掴んで落ち着こうとして……だけどなくなったことを思い出して、また悶々とする。
「えー、タルシャ・アレイネス。……んー、いないのか?」
出席を取る、間延びした先生の声。それを聞いたところで私はもう、いよいよ居ても立ってもいられなくなっていた。
体が勝手に動いて、席を立つ。すると教室中の視線が私に向けられた。
「あー、リッカくん。どうしたね……」
「先生、私タルシャを探しにいってきます」
「り、六花ちゃん!?」
隣の席のみーちゃんが慌てた顔をする中、私はそう宣言すると教室を見回して……タルシャの取り巻きをしていた男子を見つけると声をかけた。
「ねえ、タルシャがどこにいるか知らない?」
「へ? いや、なんだよ……知るわけねえだろ」
「なんでもいいの。心当たりとか、そのくらいでも」
困惑する先生には悪いけれど、そっちのけでそう訊ねる私。すると男子はわけがわからないといった顔で私に尋ね返す。
「なんでお前が探しに行くんだよ」
「それは……だって、タルシャ、私のせいで泣いてたから。だから――私が行かなきゃ」
そう言うと、男子は呆気にとられた様子で口をぽかんと開けた後、バツが悪そうな表情をして頭をかいた。
「……裏庭にある、古井戸。ひょっとしたら、その――お前の捜し物も、そこにあるかもしれねえ」
「そっか、分かった! ありがとね」
「ありがとうって……」
何か言いたげな男子だったが、そこで会話を切り上げると私はもう一度先生に頭を下げる。
「そういうわけなので、行ってきます! すぐ戻ってきますから!」
「あ、うん……」
先生の生返事を受けてすぐに走り出そうとしたところ、その時隣のみーちゃんも一緒に席を立った。
「先生、六花ちゃん一人だと心配だから、わたしも一緒に行きます」
そうして二人で飛び出すように教室を出ていった私たち。
その後ろで先生が、
「……青春だなァ」
なんて妙にしみじみした調子で呟いていたけど、その意味はよく分からなかった。
――。
「あー、どきどきした。授業抜け出すなんて、【箱庭】でもやったことなかったもん」
廊下を歩きながらそう言って小さく笑うみーちゃんに、私は申し訳なくなって呟く。
「みーちゃんまで、来なくてもよかったのに……」
するとみーちゃんは苦笑しながら、
「だって、六花ちゃんだけで行かせたらまたケンカになっちゃうかもしれないし。六花ちゃん、考えるより先に動いちゃうから」
「そんなこと…………あるかも、だけど。うう」
うなだれる私を見てまたくすりと笑うと、みーちゃんは小走りで私の隣まで来て、義手じゃない方の右手をぎゅっと握ってくれた。
「わたし、六花ちゃんのお姉さんだもの。こういう時にしっかり見ててあげないと」
「……ありがとう、みーちゃん」
私よりも少しだけ小さくて、だけどとっても力強いその手。【箱庭】に来る前から、その手が私を助けてくれた。
みーちゃんが隣にいれば、大丈夫。そんな自信が湧き上がってくるのを感じながら、私はあの男子の言っていた古井戸を探し歩く。
他のクラスの授業が漏れて聞こえる廊下を進み、外へ。
校舎の裏に広がる、大きな庭園――そのさらに奥の方に、たしか今は使われていないっていう井戸があったはずだ。
すでに枯れていて、危ないから生徒は近寄らないようにって言われていた気もするけれど。
そんなところに……本当に、タルシャはいるのだろうか。
「六花ちゃん、あれかな?」
雑木林が茂る中に隠れるようにして、問題の古井戸はあった。
まだ日中だというのに薄暗くて、当然人の気配もない。ざっと見渡してみた限りでも、タルシャの姿もそこにはなかった。
「……いない」
ここじゃなかったのだろうか。あてが外れてしゅんとしていると、その時みーちゃんがきょろきょろと辺りを見回し始めた。
「どうしたの、みーちゃん?」
「……何か、聞こえるような気がして。誰か……泣いてる、声?」
夏頃に、下の子たちが帝政圏の民話集を借りてきて「怖い話会」をしていたのを思い出す。
井戸の中に潜む亡霊――なんて、そんなお話もその中にはあった。
「ゆ、幽霊……?」
「わかんない……けど、違うかも」
言いながらみーちゃんは目を閉じて耳を澄まして――それにならって私も同じようにする。
そうすると、たしかにどこかから、泣くような声が聞こえてきた。
しかも、その声は……
「……タルシャ?」
間違いない、タルシャの声だ! でも、どこから聞こえるのだろう。
ぐるりと辺りをもう一度見回しながら、私は大声を出して呼ぶ。
「タルシャ! どこ!?」
すると――
「り、リッカ……?」
か細い声が聞こえてきたのは、なんと古井戸の中からだった。
見ると、本来打ちつけられて塞がれていたはずの古井戸の口が開いている。私とみーちゃんが慌てて駆け寄って中を見ると……その奥の奥に、タルシャはいた。
「タルシャ! なんでこんなところに……落っこちたの!?」
「う、うん……っ、いたっ……」
暗くて表情は分からないけど、途中でタルシャが小さく呻くのが聞こえた。
「怪我してるの!?」
「足を、ひねって……動けなくて」
「分かった! じゃあ私、すぐ行くから!」
「六花ちゃん!?」
みーちゃんが驚いた声を出すのと同時に、私はもう無我夢中で、古井戸の中に飛び込んでいた。
中は思ったよりも深い。建物にして二、三階建てくらいから飛び降りたくらいだろうか。
「うわわわ!」
慌てて義手の方の左手で壁を掴んで減速しながら、私は下のタルシャにぶつからないように底へと降りる。
義手だとこういう無茶もきくから、悪いことばかりではなかった。……先生は悲しそうな顔をするから、あんまりやらないようにはしてるけど。
「六花ちゃん、だいじょうぶー!?」
「うん、着地成功! みーちゃんは先生呼んできて!」
「う、うん……! 六花ちゃんは無茶しないでね、これ以上!」
そう言って駆け出していくみーちゃんの足音を聞きながら、私は目の前にいるタルシャへと跪いた。
制服のあちこちに泥がついて汚れているけど、大きな怪我はなさそうだ。それと……手に何かを握っているみたいだけど、それはよく見えなかった。
「足、見せて」
「……」
無言で頷いて、抑えていた左足を私に見せてくれるタルシャ。足首のあたりが少し腫れている。
「痛みは、どう?」
「動かすと、痛いけど……落ちた時よりは、マシになったかも」
「なら、折れてはいなそうかな」
私が訓練中にどこかをぶつけたり落っこちたりした時、先生はよく言っていたっけ。痛覚がないと重症かどうかが分かりにくいから、お前は無茶なことをするなって。
そんなことをふと思い出しながら、私はひとまずほっと胸を撫で下ろす。
「でもよかった。タルシャが見つかって。……みーちゃんがすぐ先生を呼んできてくれるから、もう安心だよ」
そう言って笑う私に、タルシャはなんだか薄気味悪いものを見るような顔をして呟く。
「……なんで」
「うん?」
「なんで、貴女が来るのよ」
「なんでって……だってほら、タルシャのこと泣かせちゃったの、私だから。それで心配になって」
そう答えた私に、彼女は目をぱちくりさせた後で眉間にしわを寄せる。
「それは――でも、私が」
「それよりタルシャはなんでこんなところにいたの? 立入禁止でしょ、ここ」
被せるように質問した私に、タルシャはしばらく沈黙した後、手に握っていた何かを私に見せてきた。
青い、ちょっとだけ網目の荒い厚手のマフラー。私のマフラーだ。
「……ちょっとだけ隠そうって、男子に言って盗らせたの。それで、井戸の蓋に置かせてたんだけど……取ろうとした時に、下に落ちちゃって」
「……そっか」
やっぱり、タルシャが盗っていたんだ。そう理解して、だけれど怒りとか、そういう気持ちは湧いてこなかった。
タルシャの隣で体育座りして、私は彼女に向かって言う。
「ありがと、タルシャ」
「え?」
「タルシャはこれ、返してくれようと思ったんだよね。それでわざわざ自分でここに、取りに来てくれたんでしょ。なら――ありがとうだよ」
「……バカじゃないの、貴女」
刺々しい言葉で、タルシャは続ける。
「あんなふうに言われて、その上こんな嫌がらせまでされて。それでいじめっ子相手に『ありがとう』とか、聖女っていうのはそんなに非常識なの?」
「そんなことないよ。やっちゃん……じゃない、八刀先輩とかはすごく頭いいし、いろんなことよく知ってるもん。そういえばやっちゃんにもよく『あんたは非常識すぎる』って言われるなぁ、おんなじだ」
そう言って笑う私に、タルシャはなんだか怒る気力もなくなったみたいで深いため息をついた。
「…………なんなのよ、貴女。なんで、怒らないのよ」
「だって、タルシャの言ってることも分かるもん。……いいんちょさんから聞いたよ。その……」
お兄さんのこと。そう言うべきか迷っていると、タルシャは私の口に人差し指を当てた。
「……それ以上、言わないで。【聖女】の貴女が、お兄様のことを言わないで」
「……ごめん」
それきり口をつぐむ私の隣で、タルシャは視線を合わせないままぽつりと呟いた。
「……私だって、分かってるのよ。アレイネスは武官の一門だもの、戦場では、殺しもするし殺されもする――それが戦争だって、教わり続けてきたから。だけど……お兄様が【聖女】に殺されたって聞いて。同じ学校にいる貴女たちが実はその姉妹だなんて聞いて。そうしたら――もう、どうしたらいいか、分からなくて」
タルシャの顔は、見ない。暗いし、きっと見ようとしたら嫌がるかもって思ったから。
だけど――タルシャはたぶん、泣いていた。
「……こんな下らないいじめをしても、何の意味もないって分かってた。『戦場で受けた仇を、戦場以外の場所で返すべからず』……それがアレイネスの家訓だもの。こんなの恥知らずにもほどがあるって、分かってた。だけど――」
「……大丈夫だよ、タルシャ」
嗚咽するタルシャの言葉を遮って、私は続ける。
「そんなふうに、タルシャが自分を責めることなんてないよ。だってたぶん、逆の立場だったら――私もきっと、タルシャみたいに思うだろうから」
そんなことは絶対に考えたくないけれど。だけどもし、【聖女】の皆が……あるいは先生が誰かに傷つけられたりしたら。
きっと私は「それが戦争だから」なんて理由で、片付けられない。
「私は、タルシャと仲良くしたいけど。だけどそんなこと、絶対に言える立場じゃなくて。もちろんみーちゃんとかにまで同じようなことされたらイヤだけど……そうじゃなければ、いいよ」
そう言うと、タルシャは初めてそこで、私を見る。
まっすぐに、まじまじと私を見て――それから彼女は思い出したように涙を拭うと、手に持っていた私のマフラーを突き出してきた。
「……ねえ、リッカ。私はきっと、【聖女】を許すことはできないと思う」
「うん」
「だけど……それでもいいなら。こんなふうに貴女をいじめた奴で、心の底で貴女たちのことを憎み続けていて……それでもいいなら、私は貴女と――」
そうタルシャが言いかけたところで、井戸の上の方から声が聞こえてきた。
「六花ちゃーん! 先生、呼んできたよ!」
「みーちゃん!」
その声で安心して、私は立ち上ると軽くスカートのお尻のところをはたく。
けっこう制服が汚れちゃったから、帰ったらきっとやっちゃんにものすごく怒られるなぁ――なんて。そんなことを思いながら私はそこでタルシャからマフラーを受け取ると、その手を握り返した。
「タルシャ。ありがとう」
「……ふん」
彼女が言いかけたことは、訊かなくてもわかった。だから、これでいい。
二人で手を繋いでいると、上から太いロープが下りてきた。
「六花ちゃん、登れそう?」
「うん。でも、タルシャが足ひねってて――ちょっとロープ、しっかり固定しといてね。二人分の重さ、かかると思うから」
そう言いながら私はタルシャの体をぐっと抱き寄せて、ロープを義手でしっかりつかむ。
「ひゃっ!?」
「しっかり掴まっててね、タルシャ」
そう言うと私は久しぶりに【秘蹟】を発動――【
【加速】をつけながら井戸の壁を蹴り、反動を利用しながらロープを一気に登り切る。
集まったクラスの子たちやみーちゃん、それにいいんちょさんも、井戸から出てきた私たちを見て安心した顔を浮かべた。
ただ――
「……タルシャ、リッカ、あとミナ君。君らね、後でじっくり話を聞くから」
渋い顔をしてそう言った先生に、私とみーちゃん、タルシャは揃って肩を落として。
それから顔を合わせて、お互い苦笑いを浮かべた。
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