最終話 水見さんには話さない ③
「じゃあ、帰ろうか?」
ヨシさんはそう言うと、車を走らせ始める。
一泊ながら長くいたような気になるロッジを車の窓から眺め、見えなくなると、今度は水見さんと一緒に歩いた海岸線の道路を走りだす。
隣に座る水見さんは来た時と同じように窓の外をぼんやりと眺めているようだった。
ヨシさんと千冬さんは、雑談に花を咲かせていて、シートに深く持たれると眠気を感じ、大きなあくびが出てしまう。
昨日の夜は結局あまり眠れなかったし、朝も早かった。それにしても自分より睡眠時間が短かったであろう水見さんは平気なのだろうか。心配になり水見さんを覗き見ると相変わらずで、そのいつもの感じに安心すると、眠気はさらに強くなる。
「千冬さん、ブラックガムありましたよね?」
「なあに、ハルくん。もう眠くなっちゃたわけ?」
「すいません。遊び疲れたんですかね?」
「そんなに遊んでたように見えなかったけど? もしかして……夜寝れないことでもあったのかな?」
千冬さんは座席の間から顔をのぞかせながら、ニヤニヤとしている。いつも通り反応しないように気をつけなくても、眠さでリアクションをする気も起きない。
千冬さんはそんな反応の薄さにため息を一つつく。
「本当に眠そうだねえ。ハルくん」
「だから、ブラックガムをもらおうと――」
「寝ちゃっていいよ。今寝たら一番困るのは運転してるヨシくんで、次にヨシくんが眠くならないように横で話をする私で。正直、ハルくんとアキちゃんはいくら寝てもらってもかまわないのよね」
千冬さんは言葉から棘をなくし、優しい声で言い放つ。それにヨシさんも、
「そうそう。それにロッジの片付けとかも、ほとんどハルくんとアキちゃんに頼りっきりだったからねえ。ゆっくりしてくれていいんだよ」
と、運転しながら千冬さんに付け加える。そう話してからは、千冬さんもヨシさんもこちらに話を振ることも気にすることもしなくなった。二人の厚意と言葉に甘え、シートに体を沈ませ、目を閉じる。そして、すぐに眠りの中に落ちていった。
「――くん。ねえ、小寺くん」
誰かに名前を呼ばれ、体を揺すられる。意識は一気に覚醒していく。
「小寺くん、やっと起きた」
寝起きと同時に水見さんの顔が目に入る。最高の寝起きだなんて思いつつ、ちょっとした異変に気付く。寝る前までは水見さんはシートの端に座っていたはずだが、今は真ん中の席座っていて、距離感が物理的に近かった。
「えっと……どうしたの?」
「ああ、ハルくん。起きた? もうすぐお昼だし、どこかで食べようって話してたんだよ」
千冬さんがバックミラー越しにこちらを見ながら話しかけてくる。
「それでさ、ハルくんは何か食べたいものある? なかなかいい案が出なくてね、もうどこか適当な店に入ろうかって言ってたんだよ」
「そうだったんですね。すいません。俺はどこでもいいですよ」
「どこでもって、一番困る反応よねえ」
千冬さんがちょっとしたことだがネチっと的確に痛いところを突いてくる。そのせいで一瞬で目が覚め、対抗心から頭をフル回転させる。
「どこでもいいんですよね? それなら定食屋か食堂にしたらどうですか? それならある程度全員が食べたいもの食べれるんじゃないですか。それに道路沿いの店ならファミリー向きで駐車場もしっかりしてる店も多いでしょ?」
そう自分の中で導き出した最善を提案してみる。なぜか誰からもリアクションが返ってこない。何かやらかしたかと不安になってくる。しかし、突然千冬さんとヨシさんが笑い出す。隣の水見さんまで声に出さず肩を揺らしている。
「なんで笑うんですか?」
「いやいや、ハルくん。そんな真面目に答えなくてもよかったのに」
千冬さんが一番ゲラゲラと笑っている。
「そうそう。ハルくんをちょっとからかっただけなんだ」
ヨシさんも笑いながらバックミラー越しにちらりとこちらを見てくる。
「どういうことですか?」
「ハルくんがしっかり提案しなくても、さっきスマホで調べていい店を見つけてるのよ。まあ、ハルくんが提案したような街道沿いの食堂なんだけどね」
千冬さんが説明する。なんだか釈然としないまま、車は一軒の食堂に到着する。店に入り、四人席に大学生組と社会人組に別れて向かい合うように座った。メニューを見てると、
「ハルくん、顔怖いよ? まださっきのこと怒ってる?」
と、正面に座る千冬さんに声を掛けられる。
「怒ってはいませんよ。ちょっと気分はよくないですけど」
そう返事をしながら、コップの水に口をつける。千冬さんは「ごめんねえ」と悪びれる気も本気で謝る気もなく口にする。そして、スマホを取り出し、カタカタといじりだす。それに合わすようにズボンのポケットの中でスマホが振動する。スマホを取り出すと、やはりというか千冬さんからだった。
『ごめんねえ、ハルくん。これあげるから機嫌直してね』
ハートマークが添えられたメッセージにため息が出そうになる。そして、俺が読み終わるタイミングで千冬さんは一枚の画像を貼り付ける。その画像を見て、口に含んでいた水を噴き出しそうになり、
『アキちゃんのこと幸せにしなさいよ』
そのメッセージを読んで何かやり返したくなって、ちょっとした毒を仕込んだ返事を送る。それを読んで今度は千冬さんが噴き出しそうになり咳き込む。ヨシさんと水見さんから心配され、慌てて千冬さんは取り繕っている。それを見て、機嫌をよくした俺は笑い、千冬さんは恨めしそうに笑い返す。
千冬さんは車内での盗撮写真を送ってきた。俺が寝ているところを撮ったものだが、それだけではなかった。水見さんが隣の席で俺の肩にもたれかかりながら眠っている写真だった。よくみると水見さんは俺の腕に自分の腕を絡めていて、誰が見ても恋人同士にしか見えない写真だった。
さすがに千冬さんは俺と水見さんの関係を確信して、メッセージで追い打ちをかけてきたのだが、俺はそれに、『分かっていますよ。千冬お
和気あいあいとした昼食を終えると車に戻り、帰路につく。そこからは後部座席の真ん中の席に座り、千冬さんとヨシさんの雑談に加わった。そして、隣に座る水見さんと膝に掛けたパーカーの下で千冬さんたちから見えないように指先を絡める。そのせいか水見さんはずっと窓の外を見つめ、会話に混ざることはなかった。
アパートの前まで戻ってくると、車を降りトランクから、自分たちの荷物を下ろした。その最中にヨシさんも車から降りてきた。トランクから余った酒が入った箱を下ろしながら、
「よかったら余りは持って行きなよ。アキちゃんとハルくん二人で飲んだらいいよ」
と、言いながら荷物の忘れ物がないか確認してトランクを閉める。
「いいんですか?」
「いいよ。どうせそんなにあっても俺も千冬も困るだけだしね」
「ありがとうございます」
ヨシさんは手を挙げて、感謝の言葉を受け止めると運転席に戻っていく。助手席の窓を下ろし、千冬さんが顔を出す。
「じゃあ、またね。アキちゃん、ハルくん。近いうちにまた誘うかもね」
その言葉に若干の不安を感じながらも、「はい。お世話になりました」と、お礼の言葉を言う。水見さんも、
「お姉ちゃん。ありがとう。またご飯作りに行くから」
と、荷物を置き手を振っている。千冬さんは窓を上げ、笑顔で手を振る。その奥でヨシさんも小さく手を振っていた。車は動き出し、すぐに見えなくなった。それを見送ると、
「じゃあ、俺らもアパートに入ろうか?」
と、リュックを背負い直し、酒の入った箱を持ち上げる。
「そうだね」
水見さんも自分の荷物を持ちながら笑顔で答える。並んでアパートに入り、それぞれの部屋の前で立ち止まる。荷物を置き、鍵を差し込んでいると、
「ねえ、小寺くん」
と、水見さんに声を掛けられる。
「どうかした?」
「あの……えっと……」
水見さんは俯いたまま何かを言い出そうとしているが言い出せないみたいだった。
「水見さん、あとで部屋に来る?」
水見さんは顔を上げ、こちらに顔を向け、「うん、行く」と嬉しそうに笑顔を見せる。その笑顔に自然にこっちも笑みがこぼれる。
「じゃあ、荷物片づけて、落ち着いたら来なよ。って言っても部屋に何もないけど」
水見さんはくすくすと笑う。
「じゃあ、こっちに来る? コーヒーやご飯くらいしか出せないけど」
「それだけあれば、文句はないよ。それに水見さんがいればそれだけで十分だし」
「うん。待ってるね」
「あとで」
そう言葉を交わし、それぞれの部屋の扉を開ける。そして、今はお隣さんに戻っていく。
旅行の前後で世界は大きく変わった。生まれ変わったと言っても過言ではないほどに。
きっとこの旅行のことは水見さんといい思い出として、この先ずっと共有していくだろう。
ただ、帰りの食堂で千冬さんから送られてきた写真は水見さん含め誰にも見せるつもりはない。それだけでなく千冬さんとのやり取りも、水見さんには話さない。
こうして短いようで長かった一泊二日の海への小旅行は幕を閉じ、水見さんとの関係を新たにした未来が幕を開ける。
水見さんと過ごす日々は、これからも静かで甘いものになるのだろう――。
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