閑話 ○○県教育センター相談課相談日報から引用

角ヶ芽高校3年4組佐野葉月の母親による相談

(個人情報保護の観点から、閲覧可能範囲はセンター相談課および教委高校教育課課長補佐以上・総務課広報担当職員および課長補佐以上に限定する)

閲覧注意

担当:藤里千賀子(外部委託)

相談課飯田美寿紀主任へ引継ぎ、来庁相談を受ける。

相談手段:電話(17:15以降)

受付時間:7月22日(水)23:28

相談内容:高校生の娘が暴れた。(自室で物を投げる・壊す、暴言など)原因は不明。学校で何かあったらしいことを叫んでいた。学校に何があったのか確認したい。娘は普段温厚で、暴れるような性格ではない。何か相当ショックなことがあったのだと思う。万が一だが、いじめの可能性はないか。

対応希望:相談課経由で学校への聞き取りを行ってほしい。

来庁予定:明日7月23日(木)9:00~


 私は、書記係の職員をひとり引き連れ、専用の個室で佐野葉月の母親と向かい合った。

 母親は憔悴しきっていた。上品な洋服を着て綺麗に化粧はしているが、激しい動揺と困惑が、瞳の忙しない動きや、止まらない手遊び、髪の毛を頻りに触る仕草から容易に想像できた。

「何か、心当たりはおありなんでしょうか?」

「いいえ、なにも……。葉月は学校での出来事を私たちに話しませんから。話してくれるのは、テストや模試の成績のことだけで、それ以外のことは、全く」

「成績のお話はされるんですね。その時はどんな様子何ですか?」

「私たちにテストの答案とか、模試の成績表を見せて、今回も一位だったよって。私、あの子に勉強しろだなんて言ったこと一度もないのに、いつも一位ばかりで……それも気にはなってるんです。成績に固執しているといいますか……」

「なるほど」

「模試の成績が返ってきたらしくて、それがちょっと悪かったみたいですけど、親からすればどうでもいいんです。でも、もしかしたらこのことで、学校で何かあったのかもしれません」

「模試の成績と問題行動の関連性ということですね」

 進学校に通う成績が良い生徒の問題行動。これは根が深そうだ。それも、角ヶ芽高校といえば、創立百年を超え、OBには市町村議会の議員や開業医、弁護士……有力者がゴロゴロと存在する名門校。そんな由緒正しい学校でいつも成績が一位となると、学校側はなかなか動こうとはしないだろう。彼女は将来有望な学校の宣伝広告になりうるのだから、問題を表沙汰にはせずに内内で処理――という名の隠ぺいに走ることも容易に想像できる。それに、佐野葉月が優秀な頭脳を使って裏で手を回してしまえば、教師は我々ではなく佐野葉月の見方につく。

 今回の案件は、第一前提として佐野葉月本人に気づかれないように進めるしかない。こちらが先手を打ち、その杭をできるだけ深く突き刺す。本課の教育委員会も巻き込むか。

 あくまでも穏やかなの笑みの下で方策を練っていると、母親の鞄の中から音楽が流れた。

「あぁッ、すみません。着信が……」母親は慌てて鞄からスマートフォンを取り出した。

「いえ、お気になさらず。出ていただいて結構ですよ」

「あ……、学校から、です……」

 私は書記係の職員と顔を見合わせた。

 昨日の今日で、学校からの連絡。ド平日の午前中に。これは学校で佐野葉月に何かあったんだろう。いいや、推測するのもまどろっこしい。コレは断定だ。

 母親は、あえてスピーカー状態にして、学校からの電話に出た。

「はい、佐野でございます」

『おはようございます。角ヶ芽高校三年四組担任の土井です、お世話になっております』

「いつもお世話になっております……あの、娘に、なにかありましたでしょうか?」

『あのですね、娘さんが体調が悪いということで、早退を希望されていまして』

「そうなんですかッ!? 娘はッ、いやあの、大丈夫なんでしょうかッ」

 書記係の職員は心配そうな顔をして、母親の肩を擦っていた。私は、声が電話口の向こうに届かないように、ほんの小さな声で大丈夫ですよと声をかけるしかなかった。

『あーいやいや! ご心配の必要はありません。ちょっと、トイレにしばらく入っていたようなんですが、自分で帰れるみたいなんで』

「あ……、そう、ですか」

『おそらく、ご自宅に昼前には着くと思いますんで、ご報告だけさせていただきます』

 通話自体はあっさりとしたものだったが、母親は項垂れたまま顔を上げようとしない。

「ご希望通り確認を取りますので、どうぞ娘さんがお戻りになる前にお帰りください」

「すみません、こちらが希望して予約したのに……」

「いえ、お気遣いなく。次はこちらからお母さまのスマートフォンの電話番号へ確認事項をご報告いたします。今後の相談はそれ以降に決めましょう」

「はい、お手数をおかけしますが、どうか、どうかよろしくお願いいたします」

 母親を見送った後、角ヶ芽高校側に確認の電話を入れたが、担任の土井は佐野葉月に変わったところはないの一点張り。母親の深刻さと反比例したあっさりとした対応だった。

「飯田主任、この事案、これで終わりにはなりませんよね?」書記を務めた職員は、私を見て心配そうに言った。

 もちろん、母親の言うことを鵜呑みにするわけではないが、職員としての勘か何かが警報を鳴らし続けて止まらない。このまま放っておけばもっと大事になる。久々に背筋がすっと冷える嫌な予感がした。

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