■1943/11/XX(3)

「それで、この怪我か」


 帝都ノイエスフィールのはずれにある孤児院。私たちの家であるそこに帰ってすぐ――私は先生・・に頭を診てもらっていた。

 そう、先生。すっかり書き忘れてたけど、先生はあれから私たちのところに帰ってきたんだ。

 裁判が終わってすぐに亡くなった――なんて話をティーさんから聞かされて、一時期は本当に……本当に皆、どうしたらいいか分からないくらい落ち込んでたんだけど。

 だけど後から聞いた話では、それは牢屋から出るための作戦だったんだって。

 先生には当時、裁判で無期懲役の判決が言い渡されていた。

 無期懲役っていうのは……確か、とにかくずっと牢屋の中に入れられ続けるってことらしくて。けどそれじゃ私たちが取り残されちゃうからってことで、一度「死んだ」ように見せかけて無期懲役を終わらせたんだとか。

 どうやってそんなことができたのかは、ティーさんも分からないって言ってたけど。

 でもともあれ……そんなびっくりするくらいのハッピーエンドに、私たちはとても、とっても喜んだ。

 そして誰よりも喜んでいたのはきっと――


「やれやれ、六花さんはなんというか……無駄に我慢強いというか。そういうところは良いところでもありますが、困りものでもありますね」


 椅子に座る先生の隣に立って・・・、消毒用のアルコール綿を用意している小柄な女の子。

 私たちのお姉さんで、先生の「こいびと」(自己申告)……くー先輩だ。


 くー先輩についても、びっくりすることが沢山あった。

 秘蹟の使いすぎで聖痕症候群が末期レベルまで進んでしまったくー先輩……先生が連れていかれてからは日に日に具合が悪くなって、立って歩くこともできなくなっていた。

 一時期は命も危ないかも、なんて、帝政圏のお医者さんに言われてたこともあったんだけど――それが先生が帰ってきてからというもの、見違えるように元気を取り戻したんだ。

 先生が造った抑制剤の改良品、「抑止剤」。その効果がことさらに強く現れて、聖痕症候群の進行を止めるどころか回復する方にまで効いたのかも――って、先生や研究者の人は言ってたけど。

 私たちはそうじゃなくて、これが「あいのちから」ってやつなんだって言い合ってる。

 四月先輩が読んでた本では、「あいのちから」が色んな奇跡を起こすって書いてあったし。


 ともあれそんなわけで、くー先輩も先生も、二人とも今も元気にこうして暮らしてる。

 くー先輩は、杖と補助具はまだ必要だけどすっかり自分で歩けるようになって、前にも増して先生といつもべったりで。

 先生は、ずっと着けていた仮面は外すようになったけど……いつも通り、ちょっと無愛想だけどとても優しい先生だ。


「……何をにこにこしてるんですか、六花さん」


「うん? ああ、先生とくー先輩が二人とも元気で、本当によかったなって」


「九重は、少し元気過ぎるくらいだがな」


「あら先生ったら。乙女たるもの、夜の営みまでたっぷり元気を蓄えておかないといけないものなんですよ?」


「……まったく、相変わらず口の減らない」


 ため息交じりに呟きながら、先生の手は器用に私の頭の傷を消毒していく。

 中性的な細面の顔立ちに、青みがかった銀色の目。先生の素顔――いまだに見慣れなくて、こうして面と向かうたびに少し違和感を覚えてしまう。

 だけどこうして手当をしてくれる優しい手付きは、たしかに先生だ。

 そんなことをぼんやり考えていると、先生はじっと私を見つめて口を開いた。


「大丈夫か。少しぼんやりとしていたようだが……」


「あ、ううん、ただの考え事」


「その、学校でボールを投げてきたっていう人のことですか?」


 くー先輩の言葉に、私は乗っかって頷く。それも実際、考え事の中には含まれていた。

 思い出してしまうと、また胸の奥がずしりと重くなる。そんな私を見つめながら、くー先輩は複雑な表情を浮かべて目を伏せた。


「……確かに、難しい話ですよね。私だって今も、割り切れてはいませんし。きっと……割り切ってはいけないことだとも、思いますから」


 そう呟いた後、「でも」とくー先輩は私を見て続ける。


「六花さん。貴方や他の子たちは、私とは違います。貴方たちは、戦場には行っていない――一桁台わたしたちに向けられた憎しみを、貴方たちが背負う必要なんてないんです」


「……けど。それじゃくー先輩が、かわいそうだよ」


 そう言い返した私の頭に包帯を巻いて、その上からく―先輩の手が優しく撫でてくる。


「大丈夫です。貴方たちがそう思ってくれるなら……私は一人で、ちゃんと背負い続けられますから」


 そう行って笑ったくー先輩に、隣で黙っていた先生が小さなため息とともに呟いた。


「勝手なことを言うなよ、九重。……元はと言えばそれは私たち・・・の罪だ。独り占めするな」


「先生……」


 頬を真っ赤に染めて先生を見つめ返すくー先輩。……あ、なんかいい感じの雰囲気になってきた。

 こういう時は二人っきりにしておけってやっちゃんも言ってたっけ。というわけで、


「あ、じゃあ私、これで。手当てありがとう、先生」


「……ああ。無茶はするなよ、くれぐれも。でないと私は――」


 そう言いかけて「なんでもない」と首を振った先生。その言葉が少しだけ気になったけど、それ以上は気にせずに、私は自分の部屋へ戻ることにした。


     ■


「ねぇ、みーちゃん。私どうしたらいいんだろ……」


 相部屋のみーちゃんにタルシャのことを相談すると、みーちゃんも難しい顔をして小さく唸り始める。


「うーん……。学校のことだし、八刀先輩にも相談してみるとか?」


「えー。やっちゃんに言ったら怒ってタルシャのとこ行っちゃいそうだし」


 やっちゃんは冷静に見えてけっこう熱くなるタイプだから。多分タルシャのことを話したら絶対に放っておかない。

 それはとってもありがたいことではあるけど、今はあくまで私だけの問題だ。やっちゃんまで巻き込むのは筋違いな気がした。

 そんな私の答えに、しかしみーちゃんは不安そうな顔のまま続ける。


「でも心配だよ。またこんなふうに怪我するようなことがあったら……それこそわたしの方が怒っちゃうかも」


「みーちゃんが?」


 みーちゃんとは時々ケンカすることはあるし、そういう時には多少言い争いになったりもするけど――本当に怒ったところは、今まで見たことがない。

 そんなみーちゃんがそこまで言うというのは、よっぽどのことだ。だから私は慌てて首を横に振る。


「ダメだよそんなの! そんなことして、みーちゃんまで標的にされたらイヤだし」


「でも……」


 珍しく不服げに頬を膨らませるみーちゃんに、私は「うーん」と唸った後で続ける。


「それにさ。なんていうか、その……いじめられるのがイヤで困ってるとか、そういうわけじゃないんだよね」


「………………え?」


 膨らませていた頬を今度はなぜか赤くすると、みーちゃんは私を困惑げな眼差しで見た。


「り、六花ちゃん……それって、辛かったり苦しかったりするので興奮するとか、そういう……?」


「なにそれ」


「【箱庭】の図書室に置いてあった本に、そういう人の話が書いてあって……」


 なぜだかはっきりしない調子でそう呟くみーちゃんに首を傾げながら、私は「違う違う」と首を横に振った。


「そうじゃなくてさ。なんていうのかな……イヤなことされるのがイヤなんじゃなくて、タルシャからこの先も、こんなふうに嫌われ続けるのがイヤだなっていうか」


 話すのはあんまり上手くないから、私は必死に頭を働かせて。

 そうしているうちにすっと、言葉が出てきた。


「――ああ、そうだ。私はタルシャと、お話ししたいんだ」


「お話?」


 首を傾げるみーちゃんに、私は大きく頷く。


「タルシャのことはいいんちょさんから聞いただけで、結局タルシャがどんなことを考えているのかとか、そういうのがまだ分からないから。だから私……タルシャとちゃんと、話したい。嫌われるにしてもちゃんと話して、タルシャの気持ちを分かってから嫌われたいなって――そう思うんだ」


 そう告げた私に、みーちゃんは少しぽかんとした後で、やがてくすりと笑った。


「ふふ、六花ちゃんらしいや」


「そうかな」


「そうだよ」


 しっかりと頷くと、みーちゃんは両手で握りこぶしを作ってみせる。


「それじゃ、わたしは六花ちゃんのこと、応援するから。……本当に困ったら、抱え込まないでわたしに相談してね。わたしだって六花ちゃんの、お姉さんなんだから」


 そんなみーちゃんの言葉が嬉しくて、私は胸の奥がすっと軽くなるのを感じながら頷き返した。


「ありがと、みーちゃん。私……頑張ってみる!」


 ……だけど、その次の日。

 話はそうトントン拍子には、進まなかった。

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