第26話 水見さんには話さない ①
「そんな水見さんだからゆっくりと惹かれて、好きになれた。同じ歩幅でどこまでも一緒に歩いていきたいと思えたんだ」
気が付いたら、自然と言葉が出ていて、水見さんに告白をしていた。
水見さんはさっきからこちらに顔を向けたまま固まっている。俺はこんなにも惹かれているのに、引かれてしまったかもしれないと背中を嫌な汗が流れるのを感じる。
「小寺くんは私のこと本当に好きなの?」
水見さんは大きな目を見開いて真っ直ぐに見つめてくる。その視線を受け止めながら、
「うん。好きだよ」
と、はっきりとした言葉で答える。すると水見さんの目から静かに涙が頬を流れ始める。その涙を水見さんはとっさに着ている服で
「ごめんね、小寺くん」
「それは何に対してのごめんね?」
「小寺くんから借りたパーカー……汚しちゃった」
とりあえずフラれたわけではないことにホッとする。
「いいよ。気にしないで」
自分の代わりに貸したパーカーが水見さんの涙をそっと拭っているみたいに思え、そのことが少しだけ嬉しかった。
「ありがとう、小寺くん」
そう涙を止められないまま笑う水見さんにはどこか既視感があった。それがいつだったか思い出せず、しかし、目の前の水見さんの揺れる瞳はとても綺麗で、無意識に首の後ろをさすっていた。
水見さんはそんな俺を見ると、なぜかくすくす笑い出した。
「なんで笑うの?」
「小寺くんは小寺くんだな、って思って」
「それは褒めてるんだよね?」
「そうだよ」
水見さんの涙はいつの間にか止まっていて、さっきからずっと顔には笑みが浮かんでいる。その顔を見ると、こっちもつられて口元が緩んでしまう。
「それで小寺くん」
「なに?」
「本当に私でいいの?」
「なにが?」
水見さんはふいに黙り込む。そして、ゆっくりと、
「私と……恋人になってくれますか?」
そう絞り出すように言葉を
何を言われたのか言葉を
「嫌……かな?」
と、不安が混じった声で水見さんが口にする。
水見さんといるといつもそうだ。水見さんに振り回されて、最後には水見さんの喜ぶ顔が見たい一心で。選択肢があるようで最初から答えの決まっている選択を迫られている。
「嫌じゃないよ」
「よかった」
水見さんの声にはもう不安の色はない。そして、水見さんの顔を真っ直ぐに見つめると、見たもの全てを恋に落としそうなほど魅力的で柔らかな笑顔を浮かべていた。
そのまま見つめ合ったまま、お互いの手がお互いの手を求め繋がり、引き寄せられるようにゆっくりと顔を近づけ唇を重ねた。
人生で初めてのキスは、柔らかい感触と甘い感情に包まれ、ゆっくりと口を離した際に
「酒くさっ……」
そうポツリとこぼすと、水見さんと至近距離で目を見合わせて笑った。
「お酒飲んでるからね」
水見さんは顔の横に飲みかけのチューハイの缶を持ってきて見せてくる。
「小寺くんもお酒臭かったよ」
「そう? まあ、今日はかなり飲んだからね」
そう言いながらも笑みがこぼれる。この残念さがいかにも俺と水見さんらしい。そういえば、最初の出会いも酒の臭いに満ちた部屋の中だった。
「小寺くんもお酒飲む?」
水見さんがチューハイの缶を小さく振る。缶の中で揺れる液体の音と、炭酸の抜ける音が聞こえる。さっきまで緊張の真っ只中にいたので喉は乾いていた。
「うん。飲みたい」
そう答え、水見さんと繋がっていない方の手でチューハイの缶を取ろうとすると水見さんにさっとかわされる。理由が分からずぽかんとしていると、
「私が飲ませてあげるよ」
と言うと、水見さんは缶に口をつけ、チューハイを口に含むと、ゆっくりと唇を重ねてくる。
完全に不意打ちの人生で二回目のキス。
水見さんの口からチューハイが注がれる。今までに飲んだどんな酒よりも一瞬で酔ってしまいそうだった。とても甘くて、濃くて。そのままどちらからともなく舌を絡ませる。
ゆっくりと唇を離すとつうっと唾液の橋がかかり、すっときれた。頭の中も心の中も、目に映る世界も水見さん一色だった。
水見さんはふいに顔を逸らしながら、
「ごめんなさい」
と、口にする。繋ぐ手がわずかに震えているのが分かる。
「どうして謝るの?」
「あの、私……今、とんでもないことを……」
きっとさっきの口移しからのディープキスのことだろう。ふいに冷静になり自分のしたことを意識して、恥ずかしさを感じているのだろう。俺も酒と雰囲気に酔っていなかったらキスもできないほどにチキンで、それは水見さんも同じなのかもしれない。
水見さんは依然として視線を合わせてくれようとはしない。水見さんが逃げ出さないように震える手を離さないように強く握る。
「いいんじゃないかな?」
「えっ?」
「だって、恋人同士になって嬉しくてテンション上がるのも分かるしさ」
「そう?」
水見さんはやっと目を合わせてくれる。
「それに、水見さんとその……キスしたりするのは嬉しいから」
「よかった」
水見さんの手から震えは消え、握り返す力が強くなる。そして、お互いに相手に酔っている俺と水見さんは確かめるようにゆっくりと唇を重ねた。
そのまま手を繋いで部屋に帰り、同じベッドで一緒に布団に包まる。
そのままお互いの温度を感じながら、眠りについた――。
朝、目が覚めるとベッドには一人きりだった。全てが夢だったのではないかと不安になってくる。
体をゆっくりと起こし、酔いのさめた頭で冷静になればなるほど、水見さんと恋人になったということに現実感がなさすぎて、夢の疑いが強くなる。
部屋を出て、ソファーのあるスペースまで来る。まだ誰も起きてないようで、人の気配がなかった。そのとき、カチャリと皿同士が触れる音が聞こえ、キッチンの方に視線を向けると、水見さんがいた。
俺が昨日、テラスで貸したパーカーを着ていた。水見さんはこっちに気付くと恥ずかしそうに顔を伏せる。キッチンに近づきながら、
「おはよう」
と、声を掛ける。昨日の記憶と感触が
「お、おはよう。小寺くん」
ちゃんと挨拶が返ってきたことにほっと胸を撫でおろす。しかし、何を話していいか言葉が見つからない。「今日もいい天気だね」ととりあえず間を繋ぐか、「今日も綺麗だね」と水見さんに恋人らしい言葉を
「小寺くん……昨日のあれは夢……じゃないよね?」
水見さんは不安そうに呟く。
「俺も起きた時そう思った。隣に水見さんいなかったから不安で」
「そっか。私は起きた時、隣に小寺くんがいて幸せすぎて夢じゃないか不安で」
なんだか同じようなことを思っていて、それがおかしくて笑ってしまう。
水見さんの正面に立ち、肩を優しく抱きながら、夢じゃないことを証明するためにキスをする。
「ほら……夢じゃない」
「そうだね」
水見さんは嬉しそうにほほ笑む。その顔があまりに綺麗で胸が苦しくなる。愛おしすぎると苦しくなるんだと、今現在、進行形の体験を通して初めて知った。胸を押さえながら声に出さず、
「大丈夫? 小寺くん」
と、水見さんが心配そうに声を掛けてくる。その声も覗き込んでくる顔を全てが特別なものに思えた。
「大丈夫じゃない。水見さんが好きすぎてやばい」
そう素直に吐露すると、水見さんは顔を真っ赤にしながら、
「小寺くんはずるい」
と、ぼそりと口にする。そして、視線を逸らしながら消え入りそうな声で続ける。
「私は小寺くんの目が見れないよ」
「どうして?」
「好きだから。目を見るだけでも胸が張り裂けそうなほど幸せで」
「なんか同じようなこと言ってる。相性も息もばっちり過ぎじゃね? 俺ら」
そう言うと、目を合わせないまま笑い合う。きっと本質的に俺と水見さんは似た者同士なのかもしれない。そして、表面的には全く逆で……だからこそ惹かれ合ったのだろう。
これから色々なことが変わるだろう。まず分かりやすいところは大学での水見さんの評価だ。きっと『氷の女王』という異名は
“秋”の氷は夏の間に“春”に完全にとかされてしまった。しかし、これからは誰の目にも触れることになる氷に閉ざされていた魅力を、ひとりじめしたいと思ってしまうのはわがままなのだろうか。
そんな“春”のわがままは、“秋”に話すことはない――。
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