意識高いワタシが意識低いアイツと入れ替わってしまった件

山内一正

意識高いワタシが意識低いアイツと入れ替わってしまった件

 宮原駅の雑居ビルの屋上に、近くにある宮原高校の制服を着た関山貴子が立っている。すでに体は手すりの向こう側にある。吹いてくる風に体が揺れるたびに、顔が恐怖で歪む。やや湿った長い髪は脂ぎった顔の半分を覆っていた。手足が短く、体はムッチリを通り越して脂肪が肥大し皮膚を突き破らんばかりにパンパンの状態である。上体をそらしながら、貴子はこわごわと一歩前に足を踏み出した。二歩目。そこはすでに空中であった。貴子は落ちた。

貴子が落ちている間、なぜか時間が遅く進行している気がした。落下地点には小川きららがいるのが見えた。小川きららは、一七三センチの身長と端正な顔立ちで男性にも女性にも人気があった。貴子はそんなきららを嫉妬と羨望の入り混じった目でいつも見ていた。

落下する貴子と見上げるきららの目があった。その瞬間、二人の体は激突した。

 

 きららは目を覚ました。ベッドが並んでおり、隣にはやせ細って小さくなったおばあさんが寝ている。殺風景な病院の一室である。私は何かの事故に遭うか病気になって入院しているのだときららは思った。たしか、あの日登校中、誰かが上から降ってきて…あんまりよく思い出せないけど…それにしても、トイレに行きたい。

 きららは立ち上がり、四人部屋から出て、トイレに行くことにした。なんだか歩幅も狭いし、一歩一歩がスムーズに出ない気がする。廊下に出ると、看護婦が見えた。

「すいません、トイレってどこですか?」

きららは自分の声がくぐもっている気がした。まるで別人の声だ。

「あれ、関山さん気が付いたの。よかったね。そこですよ」

「ありがとうございます」

 私は関山ではない、小川なんだけどと思いながら、きららはトイレに入った。きららはトイレの鏡をちらっと見た。鏡は、ゆるキャラのような体形に、うざったいほど長い髪をした関山貴子の姿を写していた。

えっ、どうして?きららは驚いて、鏡を見て、表情を変えたり、ジャンプしたりして、自分の肉体が関山貴子の肉体に変化したのを確認した。きららの顔から血の気が引いた。なんの言葉も湧いてこなかった。現実を受けることなど到底できそうもなかった。そうは言っても尿意が湧いてくるのだから仕方ない。個室に入った。

トイレから出たきららはナースセンターに行き、看護婦に話しかけた。

「あの、今日は何月何日ですか?」

「今日は五月六日よ。あなたは一昨日からずっと寝てたの」

「何があったんですか?」

「何があったって…あなたがビルから飛び降りたのよ」

「私が?あっ、そうか。なるほど」

「下にいた小川さんは大迷惑よ。でも先に退院していったけどね」

「そうなんですね」

 これは入れ替わりである。私が関山貴子の体になっているということは、必然的に関山貴子は私の体になっているはずだ…

 きららは看護婦に退院の手続きをする旨を伝えた。幸いなことに入院費はすでに支払われていた。病院を出たきららは、もちろん自宅に向かう。だが自宅に帰ってどうするのだろう。こんな体では信じてもらえないだろう。関山貴子が証言してくれれば…。そんなことを考えているうちに家に着いてしまった。きららの父親の趣味が反映した屋上庭園の付いた三階建ての豪邸である。チャイムを鳴らす。関山貴子が出てきた。

「あら、関山さん」

「関山さんじゃないわよ。あなたが関山さんでしょ。これどういうこと?」

「しらないわよ。私だって戸惑っているんだから」

「あなたが普通に私の家にいて私のふりをしているのが信じられない」

「いきなり、両親に説明しても信じてもらえないでしょう。だから成りすまして生活するしかないじゃない」

 貴子は勝ち誇っているように見えた。親に言っても到底信じてもらえないだろう。きららは唇を嚙み、耐えるしかなかった。

「だいたいあなたが自殺なんかするから…」

「起こったことは仕方ないじゃない。せいぜいこの体を楽しませてもらうわ。デブスで生まれてきてどんなつらかったか。神様がそんな私を憐れんでこの体をくれたのよ」

「神様ってそんな」

「きららちゃん、誰か来てるの。ごはんよ」というきららの母親の声が聞こえた。

「今、行く」と貴子は返事をした。

「じゃ、お母さん呼んでるから」貴子はきららの体を押して外に出そうとする。

「私はどこへ」

「さぁ」

「さぁって」

「私の家が空いてるわよ。毒島団地B棟一〇一号室よ。覚えた」

 きららの体が外に押し出された。仕方なくきららは貴子の家に向かう。

神様…もし神様が私の体を貴子の体と入れ替えたというなら、その神様は、とても残酷な神様だときららは思った。私は裕福な家庭を持ち、この顔と頭と体に生まれたことでおごったことなど一度もない。常に境遇に感謝し、才能や資質を努力して伸ばしてきたのだ。それとも私が神を信じず。自分のみを信じてきたバチが当たったというのか…

薄汚れた古い公団住宅に着いた。その団地の民度の低さはローカル掲示板でもよく話題になっているほどだった。一〇一号室のチャイムを押す。誰も出てこない。

「おじゃまします」と言って、きららは中に入る。

貴子の母が出てくる。貴子よりも縦も横も大きい堂々たる体躯である。

「おじゃましますって自分の家でしょ。退院したのね」

「はい」

 洗濯物や雑誌などが転がっている乱雑な部屋である。すぐに、貴子の母はつけっぱなしのテレビの前のソファに横になってしまった。

「あの」

「なによ」

「私の部屋は?」

「自分の部屋もわからなくなったの?頭でも打ったの」

 貴子の母は指さし、きららはドアを開ける。カップラーメンやポテトチップス、雑誌などが床に散乱しており、足の踏み場もない。きららは転がっているスーパーの袋にごみを押し込む。

「なんで、私がこんなことを…」

きららはとりあえず床の上からモノがなくなるまで片付け続けた。

 

 朝、きららは目を覚ました。目覚ましがなくても、決まった時間に目を覚ますことができた。普段は登下校に友人が話しかけてくるのだが、誰も話しかけて来ない。授業が始まる前に、教師から「関山が今日から学校にまた来れるようになりました」という挨拶があったが、誰もはっきりした興味を示さなかった。何人かがちらっときららのほうを見ただけであった。授業が終わり、剣道場に向かう。剣道場では、部員たちが素振りをするのを部長の久保田が見守り、ときおり修正していた

 きららは近づいて行った。

「あの、すいません」

「なんだ」

「二年五組の関山と申します。こちらの部に入部したいと思いまして」

「こんな時期に?来月は新年度だぞ」と久保田はちょっと驚いた顔をした。

「はい。一刻も早く入部したいと思いまして」

「なんで」

「急に剣道に興味が湧いてきまして」

「そうか…やる気があるなら歓迎するぞ」

「でもその前に、もうちょっと痩せたほうが…」と久保田はきららの体の上から下まで見渡した。久保田が女性の容姿をからかうような人間であることに初めて気がついてショックだったが、急に思いついて質問した。

「あのー、小川さんは最近部活に来ていますか」

「小川は来てないな。事故の後遺症があるとかで…最近まで入院してたし。そういえば関山とか言ってたし、ぶつかった相手って君か?」

「はい」

「なんかおかしな話だなぁ。今日から練習していくか?胴着持ってないだろ」

きららは、うなずく。

「部室にあるから貸してやるよ」

 胴着を着たきららがビュンビュン音をさせながら、素振りをする。久保田はその様子を見ている。

「意外と筋がいいな。でも体のキレがないからもうちょっと痩せたほうがいいぞ」

 久保田がこんなにデリカシーがなかったことをきららは初めて知った。


 まずは現状を変えるために、部活の後に、市が運営している図書館にきららは行くことにした。というのも、今日受けた授業をきららは全然理解できなかったからだ。きららの仮説は次のようなものだ。意識は私のままのはずなのに勉強ができなくなってしまった。心は入れ替わったが、脳も身体の一部であり、脳に入っている情報も身体の一部である。パソコンに例えると意識や心はOSで脳の情報はハードディスク。勉強は脳の情報を取り出すという作業である。入れ替わりによりハードディスクのデータは向こうの体にあるのだから、もう一度一からデータを入力しなくてはいけないのだろう。

 きららは図書館で『誰でも背が高くなる方法』『フィット・フォー・ライフ『高校2年からの東大合格術』という本を借りた。図書館でパラパラ読んでみる。『フィット・フォー・ライフ』によると、果物さえ食べていれば人間は健康的に生きていけるという。今日から毎食、果物で生活しよう、きららはそう誓い、かばんから教科書を取り出して読み始めた。


 貴子の家の近くには、小高い丘があり、頂上には古い神社の境内があった。きららは、階段をダッシュして昇り降りして筋力をつけることにした。階段を登ると神社の裏側には太い古木が生い茂っており、きららはジャンプして高い枝をタッチする。バスケットボールやバレーボールの選手は、成長期にジャンプをすることによって、身長が高くなると本に書いてあったからだ。貴子は階段のダッシュと頂上でのジャンプを続けて、疲れたところで帰路についた。

 アパートは相変わらず薄汚れており、衣類や雑貨やお菓子など、さまざまモノでゴチャゴチャしていた。きららの部屋だけが床に何一つ落ちておらず、机や照明の傘までもきれいに拭かれていた。リビングに入ったきららはソファに座って池上彰の番組を観ている母親に話しかけた。

「あの、お母さん、参考書を買いたいのでお小遣いをもらえませんか」

「参考書?どうしたの、珍しい。参考書だとしても、うちは自分のお金は自分で稼ぐ主義だから、参考書も自分で買ってね」

「えっ、バイトですか?」

「そうよ。事故の前は清掃のバイトをしてたじゃない。またやれば?」

 きららは自分の部屋に戻り、かばんのなかのスマホを取り出した。五十四通のメールが未読になっていた。やすらぎの休日、シフト表という文字が見えた。添付ファイルを開くと事故以来、貴子のシフトのところは空欄になっている。きららはメールに記載されている電話番号に電話を掛けてみた。

「はい、株式会社宮原清掃ですが」

「関山ですけど」

「はい。あ、関山さん。けが大丈夫?」

「大丈夫です。あのすぐに仕事復帰したいんですけど。事故で記憶がないので、また一から教えてもらえますか?」

「簡単な仕事だからね。大丈夫だよ」

次の朝早く起きると、きららは「やすらぎの休日」というスーパー銭湯に向かった。営業前で薄暗いフロントで担当者から一通り仕事の流れを教わる。誰もいない男湯でブラシを掛ける。ついでに昨日参考書で見た英熟語をつぶやいて記憶する。「アズスーンアズ ・何々するやいなや」


二限の世界史の時間が終わった。生徒は思い思いにしゃべっている。貴子の周りには勉強も運動も容姿も性格も優れた高校のアッパークラスと呼ぶべきメンバーが近寄ってきた。

貴子は楽しそうに彼らと話していた。きららには誰も近づいてこない。誰かに話しかけて、一から人間関係を作り上げていくのを億劫に感じたきららは教科書をもって図書館に行くことにした。ここなら孤独を感じることもないし、授業の復習もできるだろう。授業の復習のために、授業のあとは必ず図書館に行こうときららは誓った。


放課後の剣道場。きららと剣道部員が打ち合う。その様子を見て、久保田がうなずく。

「だいぶ、からだのキレが良くなってきたな」

 きららは打ち合いながら、答える。

「ありがとうございます」

 きらら、上段に構える。きららの脇腹に胴が決まる。部長は呆れたように

「まーた、上段に構える。背が高くないんだから、上段に構えても仕方ないんだよ。上段に構えるなとは言わないよ。でもまずは中段できてからだよ」

きららは悔しそうな顔をする。

 そのころ、貴子はクラスメートたちと歌広場でカラオケを歌っていた。貴子はこれが青春というものだと思った。

 

 きららは痩せるために最近、炭水化物を採っていない。しかし、栄養価の高いものを食べないと背を伸ばすことはできないから、煮干しとバナナばかり食べていた。今日の昼食もみんながパンや弁当を食べているときに一人で煮干しとバナナを食べていた。みんなの昼食の時間、急に気崩した制服を着た竹山が大声を上げた。

「おい、関山、お前最近バナナばっかり食べてるじゃねえか。豚じゃなくサルになったのか」

 急に大声を上げたためか、教室内は、びっくりしてとってつけたようなまばらな笑い声が上がるだけだった。竹山は、取り繕うようにきららに近寄り、きららの腕をバンバン叩いた。

 きららは平然と竹山の腕にパンチを放った。竹山はまさかお返しがくるとは思わず、少しうろたえたように見えた。

「お前、やんのか?」

 竹山はボクシングの構えをする。竹山は一時期ボクシング漫画に影響されてボクシングジムに通ったことがあった。天性の怠惰さのために二週間で行かなくなってしまったが、それ以来戦闘状態に入るときにはボクシングポーズを取る癖があった。

 きららは、教室の隅に立てかけてあるクリックワイパーを手に取り、剣道の構えをした。

「そんなもんで…俺をなめんじゃねえよぉぉ」と竹山の怒声が響く。

 竹山、お得意(と自分で思っているだけだが)のフックがきららの顔面に決まるように見えた。きららは体をひょいと後ろにそらして、よける。そして、一歩踏み込むと的確に、竹山の喉をクリックワイパーの柄で突いた。竹山はえずきながら、うずくまった。沈黙が教室を襲った。途中まではへらへらとみていた貴子の顔は真っ青になった。竹山は恥ずかしそうに、立ち上がったが、中腰のまま廊下に出ていき、その日は教室に帰ってこなかった。


 中間テスト前で剣道の部活がなかったきららが校門から外に出ようとしていると、佐藤美優が駆け寄ってきた。

「関山さん、今日はありがとう」

「何が?」

「竹山をボコボコにしてくれたから」

「あー、ボコボコというほどじゃないけどね」

「とにかく、ありがと。あいつうるさいし、すぐ弱い子いじめるから、すっきりした」

「私も、かーっとなっちゃって、竹山に当たったみたいなところあるからそんな褒められるようなことじゃないんだ…」

 きららは照れたように微笑む。

「竹山はさぁ、前に私にフラれたからってストーカーみたいになっちゃって、もう近寄らないでって言ったら、もう復縁を迫ってくるのはやめたけど、話さなきゃいけないことがあって、話すと当たりが強いから面倒くさいなって思ってたんだよね。もし、また復縁を迫ってきたら関山さん守ってよ」と美優は最後笑いそうになりながら頼んだ。

「私にできるかな」

「できるよ」と美優は断言してから、ちょっと間を置いた。

「ねぇ、明日からさ昼ごはん一緒に食べようよ」

「うん。いいよ。でも唐突だね」

「確かに唐突だったね…」

 きららと美優は顔を見合わせて笑った。

 

 二年五組の教室で村上と高田が席の前と後ろで弁当を食べながら話している。村上は高田と話すために、しょっちゅう後ろを向くのでほとんど食事が進んでいない。村上はきららと美優のほうをちらっと見た。二人は、同じ机に向かい合い楽し気に一緒にバナナを食べている。村上は急に声を潜めた。

「最近、佐藤さんって関山といつもいるよな。佐藤さんって前は小川さんと仲良くなかったっけ」

「女はいろいろあるから。親友が変わるのはしょっちゅうでしょ。」高田はきっぱりと言い切り、きららと美優のほうを見て、視線をきららにクローズアップした。

「なんかさ、関山って変わったよな」と村上はぽつりと言った。

「あぁ、事故のあとくらいからかな。表情に覇気が出てきたし、バナナばっかり食べてるだけあって痩せてきたような…なんか背まで高くなってる気がすんだよなぁ」

「背まで?そんな」

「うん。背まで伸びてる気がする。それに」

「それに?」村上はすぐに聞き返す。

「それに…かわいくなった気がする…」照れくさそうに高田は答えた。

「うーん、認めなくないけどかわいくなったかも」

「なんで認めたくないんだよ。」

「だって、関山だから」村上は馬鹿にしたように笑う。

「認めろよ。関山はかわいいの。もしかすると、もともとの顔はかわいかったのかもしれない」

「女は化けるというやつかな」

「そうだよ」

 二人はきららの顔を見た。もともとはベタッとした髪の毛がきららの顔の半分を覆っていたが、ショートにして顔を露出することで清潔感が出た。脂肪が一重まぶたや鼻を圧迫していたが、痩せたことにより、顔全体がすっきりした。不細工といえば不細工と言えなくもないが、シャープな印象で美人という評価基準で判断できない顔になった。よく笑うようになり、表情が明るくなって、見るものに好感を与え、もう少し見ていたいと思える摩訶不思議な魅力を手に入れた。

 

きららの担任の石野は、中間テストの点数の入力を終え、各生徒の成績のエクセルの折れ線グラフを見ていた。変動率というタブを開く。

変動率一位「小川きらら」二位「関山貴子」と二人の名前が並んでいる。「小川きらら」をクリックすると、五・六・七月に掛けて、順位が右肩下がりのグラフが出る。

「これはひどいぞ」と石野はつぶやいた。

 次に「関山貴子」という文字をクリックする。五・六・七月に掛けて、順位が右肩上がりのグラフが出る。二人の右肩下がりと右肩上がりのグラフを重ねてみる。

「ほぼ同じ順位だ…」

 そのころ、きららは神社の階段をダッシュで昇り降りしながら、英単語をつぶやいていた。貴子はカラオケを熱唱していた。

 

 宮原高校の体育祭の日が来た。もともと男子校・女子高が合併して共学になったという歴史があり、文武両道という校風が残っている。体育祭も真剣に参加しなくてはいけないという風潮があった。

 リレーに参加する生徒たちの集団のなかに、体育座りしているきららの姿があった。美優が後ろから近づき、隣に座る。

「緊張してる?」

「それなりに」

 美優は校庭の真ん中でだらだらと玉入れをしている貴子のほうを見る。その視線に気づいてきららも貴子のほうを見る。

「小川さん、走らないんだね。足早いのに、ずるいよ」

「そうみたいだね。もったいないね」きららは貴子のほうを悔しそうに見た。

「なんか最近小川さん、たるんでるよね」

「そう。あんまりよく知らないんだ」

「たるんでるよ。前はもっといろんなことに真剣だったのに。今は全部いい加減だし、部活にも行ってないし。なんか太っちゃって、正直劣化してきたし…もっと美意識がある人だと思ったんだけどな」

「もったいないよね」

きららはまた同じことを言って、貴子のほうを見た。確かに体もぷよぷよしているし、顔の表情も弛緩して見える。

「だから、最近あんまり絡まないようにしてるんだ」

「前は仲良かったもんね…」きららは何か付け加えたそうに美優の顔を見つめた。

「リレーも前にこんな話してごめんね。でもみんなひどいよね。関山さんに押し付けて」

「でも、実はちょっと走りたかったりするんだ」ときららはつぶやく。

「あ、始める。クラスのところで待ってるから…頑張って!」

「うん。じゃね」

 きららは立ち上がった。この体になってしまったのだから、この体の優位性を利用しなくてはいけない。きららは思った。前の体に比べて背が小さく脂肪が付きやすい。しかし、背が高いということは風の抵抗を受けやすいということでもある。脂肪が付きやすいというのも一見不利な条件に思えるが、筋肉が付きやすいということでもある。それが証拠にボディビル選手はオフの間はわざと太って脂肪をためておき、大会の前に一気に絞るのだ。

走り込みと筋トレで、最近のオリンピックに出場する短距離選手のように空気抵抗のない体になることができた。

 男女混合リレーが始まった。二年五組は徐々に遅れを取り、ビリになってしまった。トップチームの女子がバトンを受け取る。きららがその様子を伺う。やっと五組の男子がきららにバトンを渡した。

 きららは走り出した。リレーはできるだけ短距離を走り、空気抵抗を避け、ゴールに誰よりも早く着けばよいという競技だ。きららは競技を頭のなかで単純化した。

 ロケットスタートしたきららは一人目を抜く。二人目のインコースに強引に割り込んでいき、二人目を抜く。直線で三・四・五人目をあっという間に抜きさり、一位でゴールに入る。

 きららは、ゴールしたあと邪魔にならなそうなところまで歩いていき、倒れこんだ。いつの間にか美優がきららの顔にペットボトルを近づける。

「関山さん早かったんだね。かっこよかったよ」

 きららの視界から美優の顔が消えて、暗黒が訪れる。どうやら貧血を起こしたらしい。 

 

 二年五組の担任である石野の指導教科は世界史であった。きららはこの前の期末テスト、その世界史にターゲットを絞った。暗記科目であり、範囲が決まっており、前後の流れがわからなくてもその範囲だけ完璧に覚えれば高得点が期待できるからだ。しかもテストの初日の一限科目なので、そこで弾みをつけておきたかったのもある。おきまりのあいさつをし、石野はテストの束を教壇に置いた。

「この前のテストを返したいと思います。その前に一人だけ百点を取った人がいます。関山」と名前を呼ぶ。

きららは教壇の前に立つ。

「頑張ったな」

きららは一礼をし、テストを受け取る。貴子は驚いた顔をしたあと、誰にも顔を見られないように顔を伏せた。


 二年が終わり、春休みになると、きららは目に見えるほど成長していた。背は十センチ近くも伸び、剣道の練習を通じて姿勢が良くなったのでそれ以上に大きく見えた。体重は変わらなかったから、やせ型の筋肉質の体形になった。肌は褐色に焼け、白い歯が目立つ美少女と言っても差し支えのない容姿が完成した。

 きららはその日、埼玉県の県大会の決勝へと進んでいた。二対二で大将のきららの登場し、きららが最初に一本を取り、相手も負けじと一本を取り返した。相手に一本を取られたところで、中段に構えていたきららはここで初めて上段に構えた。胴ががら空きに見える。相手は勇猛果敢に胴を狙っていった。きららのするどい片手面が決まった。

「一本」と主審の声。

 きららの周りに部員が集まる。久保田がきららの肩を叩く。

「よくやった。完全に上段の構えをモノにしたな」

「はい。部長に言われたように中段の構えを学んだおかげで相手の動きが見えるようになりました。中段の相手の心理も分かるようになりました」とよどみなく言う。

「そうか。体力的にも技術的にも成長したなぁ」と久保田は泣きそうになって言った。

スピーカーからジーという雑音が流れてきて、何か発表が始まるのかと部員たちは身構えた。役員がマイクを持っている。

「3位・伊奈高校、2位・吉野高校」

 会場から歓声が上がる。すでに優勝を確信した部員たちの顔に笑みがこぼれる。

「優勝は宮原高校」

 改めて喜ぶ部員たち。うんとうなづくきらら。客席にいる美優は、泣きながら歓声を上げる。

 

 自分の部屋のベッドに貴子は寝転がり、スマホで芸能ニュースを見ていた。最近貴子は外に出ていない。貴子の顔も体もすっかり脂肪が付いて、顔は生気がないわりに脂ぎっていた。部屋はすっかり散らかっており、そこら中にペットボトルやポテトチップスの袋が転がっている。

 ノックの音が聞こえた。

「なに」と貴子は苛立たし気に応えた。

 きららの母が入ってくる。

「きららちゃん、どうして学校行かないの?」

「先生がうるさいんだよ。成績が下がってきた、下がってきたって。こっちは一生懸命頑張ってるのに…ほかのみんなもデブとか言ってくるし」とふてくされたように貴子が言う。

「そりゃひどいけど。でもきららちゃんもおかしいわよ。どうしたの?あんなに頑張り屋さんだったのに。ママ悲しいわ」

「また、そうやって決めつけて。こっちはプレッシャーに押しつぶされそうだよ」

「ごめんねぇ」きららの母は悲しそうに謝った。

「ちょっと散歩してくる」

貴子は言い過ぎたと思ったが、その場の雰囲気に耐えられず、外出することにした。

 

きららは宮原神社の境内で、模擬試験の成績のシートを見ていた。高校内の順位は一位と書いてある。それぞれの教科の成績をチェックしていった。宮原神社の階段を登って境内に入ってくる貴子の姿を見つけた。二人の目が合う。

「あっ」二人同時に叫んだ。

「ひさしぶり。最近学校来てないね」と気まずさを取り繕うにきららが言った。

「こんなんじゃ行けないよ」と貴子は自分の体を見せつけた。

「私の体をそんな風にしちゃって」

「私の体。そんなこと言うなら返してあげるよ」と馬鹿にしたように貴子は言った。

「どうやって返すの?それに今になって返すとかあなただって入れ替わって喜んでたじゃない」と静かに怒気を含んだ声できららが言った。

「知らないわよ。成績を維持してみんなに愛されて、体型も維持して部活も頑張ってとか私には無理。キャパオーバー。普通に生きたいのよ。意識低くして生きたいの。このままじゃ辛いのよ」と貴子はきららの体を押す。

「もとはといえば、あなたが自殺して自分の体を大事にしなかった結果じゃない。自分のことくらい自分で大事にしなさいよ」ときららは貴子の体を押す。

 貴子はバランスを崩す。貴子は階段の下に落ちそうになる。きららは貴子の腕を掴んで落ちないようにするが、貴子の体重のせいで二人とも階段を転げ落ちてしまう。ゴロゴロと二人ともお互いを掴みながら転がり、階段の下に到着する。

 二人は気絶しているが、同時に目を覚まし、お互いの顔を指さす。

「元に戻ってる」と同時に叫ぶ。

 きららは自分の胸のあたりから足の先まで眺める。

「やれやれ、また一からやり直しか」

 立ち上がったきららは階段をダッシュで登る。

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