19. みずうみ

「景色すごいね。ほら、向こう岸の山まで見える」


「左が比叡山ひえいざん、右が比良山系ひらさんけいかな」


 本当は掃除をしないといけないんだけど、ついつい琵琶湖を眺めてしまう。


 昔、滋賀県は近江国おうみのくにと呼ばれていたらしい。京都から遠いほうのうみが浜名湖、近いほうのうみが琵琶湖。


 みちるさんが教えてくれた。淡海町のあたりでは、琵琶湖のことをただ単にみずうみと呼んだり、うみと呼んだりするって。


「ねえ、あれが沖島だっけ?」


 向かって右手に、ひょうたん島みたいな形をした島が見えている。


「うん。日本でここだけの、人が住んでるみずうみの島だね」


「たしか昔行ったことあったよね」


 お母さんが、まだ生きているころに。


「行ったね。島の神社にお参りした記憶があるよ」


 わたしものどかも、決して言わない。

 でも、思ってることは同じだ。


「……」


 口を閉じると、かすかに波の音が聞こえてくる。


 乱れないリズム。

 しずかな音楽。


 このみずうみ。

 ここでお母さんはかえらぬ人となった。


 このうみのどこかに、今もお母さんはいる。

 そんな気がしている。


 今朝の魂鎮めが終わった後、みちるさんは言っていた。


 『わたしたち息長おきながの一族は魂鎮たましずめという神業かむわざをなす。それは神さまからお借りしている力。うちの場合は姫神さま、市寸島比売命いちきしまひめのみことさまね』


 そのご利益りやくは拝殿前の板に書いてあったから覚えている。


 うみの平穏、航海の無事、そして音曲おんぎょくだ。


『息長の一族はその力を借りてるの。うみをしずかにする力、魂鎮めの力ね。親戚に伊吹いぶき家っているのは覚えてる? 伊吹家ではね、多多美比古命たたみひこのみことさまという神さまをお祭りしているの。神気を荒ぶらせる神業を使うわ』


 神さまの力。それを借りる神仕えの力。神業にはいろいろある、ということだ。


「ねえ、のどか」


「うん?」


 それは、言わなくていいことだとわかっている。

 言われたのどかが困ることもわかっているし、どう答えるかもわかっている。

 目を合わせなくてもわかる。


 でも。それでも。

 それでも言ってしまう。


「よみがえりの神業なんかも、あったりするのかな」


 みずうみからの風がのどかの髪を揺らす。


「……あったとしても、僕らには関係ないよ」


 しかし、その横顔はわずかたりとも表情を浮かべない。


 わたしにもわかっている。


「自分にできることをすればいい、だもんね」

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