53. 糸

「……どうして!?」


 拝殿の戸は神札の結界で開けないはずなのに!

 もしかして、みちるさんの術が、姫神さまのご加護が破られた?


 黄泉醜女が拝殿に一歩を踏み入れる。


 床から一気に幽気が吹き出す。


 反射的に駆けだし、ニオの前に立つ。

 もちろん隣にはのどかが来る。


 考えることは同じ。神札の問題は先送り。幽気は後まわし。

 今はとにかく目の前のこいつだ!


 わたしが大幣をかまえる横で、のどかが守り刀をかまえる。


 姫神さまが辺津宮へつのみや神社でやったことを思い出す。

 姫神さまは黒づくめのまとう幽気を御寧めしていた。

 黄泉醜女は幽気とともにあるもの。

 身にまとう幽気を全部御寧めしてしまえば、現世にはいられなくなるはず。


 なら、わたしたちも!


 のどかと二人、同時に踏みだし、祭具を叩きつけるようにして幽気を払う。


 でも、まるで解れない。


 黄泉醜女はわたしたちにかまわず、無造作に歩いてくる。


 こうなったら!


「はああああああ!」


 大幣を振りかぶり、黄泉醜女の肩に直接叩きつける。


 すると大幣の紙垂しではじゅくじゅくと真っ黒に腐り落ち、白木の祓串はらえぐしまで溶けてきた。


「ひっ!」


 思わず手をはなす。


 黄泉醜女が被衣かづき越しにわたしを見る。


 そして、ゆっくりと手を払う。


 黒いかすみの暴風が吹く。


 わたしの体は床をはなれ、宙を横切り、そして拝殿の壁に打ちつけられた。


「かはっ……」


 背中からお腹に衝撃が走り、肺の空気が押し出されて口から出ていった。


 ……視界が、暗くなって、何だか楽に……。


「……だあっ!」


 首に力を入れ、床に頭を打ちつける。


 寝てる場合じゃない!


 痛みで意識は戻っても呼吸が整わない。身を起こすのがやっとだ。


 拝殿の真ん中では、のどかが膝をついている。


 黄泉醜女がニオに手をのばし、ニオを抱きかかえた。


 その腰にのどかがすがりつく。


 黄泉醜女がのどかを振りはらう。


 それでものどかは諦めない。

 黄泉醜女が身にまとう幽気に両腕を突っこむ。


 黄泉醜女がくるりと向きを変えた。単衣ひとえと被衣がひるがえる。


 黄泉醜女を見上げていたのどかが目を見開いた。


 と、巻きおこった幽気の風がのどかをはじきとばした。


 黄泉醜女はニオを抱えたまま、一歩ずつゆっくりと拝殿から外へと出ていく。


 拝殿の中から、音が消えた。


 寝そべったまま、腕だけで前に進む。


「……ニオ。……のどか」


 声がかすれる。息が切れる。


 体がついてこない。足も手も少しずつしか動かない。


 拝殿の中央で寝転んでいたのどかには、黒い幽気がまとわりついている。


「今、御解し、するから」


 のどかの脇に落ちていた守り刀を拾う。


「……待って」


 のどかが左手を挙げる。


 その小指には、幽気の糸が結ばれていた。


 もしかして。


 拝殿の入口を見る。


 黒くて血のように紅い幽気が、長く、細く、しかし確かに糸を引いている。


「この先に、いるから……」


 のどかはそれだけ言って目を閉じた。

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