【高野 成実:小学五年生の思い出】
私は小野公平が大嫌いだった。
端的に言うなら、これが私の思い出だ。
私の思い出を語るには、まずその前提から語らねばならない。
わたしは、その地域では裕福な家庭に生まれた。一人娘としてその家庭に生まれた私は、両親の寵愛という名の、押しつけがましい教育を受けてきた。周りの誰よりも勉強していい大学に入りなさいとか、信頼関係を構築しておけば、自分の都合のいいように転びやすいとか、小さな子供に言って聞かせてもわからないようなことを、嫌というほど聞いてきた。だから私は小学生の頃から、誰よりもいい成績を収めてきたし、周りの人間には気を配り、信頼関係を構築することを意識してきた。才色兼備を周りに印象付ける努力を怠らないことで、今の高野成実が存在する。周りの人間は私のことを天才だの天使だのと称えるが、とんだ見当違いである。これは周りの人間とは時間も労力も比べ物にならないほどかけてきたから得たものだ。間違って称えられるたびに、反吐が出そうになる。ひとつ才能と言えるものがあるとすれば、両親譲りの容姿だ。容姿がいいのと悪いのとでは、やはり人間関係の構築の難易度は大きく変わるものだ。
一方、あの男の子は、泣き虫でいつもぐずぐず泣きわめいて、酷くみっともない。
周りに迷惑をかけ続ける姿が気にくわなかった。くしゃみもいちいち音が大きくて癇に障った。極めつけに、そんな男がわたしの顔にくしゃみをひっかけるなんて、我慢の限界だった。実際あの時は笑顔で取り繕えたが、腹の底は煮えくり返っていた。
そんな鬱憤を当時の私は晴らさずにはいられなかった。
だから、私はある計画を企てた。
小野公平を体育館に閉じ込めてやろうという計画だ。とはいっても、そんなことに大掛かりなことをするつもりはない。ただ、あの甘ったれた男の子の心根に棘を残すことができれば、それでいい。
ただ、一人では限界があると思ったので、共通の知人に力を借りることにした。岩井ゆり、という女の子だ。彼女はあの男の子と幼馴染で、今も付き合いがあるという。あの男の子と付き合いを続けて何かいいことがあるのかと疑問を抱かざるを得ないのだが、それは今はいい。ともかく私は事前に、あの男の子を少し気になっていると相談した。
「冗談でしょ。高野ちゃんがあの子を好きなんて。」
岩井さんははじめこそ、あの子のこと知らないなどと疑念は抱いていたものの、次第に綻んだ顔になった。この年頃の女の子は、こういう話には積極的に話に乗ってくれると相場が決まっている。最初こそ疑われていたものの、彼女は最終的に了承をしてくれた。
まず、みんなが下校した後のタイミングまで教室に残るよう、岩井さんに仕向けてもらった。そしてそこに私が現れて、あの男の子に体育倉庫の手伝いをお願いする。彼が私のことを気にしていたことは知っていたから、話に乗ることは想像に易かった。その後、彼を倉庫に案内して、私は雑巾を絞ると言い、すぐに倉庫を離れる。彼が一人で倉庫の中で掃除をしていることが分かった段階で、岩井さんに外側からかんぬき錠をかけてもらう。あの男の子をほんの少しの間閉じ込めたあと、私が助けてあげることで好感度を上げたいという名目で、計画に乗ってもらった。実際には、三十分ほど閉じ込めた後に、私が錠を開け、恐怖でぐずぐずになったあの男の子を目撃し、私は彼の弱り切った姿に対して軽蔑の眼差しを向けるのが目的だ。そうすることで、彼のような甘い人間には何も得られないということを思い知らせてやれたら、それでよかった。普通に考えれば、おかしな計画ではあるのだが、話を聞く岩井さんの目は爛々としていて、私の頼みごとに異を唱えることはなかった。
計画は途中までは、うまくいっていた。
岩井さんの時間稼ぎは完璧だったし、あの男の子を倉庫まで難なく誘導することができた。しかし、計画というのは計画通りにいかないものだと、当時の私は思い知った。失敗は大きく二つある。ひとつは、倉庫内に長居をしすぎたこと。岩井さんには、彼を閉じ込めることが大事だから、彼が中にいると確信できたら鍵を閉めてほしい、と伝えていた。だから私はすぐに雑巾を絞るといって倉庫を離れる予定だった。しかしあの男の子に呼び止められて、倉庫に長く居すぎてしまったこと。これだけでは、大した失敗ではないのだが、ふたつめが致命的だ。岩井さんが思いのほか無能だったこと。たしかに彼がいることを確信したら、閉じ込めてほしいと伝えてはいたものの、私がまだ中にいることを確認せず、間違って錠をかけてしまった。彼のくしゃみが聞こえたから、慌てて閉じてしまったと、のちに岩井さんに謝られた。もっと肝のすわった子だと思っていたが、私の買いかぶりだったようだ。
かくして、不運なことにあの男の子と一緒に閉じ込められてしまったのだった。
一緒に閉じ込められてしまった時点で、私の計画は破綻した。とりあえず早く脱出できたらいいと思っていた。だから、あの男の子との会話も適当に聞き流すつもりだった。怖がっていることにも、あまり気づかれたくなかったからだ。だが、彼の話を聞くうちに、私が彼のことを見誤っていたことがわかった。
ひとつは、あの男の子は、人よりも人を見ることのできるの人間だったということだ。彼は私を励ますとき、「私が頑張っている」と言った。周りの人間は、私の隙のない振る舞いが才能だと勘違いする中、彼は見誤らずに、正当に評価を下してくれた。今まで私をそういう風に評価した同級生は他にいない。そういう点で彼は人よりも優れていたのだろう。
ふたつめは、周りの人間が私の努力を才能というのと同じように、私も彼をただの泣き虫だと評価していたということ。結局、私も同じ穴の狢だったのだ。そう思うと、なんだか急に今まで自分の思っていたことがバカらしくなって、倉庫から脱出して帰るときは、つい顔が緩んでしまっていた気がする。もちろん脱出できたという安堵も要因の一つだったと思う。
この出来事を通じ、私は身の程を知り、肩の力が抜け、そして小野公平を少しだけ評価することができた。とはいえ、これ以上は小野公平からアプローチが来ることもないだろう。彼のことを誤解していたとはいえ、臆病な一面を持ち合わせていることには変わりないのだから。
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