第五話

彼とのはじめてのデートから1ヶ月が経った。

私たちは飽きることなく、毎日毎日LINEを続けている。

些細な言い争いもなく、コミュニケーションを積み重ねていく。

あれから何度か逢い、抵抗はあったけど私は彼に今まで描いてきた絵をみせた。

私は誰かのために絵を描き続けてきたわけではない。自分自身の為に描いてきたのだ。

絵を描くことが心の拠り所であり、自分を表現できる場所だった。誰かに認めてほしいとか、絵を通してなにかを訴えたいとかそういう気持ちは一切なかった。

だから美術部にも入らず、机やテストの裏用紙、ノートの片隅にただひたすら描き続けた。

芸術家がよく言うように、絵を通して何かを表現するという行為は他者に対してのメッセージがあるのではないか?でも私にはなにもないのだ。

承認欲求とか。

自己顕示欲とか。

夢とか。

希望とか。

私が描いて表現していたのは、空白でしかない。

そこからは何も生まれることはない。

描きたいときに描く。単純に言えば、それだけ。

だから私は抵抗があったのだ。たとえ心を許せる人であっても、自分を曝け出した絵を見せる事が。

そこに描かれているのは、私の心の空白なのだから。誰にも見せたことのない、心の空白。

そんな私の絵をはじめてみた彼は、真剣な顔をしながら長い事黙り込んでしまった。

その沈黙はまるで私の絵みたいな空白だった。恐ろしく静かな時間。

あまりにも彼が黙っているので、私がなにか話しかけようとしたとき、

「ねえ、ゆうこ。君は本当に美術部じゃなかったの?」

彼は絵から目を放さずに続ける。

「絵の経験とかないの?本当に机に落書きしていただけかい?例えば、誰かに絵を教えてもらっていたとか。将来はイラストレーターとか、絵に関わりたいと思っていたとか」

「ないよ。私はただ、なんとなく描きたくて描いていただけなの」

彼は静かに首を横にふって

「もし僕がこんな絵を描けたら、間違いなく自分に酔っていたことだろう」

私は意味が分からず、首をかしげる。

「絵って不思議な事に、絵を描くのが上手いから上手いってわけじゃない。そうだろう?

よく神は細部に宿るとかいうけど、芸術ってその典型だと思うんだ。

そこには何かしら人に訴えかけてくるものがある。心の琴線に触れるような、まるで人一人の人生さえも変えてしまうような感動がね。だからアーティストという職業が成り立つ。彼らには生まれながらにしてもった才能があるんだろう。絵の上手ささえも凌駕してしまう程の文句のつけようのない大きな才能がね。でもその才能はいつか枯渇することになる。蛇口をひねっても出ない、水道水みたいに」

私は彼の溢れ出る熱意に圧倒され、肯くしかない。

「正直、ゆうこの絵はクラスに何人かはいる、絵が上手い奴のひとりに過ぎないかもしれない。

僕は...芸術家じゃないから詳しい事は分からないけど、すごい強烈なメッセージを感じるんだ。どう表現すればいいかは分からないけど、君にはその、なんだろ。大きな才能みたいなのをなにか感じるよ。多分、僕が言っても説得力はゼロかもしれないけどね。とにかく、落書きをしているだけじゃもったいない。ねえ、誰かに自分の絵をちゃんとみせたことはないの?」

ない。と私は言った。

「そうかい」

と言うと、彼はまた首を横にふった。

今度は2回もふった。

「君はいつも自分の世界に塞ぎこんでいて頑なにその居場所から出てこようとしない、そしてその居場所を誰にも譲ろうとしない。違うかな?」

「え?」

私はドキッとする。

「いや、そういうメッセージをこのたくさんの絵から感じるんだ。これも、これもね」

パラパラとめくりながら彼は言う。

「まあ僕の勝手な感想だから気にしないでくれよ。うん、これも上手いなぁ。僕にもしこんな絵が描けたら、皆に自慢しているだろうなあ」

「貴人、なんだか芸術家にでもなったみたいだよ」

私は笑いながら冗談のつもりで言ったけど、彼はくすりとも笑わなかった。

彼がこんなに饒舌になり、何かに対して熱く語ったのは後にも先にもこの時だけだった。

「僕もゆうこと同じだ」

「え?なに?」

よく聞こえなくて聞き返したけれど、彼は答えなかった。

彼は私と同じものを抱えていたのかもしれない。

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