第十章 二人ならできること

54. 神のつるぎ

 みちるさんとお父さんが帰ってきたのは、それから間もなくのことだった。


 拝殿からはって出ようとしているわたしをつかまえ、中で倒れているのどかを見たみちるさんは、すぐに状況を把握したようだった。


「……嘘でしょ」


 拝殿の戸に貼られたままの神札みふだをはがし、みちるさんはそうつぶやいた。


 それからお父さんはのどかをふとんに寝かせ、みちるさんはわたしから何があったかを詳しく聞きだした。


「この糸の先に、ニオがいる。早く行かなくちゃ」


 立ち上がれるまでに回復したわたしは、すぐにでも黄泉醜女よもつしこめを追おうとした。


 しかしみちるさんは許してくれなかった。


「もうわかってるでしょう。今のしずかの力では、どうしようもできない」


「そんなのわかってる! でも、ニオが!」


「ええ。だからわたしが行く」


 みちるさんはそう言ってうなずいた。


「黄泉醜女からニオを取り戻して、それからすぐ嵐を御鎮みしずめするわ」


 みちるさんが拝殿の戸を開けると、外はいつの間にか暗くなっていた。


 日が沈んでいるだけじゃない。夜空は黒い雲におおわれている。

 ときおり光る稲光が、雲の姿を照らしている。

 ごご、と何かがきしむ音がする。

 その音は聞いたことがある。

 大地ではなく、空が揺れている音だ。


「間にあうの?」


 どう見ても、嵐はすぐそこにせまっている。


「間にあわせるの!」


 みちるさんが一歩を踏みだそうとしたそのとき。


「無理ですよ」


 と、姫神さまが本殿から姿を現した。


「すぐにでも御鎮めにとりかからないとです」


「でも!」


 みちるさんが責めるような声をあげる。


「みちるちゃんこそ、わかっているでしょう」


「……っ」


 みちるさんは声にならない声を出し、その場で足を止めた。お父さんがその背中にそっと手をそえる。


「しずかちゃん、のどかちゃん」


 と、姫神さまはわたしとのどかに向き直った。


「ごめんなさい。帰りがこんなに遅くなって……」


 そう言って姫神さまは、悲しそうな顔をしてうつむいた。


「神さまは万能ではないのです。人々の願いの全てをかなえることはできません。期待を裏切り、うらまれ、軽んじられるのには慣れているですよ」


「……姫神さま」


 その泣きそうな顔を見てしまったら、何も言えない。


「神仕えとは損な役まわりです。こうして神さまが万能ではないことを目の当たりにし、その言い訳まで聞こえてしまうですから」


 姫神さまがのどかのほほにふれると、苦しそうにゆがんでいた表情が少しやわらいだ。


「きみたち神仕えは、神さまから力を借りているです。その力は、神さまに頼らず、自分の手で自分の願いをかなえるためにあるですよ」


 そして姫神さまは手を伸ばした。


 本殿から飛んできた剣がその手に収まる。


「本当に、損な役まわりです」


 姫神さまが剣を差しだす。


 わたしは、それを神手で受けとった。


「姫神さま!」


 みちるさんが叫ぶ。


「その子を行かせるのは……!」


「しずかちゃん。抜いてみてくださいです」


 姫神さまはみちるさんの言葉を聞かず、わたしに言った。


 言われたとおり、さやから抜いてみる。


「……うわ」


神器かむたから布都御魂剣ふつのみたまのつるぎです」


 刀身から柄まで、全長一メートル弱くらい。日本刀みたく反っているけど、刃は逆に内側についている。


「別名は十握剣とつかのつるぎ。こぶしを十個並べた長さだからです。太古の昔、天より降った流星を鍛えてつくられたです。『ふつ』というのはものを断ち切る音、『みたま』は言わなくともわかるですね。歴史の黎明れいめいたる神代かむよより今にいたるまで、現世うつしよにはびこる呪縛を断ち切り、荒ぶる御魂を鎮めてきた神器です」


 手に持っているだけで、この祭具の意味がわかる。


 あらゆるものをあるべきところに返すための刃。


 手の中に千年分の宇宙があるみたいな重み。


 わたしの腕力ではとても振れないはずなのに、剣は思ったとおりに動いてくれる。


 布都御魂剣はわたしに求めている。


 力ではなく、意志を求めている。


「借りちゃっていいんですか? 姫神さまのご神体なんですよね、これ」


「全然オッケーです。この布都御魂剣の神通力なら、魂祓たまはらえも十分こなせるはずです」


 いつの間にか、みちるさんがそばに立っていた。


「みちるちゃん。心の整理はついたですか」


「……わかってはいるんです。みずうみとニオちゃん、両方をとるためには、しずかを行かせるしかないと」


「子どもの冒険を見守るのが親の御役目ですよ。神さまのできること、ご利益は壁の板きれに書かれてます。でも人のそれはどこにも書かれてませんです。だから、」


「自分にできることは、自分でさがしに行くんですね!」


 わたしが言いきると、姫神さまは「ぼくのセリフ……」と口をとがらせた。


 みちるさんはわたしたちを見てため息をついた。


「のどか。起きてるんでしょう」


 と、みちるさんが掛ぶとんをはぎ取る。


「……バレた?」


 と、のどかが舌を出して身を起こす。


「だいじょうぶなの?」


「まあね。横になって、回復した」


 そう言って立とうとしたのどかは、やっぱりふらついてわたしにもたれかかってきた。


「ダメじゃん!」


「ダメじゃないよ」


 のどかは青ざめた顔で笑ってみせた。


「のどか。ちゃんとしずかについて行くのよ」


「ちょっと、みちるさん!」


 みちるさんはわたしの抗議を無視して、のどかを見すえた。


「置いていかれると、ずっと後悔するからね」


「知ってる」


 そう言ってうなずくのどかを見て、わたしは説得をあきらめた。


 この顔は、絶対言うことをきかないときの顔だ。


「みんな、お父さんのことも忘れないでほしいな」


「あ」


 そういえばお父さんには姫神さまが見えていないし、その言葉も聞こえていない。完全に置き去りだ。


「すみません、浩次さん!」


 みちるさんがあわててあやまる。


「話は決まったんだよね?」


「「うん!」」


 お父さんは笑顔を浮かべて、車のキーを掲げた。


「じゃあ、行こうか」

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