第3話:宴
『それでは皆様お待たせいたしました。これより晩餐会を開催いたします。本日は世界にかつて存在していた、様々な料理を提供いたします。ビュッフェ形式であらゆる料理を用意しました。勿論、皆様の胃袋を満たせるほどの量を用意してございますので、焦らずに料理と向かい合って今宵の宴をお楽しみ下さい』
場内のアナウンスが鳴り響き、カーテンで仕切られていた空間がバッと開かれる。
先ほどからいい匂いが漂ってきたのはその為で、カーテンが開かれると同時に私は驚きで目を見開いた。
「おお……あれこそはやはりステーキじゃないか!」
その他にも様々な魚をふんだんに使った握りずし、すき焼き、ホタテ貝の網焼き、イベリコ豚の鉄板焼きやスペアリブ、子牛のクリーム煮……etc。
会場がやたらと広いと感じていたが、本当に全世界からの肉、魚料理をかき集めて来たと言った風で、周囲のセレブたちもその種類には驚きを隠せなかった。
焦るなと言われても、今まで憧れ夢に見たとまで言っていた彼らは用意された皿を持って料理に殺到し、ビュッフェスタイルのマナーも忘れて更に料理を山盛りにし、テーブルに戻った瞬間に餓えた野犬のように汚く食らいついていた。
肉をほおばった時の彼らと言えば、恍惚とした表情を浮かべていた。
さすがに一応調査を目的として潜入していた私は、最初は料理の争奪戦を遠巻きに眺めながら腕に仕込んだ隠しカメラを起動して場内の様子を撮っていたが、やはり三十年来の欲望が鎌首をもたげて来た。
胃袋も懐かしの味を思い出してか活発に動き始め、先ほどから腹の鳴る音が止まらない。
気づけば涎まで口の端から垂らしてしまっているじゃないか。
私もやはり餓えた犬だったようだ。
調査の為ならやむを得まい。
ここで何も食べずに会場をうろうろしていては怪しまれるというものだ。
最初何を食べようかと思ったが、やはり焼いた肉だろう。
となれば、鉄板焼きが良い。
最初に焼いていた肉はあっという間に無くなっており、仮面をつけているシェフが新たに肉を用意している所だった。
「この肉は何ですか?」
私が尋ねると、シェフは朗らかな声で答える。
「日本の神戸ビーフですよ! いやあ、統括機構が発足してからというもの、牛、鶏、豚も食用は飼えなくなっちゃって、一時は絶滅の危機かと思っていたのですがよくぞ遺されていたものです。ですから、よ~~~~く味わって食べてくださいね」
彼は肉料理を振舞う事に至上の喜びを感じているのか、肉を目の前にして躊躇う事は一切なかった。今の人びとは生肉を見るだけでも激しく嫌悪するように教育されているのに。
油を敷き、肉を置くとたちまち熱された鉄板からじゅわあああああ、という音が鳴り響く。同時に蒸気も立ち上り、肉は生の桜色から食欲をそそる色へと変化していく。
同時に鼻腔をくすぐるその匂いは、私のかつての記憶をも想起させた。
誕生日に母が焼いてくれたロースステーキの匂い。
ケーキも嬉しかったが、何と言ってもごちそうと言えば肉だった。
ナイフで切れ目を入れた瞬間に滲み出る肉汁が焼ける様は、食欲を刺激された。
その後に出て来たスペアリブも、骨までかじりついていた覚えがある。
「もうすぐ焼けますよ。焼き加減はどうなさいます?」
「ミディアムレアで」
「かしこまりました」
そして、焼けた神戸ビーフのロースが私の持っている皿に置かれた。
先ほどから食欲が胃袋を爆発しそうなほど暴れまわっている。
私はあくまで調査の為に来ている。
どんなものが提供されるのかを知るためにも食べなくてはならない。
言い訳がましく席に座り、一口食べた瞬間に私の理性のタガは外れた。
意識を取り戻した瞬間には肉は皿から消えうせていた。
果たして私は肉を取りに行っていたのだろうか?
記憶の混濁すら起こしそうになったが、皿に肉汁が残っていることからやはり食べたのは間違いない。
食べた後の私も、おそらく恍惚の笑みを浮かべていたに違いない。
また私は鉄板焼きのスペースに戻り、シェフにお願いして先ほどよりも大きな肉を焼いてもらった。縦だか横だかわからない程の肉の塊にしてもらった。
隣の網焼きスペースではスペアリブを貰い、付け合わせのスープとパンも貰って席に戻る。
一応サラダや野菜をメインにした食べ物もあるのだが、それらを食べようとしている人たちは一切居なかった。
皆、野菜に飽き飽きしているのだ。
狂ったように肉に魚に食らいつくさまは、地獄の餓鬼が食べ物にありつけた様子に例えるのがふさわしいように思えた。
誰もが服が汚れるのを気にせずにひたすら貪り食べている。
まるで獣だった。
肉にかじりつけばかじりつくほどに、今までよりも思考が鮮明になってくる気がする。
今までは薄皮を張った様にぼんやりしていたが、本来の意識とはこれほどまでに明晰なものだったのだろうか。だとすれば私たちは自分たちをわざわざ苦しい方に追い込んでいたように思えてならない。
ようやく肉を貪った後に、私は今度は握り寿司を山のように積み、食べながら焼酎を流し込んでいい気分になっていた。が、途中で尿意を催しトイレに立った。
トイレでは食べ過ぎて胃の容量が限界に達した人々が、無理やり指を喉に突っ込んでは吐いていた。また食べに戻ると言う事を言っていて、少し酸っぱい匂いがする。
用を足して手を洗った後、ドアから出ようとすると一人の男が壁際に立っている。
彼は黒いスーツを着て、仮面をして顔を隠していた。
「楽しんでいますか?」
どうやらここのスタッフらしい。
「おかげさまで、久しぶりに肉の味を堪能させていただいております」
「昔食べた事がおありで?」
「子どもの頃に」
道理で道理で、とその男は呟いた。
「他の方と比較して、貴方は随分と冷静に食べていたものですから」
「そうなんですか?」
「ええ。他の人はナイフやフォークすら使わずに手づかみで食べていましたからね」
「……まさかあの肉には、薬物が混じっていたりしませんよね」
「ははは。まさか。そんな物を使ったら肉の味がよくわからなくなってしまうでしょう? それは我々の本意ではないですから」
確かにその通りではあるが、それにしてもあのような人々の狂いぶりは異常だ。
何故人々はああまで肉を求めるのだろう?
「やはり人間は、菜っ葉だけでは生きている気がしないものです。肉も食べてこそ人間足りえると。そう思いませんか」
「……どうでしょうかね」
「貴方は感じませんでしたか? 肉を食べた後、意識が鮮明になっていくのを」
「それははっきりと感じました」
「でしょう? ならばこそ、やはり肉は必要なんです。上に居る奴らは何もわかっていない……おっと、喋りすぎましたね。この後もゆっくりと楽しんでください」
スタッフらしき男は頭を下げ、会場の中に消えていった。
ビュッフェ会場は相変わらず餓鬼どもの食事会の様相を崩さなかったが、流石に皆々欲望を満たしてくると、幾分かの落ち着きを取り戻すようになる。
その時、司会が現れてアナウンスを始めた。
『ええ、皆さま。これより特別食材のご提供を致します。素材は秘密ですが、味は保証いたしますよ』
そうして現れたのは、部位ごとに切り取られた、骨付きの何かの肉だった。
皮は剥がされている。
スペアリブのように網で焼かれ、各々が塩や胡椒、タレで味をつけて食べている。
「豚肉に近いな。でもなんだろう? 食べた事の無い味だ」
「この際肉を喰えればなんでもいいだろ。もっとくれ!」
「臭みは全くないな」
『臭みが無いのは当然です。それらは草100パーセントで育った肉ですからね。健康的でしょう?』
司会の男は誇らしげに語る。
「全く健康だ。草を食べた動物を食べるんだから我々も草を食っているのと同じだな」
笑い声が上がった。
既に私は肉は満足して食べずにそのまま様子をカメラで撮影していた。
流石に素材がわからないものまで食べる気はしない。
* * *
粗方料理が片付いたと思われた時、司会が続けてアナウンスをする。
『ええ、皆さま。お肉や魚は充分にご堪能されたかと思います。これからはデザートの時間となります』
するとテーブルが何処からともなく現れ、今まで提供されていた肉、魚のテーブルはあっという間に下げられた。
純白のクロスが敷かれた新たなテーブルの上には、今度はふんだんに生クリームやチーズ、カスタードクリーム、チョコレートなどを使用したデザートが姿を現した。
またこれにも客たちはどよめき、色めきだって新たな皿を持ってテーブルに駆け出して行った。乳脂肪や砂糖をふんだんに使ったデザートなどいつ以来だろうか?
果物くらいなら食べる事も出来たが、統括機構が出来て新法が成立して以来とんとお目に掛かれなかった、パティシエや職人たちが作るデザート。
私の前には色とりどりのケーキがある。
モンブラン、チーズケーキ、レアチーズケーキ、ショートケーキ、ミルフィーユ……数えきれないほどの種類がある。
アイスクリームや和菓子、他にも様々な国の甘いものをかき集めて来たようで、会場が一気に華やかになったように思える。
男はもちろんだが、女の人がこれにはかなり食いつきが激しかった。
私も甘いものは嫌いじゃないほうなので、こちらもまた皿に盛りつけて楽しんだ。
夢のような時間だった。
実際夢なんじゃないかとすら思えた。
このような時が永遠に続けばよいのに。
しかし終わりはやってくる。
用意されたデザートも食べつくされ、すべての食べ物が無くなった事を司会から告げられる。
周囲の人々は残念そうな顔をしながらも、汚れた服をどうしようかと言っていたり、食べすぎて苦しんでいながらも満足気であった。
潜入調査としての材料もばっちり撮れた上に、久しぶりに肉も食えたとあって役得だった。ケイトも喜ぶだろう。
会場から出る際は入口とは違う扉から出るように言われ、そのまま行ってエレベータに乗ってみると、全く違う場所に出た。繁華街のど真ん中のビルだ。
来た先を振り返ると、扉はあったはずなのにいつの間に消えたのか、形跡すらなかった。
繁華街から電車に乗って帰り際、ふと思いいたる。
このまま報告しなければ、あるいは嘘の報告をすれば私はまたあの会場に戻れるのではないか。
あれだけ肉や魚を食べられる機会と言うのは他にはない。
実は、このような会合は過去に幾らかあった事例なのだ。
しかし有志でやれる規模と言うのはタカが知れている。
せいぜいハンティング(これも違法)で獲って来た獲物を捌き、密かに振舞ったり、野生に居ると見せかけて飼っている牛から乳を搾ったりしてデザートを作ったりなど、非常にささやかなものだ。これですら見つかると数年の懲役は免れない。
今回の規模ともなれば間違いなく、主催者は死刑に成りうるだろう。
そして食べた人々も共犯者で、重ければ終身刑まで言い渡されるかもしれない。
流石に死ぬまで刑務所に居るとか、死の怖さにおびえながら留置され続けるのは御免だった。
それでも抗いようのない、根源的な欲を呼び覚まされてしまった。
言うべきか、言わざるべきか迷っているうちに、一ヶ月過ぎてしまった。
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