■reverse//プロローグ

……。


 仮面の調律官が、管理官の執務室を後にして。

 しばらくすると入れ違いに、一人の男が入ってきた。

 背の高い、無精髭の男。全身を強化兵装で包んだ彼――「ランバージャック」の符丁をその名とする守衛官は、入室して早々に口を開く。

「おい、管理官。どういうつもりだ、これは」

 その問いかけに、執務机にちょこんと鎮座した小柄な少女はにいっと笑って、

「どう、とは。質問の意味がよく分からないな、ランバージャックくん」

 可憐な顔立ちに似合わぬ、老練な表情。はぐらかしたようなその言葉に、ランバージャックはわずかに苛立ちをその目に浮かべながら言葉を続ける。

「何であいつに、この計画を伝えたんだ。……あれは『死神』だぞ、上層部の肝入りで送られてきた、聖女殺しの処分屋だ。だってのに――」

「それが何か、問題かな」

「問題だ。あいつがこのことをアカデミーの上に報告でもすれば、その瞬間にこの亡命は台無しになっちまう。俺たちとあんた……いや、もっと大勢を巻き込んで組み上げた計画が、全部おじゃんになるかもしれないんだぞ」

 いつになく苛立った様子で食い下がるランバージャックに、管理官はくく、と喉を震わせて笑う。

「何がおかしい」

「いや、君はつくづく暑苦しい男だと思ってね。……私からしてみれば、君にこそ問いたいものだよ。なぜ君はそんなにも、あの子たちを生かそうと望むんだい。やはり相手が子供の姿をしていると、情が移ってしまうものなのかな」

 まるで自分は人間じゃあないとでも言うかのようなその物言いが、ランバージャックはずっと苦手だった。

 思わず舌打ちがこぼれてしまうのを隠そうともせず、ランバージャックは管理官を睨みつけながら首を横に振った。

「……そんなヌルいこと考えて、兵隊ができるかよ。俺たちは単純に、こうするのが俺たちの身の振り方としても一番いいと思ってるだけだ。……『聖女』の秘密を知っている以上、連邦にいたら俺たちだって『処分』されるのがオチだからな」

「ふむ、ならばそういうことにしておこう」

 薄笑いのままそう返した後、管理官は黒革張りの椅子に深くその身を沈み込ませながら目を閉じ――やがてぽつりと口を開いた。

「ランバージャックくん。君から見て、あれはどういう人間に見える?」

 そんな彼女の問いかけに、ランバージャックはしばらく沈黙した後、

「……甘ちゃんだ。その上ほいほいあんたの口車に乗るような、大馬鹿だ。……とてもじゃないがあいつがあの『無貌の死神』だとは到底思えん」

「だろう? だから私は、確信したんだ。あれは私たちにとって必要な人材だとね」

「必要だと? 馬鹿げてる」

 吐き捨てるようにそう呟いて、ランバージャックはぶっきらぼうに続ける。

「確かにあれには聖女たちもよく懐いている。そういう意味では使い勝手はいいだろうさ。だが――それだけだ。それだけのためにあんたはあいつを、巻き込んだってのか。あいつはまだ、引き返せたかもしれないのに」

 そんな、ランバージャックの言葉に。管理官はくすりと笑みをこぼしながら口を開く。

「はは、なるほど。つくづく君は暑苦しくて、お節介焼きだね。つまるところ君は――あの調律官を、危険な目に遭わせたくなかったわけだ」

「……見透かしたようなことを言うなよ、人もどき」

 大きく舌打ちしながらそう返したランバージャック。管理官は笑みを絶やさぬまま、ゆっくりと椅子を降りる。

 背後の窓から外を一瞥して、ランバージャックに背を向けながら彼女は続けた。

「確かにね、君の言う通り、あれは取るに足らないただの人間だ。あれらの側にあって、ただ見守ることしかできない傍観者に過ぎない。けれどね、それは私たちも同じだ。私たちも所詮は、この神の箱庭で踊る――単なる道化に過ぎない。だからね」

 そこで言葉を区切ると、管理官はくるりと振り向いて。

 その青銀色の瞳でランバージャックをじっと見つめながら、ひどく愉しげにこう続ける。

「だからこそ、あるものは何でも使うのさ。何の役にも立たない歩兵でも、盤面が移ろえば女王に転じるかもしれない。今の私たちに必要なのはそういう、神すらも予測しえないような不確定なんだから」

「……あんたの言うことは、つくづく要領を得ないな」

 呆れ混じりに呟くと、肩をすくめて踵を返すランバージャック。そんな彼の背に、管理官が鈴の鳴るような可憐な声を投げかける。

「ランバージャックくん」

「あん?」

「頼んだよ」

 何を、とは言わない。ランバージャックは振り向かないまま、もう一度小さく肩をすくめて。

「しつこいっての。言われんでもあの甘ちゃんも、ガキどもも、しっかりと送り届けてやるさ」

 そんな言葉だけを残して、扉を閉める大きな音とともに執務室を後にするランバージャック。

 その足音も消え失せた後、誰もいなくなったその部屋で――管理官はただ一人、日が差し込む窓の外をいつまでも、いつまでも見つめ続ける。


「さて、どうなるかな。……あるいははもう、知っているのかもしれないけれどね?」


 を覗く青銀が、陽光を反射して静かに煌めいた。


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