第27話 水見さんには話さない ②

「お姉ちゃんたちには、今は付き合いだしたことを内緒にしよう?」


 水見さんのその提案を受け入れ、昨日までのように千冬さんとヨシさんの前では接しようと決める。千冬さんにバレたら、からかわれるのは目に見えている。きっとソファーに水見さんと座らされ、会見形式で質問攻めにされるのが目に見えている。

 水見さんも何か思うところがあったから、落ち着いてから改めて話したいと思ったのかもしれない。

 水見さんが朝ごはんのためにフレンチトーストの準備を始める。といっても、深皿に卵や牛乳などを混ぜた調味液を用意して、昨日買って余らせてある食パンをつけるだけだった。


「そういえば、飲み物はどうするの? フレンチトーストに合う飲み物あった?」


 ふと気になって尋ねる。水見さんは首をひねりながら冷蔵庫の中を確認する。隣から一緒に覗き込む。飲み物と言えば、酒にお茶、牛乳しかなかった。酒は帰りの運転をするヨシさんは確実にダメで、そもそもビールやチューハイが合うとは思えなかった。お茶も普通のコンビニで買ったペットボトルのもので紅茶ならまだしも、よくある緑茶だった。


「牛乳はどう?」


 水見さんは首を横に振る。そして、


「フレンチトーストで使い切っちゃう」


 と、申し訳なさそうに口にする。


「ごめんね。私が飲み物まで気が回らなかったから」

「水見さんのせいじゃないよ。俺も気づかなったんだし」

「そう?」

「じゃあ、買ってくるしかないか?」

「何を?」

「飲み物」

「どこに? スーパー……はまだ開いてないよね。コンビニ? でも、スーパーよりも遠いって言ってたよね?」


 水見さんは確認するように口に出す。慌てているのは顔には出ないけれど、言葉とわずかな声の変化から感じ取れる。そういう小さな変化から水見さんの気持ちが分かるような気がすると、なんだか嬉しくなる。ふいに、「どうするの小寺くん?」と、水見さんがこちらに視線を向ける。俺の顔を見ると、不思議そうな表情を浮かべる。


「どうして、笑ってるの? 小寺くん」

「何でもない。なんだか水見さんがかわいくて」


 水見さんは黙り込み、顔を赤くしながら髪の毛の先をいじりだす。俺は話を逸らすわけでもなく本心を言っただけだ。目の前の水見さんはいつになくかわいく見えた。


「水見さん、大丈夫だよ。管理棟の脇に自動販売機あったから」

「そう……だったんだ」

「うん」


 水見さんの顔から焦りというものが消えていく。そして、いつものポーカーフェイスに戻っていくが、どこかぎこちない。


「千冬さんたちはまだ起きてこないし、朝の散歩がてら買いに行かない?」


 俺の提案に水見さんは頷き、よく見ると口元が緩んでいた。

 それから、自動販売機まで手を繋いで歩いた。水見さんと千冬さんのために紅茶を、俺とヨシさんが飲む用にコーヒーを買いロッジに戻ってくる。

 ロッジに入ると、千冬さんとヨシさんが並んでソファーに深く腰かけていた。二人の姿を見て、水見さんと交わした今は秘密にしようと言う約束を思い出し、気を引き締め直す。


「アキちゃん、ハルくん。おはよう。朝から二人してどこに行ってたの?」


 千冬さんはちらりとこちらを見た後、視線を天井に彷徨さまよわせながら尋ねてきた。


「朝ごはん用に飲み物を買いに行ってたんですよ」

「それはありがとう。それより何か冷たい飲み物ちょうだい」


 千冬さんがぐったりとした声でお願いする。水見さんはキッチンに行き、コップにお茶を注ぎ、千冬さんとヨシさんに手渡す。二人はお礼を言いながら受け取ると、シンクロするように同時にぐいっと飲んで、一気に飲み干し、空になったコップをテーブルに置いた。そして、深くはああっ、と声を漏らした。


「お姉ちゃん、ヨシさん。朝ごはんどうする?」

「私はもう少し後で」

「俺も。まだちょっと食べる気にはなれないな」

「わかった。小寺くんは?」

「俺? 俺は先に食べようかな」

「うん。それなら、私も一緒に食べようかな」


 水見さんはうんうんと一人頷き、キッチンに戻っていく。その姿を見送ると、


「ハールーくーん」


 と、千冬さんに呼ばれる。「なんですか?」と、なんだか嫌な予感を感じながら千冬さんに視線を向けると、近くに来いと無言で手招きされる。それに従い、千冬さんに近づくと、千冬さんは突然ソファーに浅く座り直し、耳元で、


「アキちゃんと何があったの? 千冬お姉さんに隠さずに話してみ?」


 と、言われる。ゾクゾクッと寒気が走る。千冬さんはさっきまでぐったりしていたはずなのに、すっかりニヤニヤと楽しそうな表情に変わっている。悟られないように体を引き、


「何もありませんよ」


 と、答える。千冬さんは「本当かなあ?」と疑いと好奇の混じった目でじろじろと見てくる。動揺しないように千冬さんの後ろの壁を見つめ、黙ってプレッシャーを受け続ける。


「ハルくんは本当に素直じゃないから、かわいくないなあ」


 千冬さんは残念そうにため息交じりに話す。


「すいませんねえ」

「まだハルくんの表情は読めないのよねえ。アキちゃんやヨシくんならすぐに分かるのになあ」


 突然、降りかかってきた火の粉にヨシさんは顔を明後日の方に向け、無言でやり過ごそうとしているみたいで、千冬さんは横目でそんなヨシさんをロックオンする。


「ヨシくんはね、表情を読まれないようにしても、動揺したり隠したいことがあると、指をぐっと組んだり、貧乏ゆすりしたりするのよ」


 千冬さんに指摘された通り、ヨシさんは指を組んで貧乏ゆすりをしているわけで。千冬さんはそんなヨシさんをみて、からからと笑う。ヨシさんも釣られて困ったように笑う。笑い終えると、千冬さんはご機嫌な表情でヨシさんを朝の散歩に誘った。ヨシさんはそれを快諾し、二人仲良くテラスから砂浜に降りて行った。なんというか、ヨシさんのふところの深さには感服し、尊敬すらしてしまう。俺から見れば魔女みたいになんでも見通している千冬さんと付き合って、あんなにも平然としているのだから。

 しばらくすると、水見さんが二人分のフレンチトーストがった皿を手にキッチンからやってきた。


「お姉ちゃんたちは?」

「散歩に出かけたよ。そんなに遠くには行かないだろうし、すぐ戻ってくるんじゃない?」

「そう?」


 水見さんは皿をテーブルに置くと、キッチンに戻り、自分と俺の分の飲み物を手に戻ってくる。それを受け取ると、ソファーに腰かける。水見さんも隣に座り、並んで朝食を食べ始める。

 ひとくちかじると、ジュワっと内側から染み出す感じがたまらない。


「甘くて、おいしい」

「そう? よかった」


 水見さんもひとくちかじるも、首を捻っている。


「水見さんはなんだか不満そうだね」

「うん。最初から本格的なのは諦めてたけど、やっぱり漬け込みが足らない。あと味付けも思うようにできてなくて」

「でも、すごいおいしいよ」

「うん」


 水見さんの顔はまだ暗いままだった。料理に関してはこだわりが強いのかもしれない。


「帰ったら、またフレンチトースト作ってよ。今度は水見さんこだわりのマジなやつ」


 水見さんはこちらに顔を向け、何度も目をぱちくりさせる。そして、目を細め嬉しそうにほほ笑みながら、


「そうだね。また今度があるよね。期待してて」


 と、声を弾ませる。やっぱり水見さんは笑っている方がいい。そういえば、以前、千冬さんが水見さんには笑って過ごしてほしいみたいなことを言っていたが、今はその気持ちに心の底から同意する。水見さんに対してのことだけは千冬さんと意見が合いそうだが、それ以外は賛同したくないことの方が多そうだ。

 朝ごはんを食べ終わり、食後に俺はコーヒー、水見さんは紅茶を飲みながら、まったりしていると、千冬さんたちが戻ってきた。明らかに散歩前より顔色がいい。


「ただいま。体動かしたらお腹すいちゃった」


 千冬さんは気分よさげに口にする。俺と水見さんは二人にソファーを譲り、水見さんはテーブルの上を片付ける。


「お姉ちゃんたちも朝ごはんにする?」

「そうだね。アキちゃん、お願い」


 水見さんは皿を手にキッチンに消えていく。それを横目に自分もキッチンで水見さんの手伝いをするか、一旦部屋に戻って帰り支度を先にしようか、と考えながら立ち上がると、


「ハルくんはここにいなさい」


 と、千冬さんから待ったがかかる。


「どうしてですか?」

「ちょっとお話があるの」

「何ですか?」


 そして、恒例になりつつある千冬さんの手招きに従う。


「アキちゃんと、キスくらいはしたのかしら?」


 全てを見透かしたような笑顔で俺にだけ聞こえる音量で囁いた。ぎくりとしたのを悟られないようにゆっくりと千冬さんから距離を取る。


「何を根拠に?」

「否定しないんだ」

「いやいや。千冬さんがとんでもないことを言い出すから」


 千冬さんの表情は変わらない。こっちも表情を読まれないように口元を硬くする。


「さっきアキちゃんはハルくんの隣に自然に座ってたからね。いつもならアキちゃんは正面に座ると思うのよね」

「考えすぎですよ」

「そういうことにしておくわ。ところでハルくんさあ――」

「今度は何ですか?」


 千冬さんはじっくりとこちらを見つめ、


「私と連絡先交換しようよ。私、アキちゃんのお姉ちゃんだし。キミの“おねえさん”にもなりたいのよね」


 二回目を強調した理由は“お義姉ねえさん”とでも言いたいのだろう。証拠はなくとも千冬さんには俺と水見さんの関係の変化は看破されているのだろう。

 しかし、ささやかな抵抗として千冬さんの言葉にリアクションは取らず、ポケットからスマホを取り出し、連絡先を淡々と交換する。

 千冬さんは、「ほっんと、かわいくない」と頬を膨らましながらも、俺の頭をわしゃわしゃと撫でまわす。ヨシさんは聞き耳を立てていたのか、千冬さんの不満の声に合わせて、笑い始める。

 きっと水見さんは、自分がいないところで千冬さんとどんな話をしたのか気にするだろう。居酒屋のときと同じように。

 だけど、千冬さんとのスケールの小さな心理戦メインの戦いのあらましは、水見さんだけには今後も知らされることはないだろう。

 誰が好きこのんで、かわいい妹の特別な相手をいじって楽しんでいただとか、恋人の姉にわざと深入りさせないようにつれなく接しているだとか――わざわざ水見さんに冷たい視線を送られ、呆れられるようなことを話すだろうか。

 形は違うが、俺も千冬さんも水見さんが好きなのだから。


 だから今は、時期が来るまでは“春”と“冬”は表立っては協力も仲良くもしない。“秋”が一歩踏み出すその日が来るまでは、きっと今のまま牽制と軽口を続けていくのだろう。

 それは“春”にとっては負担が大きく、早く楽になりたいと心底思う夏の朝、フレンチトーストの焼ける甘い匂いが辺りを包み込んだ。

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