第5話 真相

その日の夜。

いつものように行きつけの店 Terminus《テルミヌス》にバーンと臣人はいた。地下にある店なので、馴染みの客以外はあまり来ることはない場所である。

ヨーロッパの中世を思わせるインテリアで統一された店内は、落ち着いたムードをもっていた。|

一番奥にあるビリヤード台のところに二人はいた。

「なあ、臣人みと…。」

水割りの入ったグラスをもて遊びながら、バーンが黒いラブソファに座ったままで言った。

「あー?」

キューをビリヤード台に向かって直角に立て、マッセの構えをしながら、臣人がそっけない返事をした。

「2年3組の瀧沢祥香ってやつ、わかるか?」

臣人がキューを手前の手球にあて、奥へと飛ばせた。

手球は3番のボールに当たり、そのまま1クッションでポケットへと吸い込まれた。

「よっしゃ!!ええ、調子や!わいは天才やな。」

臣人は大声で笑いながらガッツポーズをとり、キューを振り回した。

その様子をバーンは冷たく見ていた。

「ええと、3組の瀧沢祥香だっけか。知ってるで。結構小柄な、目立たない奴やな。ちょっと待ちや」

キューをクロスの上に置くとおもむろにポケットに手を突っ込んで、手帳を取り出した。

何かを探すように何枚もページを勢いよくめくっていく。

「あった、あった。瀧沢祥香、20××年7月18日生まれ、15才。両親とも健在で、父親は建設会社役員をしとるで。母親は専業主婦。祥香の上に大学生の兄貴が1人。あとな、ちなみに祥香のスリーサイズは」

臣人はメモを一気に読み上げた。

バーンは頭をかかえた。

「……」

「待てって。『何でお前がそんな事知ってるんだ?』って顔するなよ。お前が聞くからやろ。」

困ったような顔で臣人は言った。

「就職してから4ヶ月。一日も欠かしたことのないこの『臣人ちゃんメモ』には、全校の女子生徒の4/5の情報が網羅されていてまもなく完成を見るんやで!!これだけ集めるのにどれだけ苦労したと思ってるんや。」

臣人は口はへの字に結び、拳を握りしめると、涙を流しながら力説している。

臣人の熱い思いとは逆に、バーンはソファに座ったまま彼を見上げている。

『何、言ってるんだか。』という顔で。

「それ犯罪…」

「大丈夫。悪用しぃへんし、わい個人の楽しみのためだけに使こうとるから。」

臣人の日頃の行動を思い出しながら、もう一度彼は視線を送った。

「……」

一瞬の沈黙。

「とにかく、今日、霊視たんだが、」

バーンは気を取り直して、口数少なく再び話し始めた。

臣人はメモをまたジャケットの内ポケットにしまい込んだ。

バーンの言葉に、幾分表情が真剣に変わったように見える。

「だが? 気配ありかよ。」

「ああ。」

臣人はキューをビリヤード台に立てかけるように置き、そのふちに置いてあったビール瓶を手に持った。

「それの正体は?」

「たぶん、複数の浮遊霊の集合体。自殺した。」

バーンは水割りを口に含んだ。

「本人にも影響が出てきてるやろか?」

臣人がバーンの側にやってきてソファに座った。

ビールを瓶ごとラッパ飲みしている。

「だいぶ…な。まだ憑かれてる本人は気づいてないみたいだし、隣の劔地がやたら心配している…。」

バーンはそんな臣人の方は見もせずに、手元のグラスを見ながら静かに答えた。

その時、すっと、二人の目の前に誰かが立ち止まった。

「当たり前じゃないですか。友達なんだから!」

臣人がその声を聞いて思わず口に含んだビールを噴いてしまった。

二人で見上げるとそこには制服姿で、鞄を持った女子高生が立っていた。

「!?」

バーンは眼を見開いたが、言葉は発しなかった。

「劔地!?おまえどうしてここに!?」

そのかわりに臣人が驚いて声を上げた。

「塾の帰りです。学校の帰りによくここで飲んでるって、前に臣人先生が言っていたのを思い出して、来てみました。」

バーンが臣人を睨んだ。

「そうだっけか!?」

そう言いながら、バーンの方からそっぽを向き、顔の周りに付いたビールの泡をタオルで拭き取った。

ちょっと焦っている雰囲気がうかがえる。

うっかり口をすべらすのではなかった・・・と。

「劔地、帰りな・・・。」

バーンは、不機嫌そうにグラスの水割りを一気に飲み干した。

「別にいいですよぉ~。まだ、9時台ですからぁ~。お客様はお客様ですしねぇ~。」

ビリヤード台の向こうにあるカウンターの中から声がした。

ピシッとした黒いバーテンダースタイルの女性がそこにいた。

真っ直ぐ長い黒髪とエメラルドの瞳が印象的だ。

しかし、背丈はバーンや臣人よりずっと小さかった。

にっこり笑うその姿は、小学生のようにも見える。

その彼女が、白い麻布でグラスを磨きながらつぶやいていた。

「リリス…」

バーンがリリスをとめようと声をかけた。

彼女は知らんぷりで、ニコニコしながら続けた。

「あ、ジンジャーエールでも飲みますぅ? 彼女って、教え子なんでしょうぉ~?これサービスしときますね~。」

カウンターからとてとてっとスキップをしながら、トレイにドリンクを入れたグラスを運んできた。

そして、グラスをテーブルに置くときにまじまじと綾那を見るのだった。

「リリス!」

『もう、構うな!』と、いわんばかりに怒ったようにバーンが言った。

「ごゆっくりぃ~。」

一礼をされて、綾那もはずかしそうにぺこっと頭を下げた。

目の前に置かれたグラスから、炭酸の泡が無数にあがっているのが見えた。

鞄を前に両手で持ち、足を揃えた状態で綾那は立っていた。

照明はビリヤード台にだけあたっており、バーン達のいるソファは間接照明だけで、薄暗がりで表情がよく見えなかった。

ただ、臣人はともかくバーンの雰囲気が悪いのだけはわかった。

怒っているような、冷たく突き放しているようなそんな雰囲気だった。

ちょっと会話が途切れた。

綾那は、鞄を持つ手をギュッと握りしめた。

そしてその雰囲気に負けるものかと、意を決して、口を開いた。

「さっきの話、本当ですか。祥香に幽霊が憑いてるかもって。」

「帰りな」

バーンはグラスを持つ手にぐっと力を入れた。

綾那の方は見もしない。

さっき、臣人と話していた彼の様子ではなくなっていた。

学校で、授業中に見せている様子ともまったく違う。

穏やかな感じは全くなく、無表情なバーンになっていた。

「でも、リストカットもそのせいだったら、なんとかしたらもとの祥香に戻るんじゃ!?」

「…帰れ。」

『余計なことに首は突っ込むな。』とでもいい残すようにバーンはソファから立ち上がり、カウンターの方へと歩いていった。

綾那の存在など無いかのように、振り返りもしなかった。

その背中を見送りながら、綾那は少し目に涙をにじませていた。

「オッド先生、冷たい…」

臣人は頭をかいて少し困ったような顔をした。

バーンに目をやり、そして綾那に視線を戻す。

「まあ、あいつはあいつなりに瀧沢や劔地のことを考えているんやろけど」

「わかんない。少しは相談にのってくれたって」

綾那はうつむいた。

「そういう相談なら、わいが聞かせてもらいましょ。」

もみ手をしながら、臣人が綾那の方を見た。

「臣人先生、嫌い!」

「なんでやぁ、あいつの代わりにわいがアドバイスをなんぼでもしたるねん。この人生経験豊かな」

両手を広げて、綾那に抱きつこうとするが、スルリと交わされてしまった。

「私、帰ります。」

綾那は鞄を持つ手を左手にかえた。

右手でそっと目のあたりを押さえてみた。

「送ってこか?」

臣人はそれに気づいていたが、見ないふりをして明るく言った。

「結構です。ひとりで帰れます。」

綾那は一礼するときびすを返して、小走りに走っていった。

彼女が店を出ていくまでその後ろ姿を見送ると、臣人はため息をついた。

そして、カウンターで飲んでいるバーンに近づいていった。

バーンの背後から声をかける。

「冷たいヤツだとよ。」

「……」

バーンは黙って、新しくなったグラスの中味を仰いだ。

「除霊…しちまうか?元々の仕事をするだけやし、何の問題もあらへんやろ?」

『元々の仕事』と臣人は言った。

霊視、除霊、浮遊霊etcと、聞き慣れない言葉が確かに飛び交っていた。

彼らは高校教員ではないのか。

「いや。」

「?」

「瀧沢の後ろのヤツを吹き飛ばすのは簡単だが…それじゃ、根本的な解決にはならない。」

「どういうことや?」

小さな背もたれのついたカウンターチェアーを手でくるっと回すと、臣人はバーンの顔をのぞき込見ながら横に座った。

「瀧沢本人にその意志がなければ、無意味ってことだよ。」

さっきのあの刺々しい感じはもうしない。

バーンの雰囲気はもとに戻っていた。

口数は少ないものの、臣人に対しては穏やかだ。

「憑いてるものをいくら吹き飛ばしたところで」

「本人の気持ちが変わらんと、次から次と別の霊(もん)を呼び込むってか。」

臣人もそんなバーンの性格をよくわかっているのか、彼の思いを代弁するかのように続けた。

「ん。」

バーンはうなずき、また片手に持ったグラスの中の氷を回しはじめた。

カラン…カランと氷は時折、心地よい音を出した。

「だからいうてな、劔地をあないに冷たくあしらわんでも良かったと違うか?」

臣人は綾那に同情したように、くいさがった。

「それとも」

くるっとイスを回してカウンターを背に、両腕だけをその上にのせて臣人は天井を仰いだ。

そして、ぽつりと呟いた。

「それとも、劔地を見て、また昔を…ラティを思い出したんか。」

「!」

バーンはグラスをもって動かしていた手を止め、臣人を見た。

臣人はバーンの方は見なかった。

丸いサングラスに、カウンターの上にあるスポットが反射している。

「人は独りでは生きていけんくらいわかっとるやろ。もう過去に縛られるのしまいにせな。7年も前のことや」

この一言に、バーンは臣人から視線をはずし、遠い眼をしながら、つらそうに反論した。

「…7年しか、経ってない。」と。

そういうと両手でグラスを持ち、それを額に近づけた。

ヒヤッと冷たい感触が伝わった。

バーンは何かを思い出そうとするかのように眼を閉じた。

臣人も『悪かった』という顔をしながらも、言い続けた。

「人と関わりを断って、生きていけるほど、世の中、甘ぁないで。」

また、バーンは眼を開き、カウンター正面にある棚を見ていた。

ゆっくりとグラスがカウンターの上に置かれた。

そして、バーンはため息をつくように言った。

「だから…冷たくした。」

臣人も彼の視線を追うかのように、向き直った。

「いらないことに首突っ込んで死なないように。俺たちの生きている世界とあいつらとは違う。まったく別の世界に生きてる。」

「。。。」

その意味するところを、彼の過去を痛いほど知る臣人は何も言わなかった。

何も言えなかった。

そんな会話も消えてしまいそうほど、そこは闇に包まれていた。


アスファルトの歩道を綾那は重たい鞄を持ったまま、走っていた。

なんだか悔しかった。

(話も聞いてもらえない。

もしかしたら、祥香の命に関わることかもしれないのに、何もしてくれない

いや、しようとしない先生だなんて。

どうしたらいいの? 祥香…)

外はビルのネオンサインだけが、一定の間隔で点滅しながらこの夜を照していた。

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