エピローグ ① 水見さんと友人たちとのそれから

「ところでさ、この酒の山なんだけど、どうする?」


 海への一泊二日の小旅行に行った翌日、譲り受けた酒を前に水見さんに尋ねる。

 小旅行に持って行ったのが、一箱二十四本入りのビールを二箱、レモンチューハイが一箱だった。そして、目の前にはビールとチューハイがそれぞれ一箱ずつ八割程度残っている。

 俺と千冬さんとヨシさんの三人はほぼビールのみを飲み続け、チューハイは水見さん以外はほとんど手をつけなかった。冷静になって余りから逆算すれば、水見さんを除く三人は一人につき十本前後飲んでいたことになる。単純計算で五リットルとかふざけている。


「どうするって、少しずつ飲むしかないよね?」

「そうだよなあ。お酒代も浮くし、いいことなんだけど――」

「何か問題あるの?」


 水見さんは隣で首を傾げる。


「いやね、俺はもともと焼酎とか日本酒が好きなのよ。ビールもいけるけど、ビールばかりというのもね」

「そういうものなの?」

「まあ、好みの問題だよね。それに俺はチューハイあんまり飲まないから、あの量を水見さん一人で飲むってなったらいける?」

「それはちょっときついかも」

「もし一日二本飲むとしても、一週間はかかりそうだよね」


 水見さんも困ったという表情に変わる。誰かに飲むのを手伝ってもらえば、一気に数も減らせるというものだ。そう誰かに――。


「ちょっと提案なんだけどさ」


 水見さんはこちらに顔を向けながら、「なに?」と話の続きを促す。


「今度、ここに人呼んで飲み会しない?」

「お姉ちゃんやヨシさん呼ぶの?」

「それもいいけどさ、別の人でもいい?」

「誰?」

「俺の友達の市成いちなり浩輔こうすけ川村かわむら真也しんや


 水見さんは首を傾げる。きっと誰か分からないところからスタートし、そう言いだした理由を探しているのだろう。


「二人は大学でよく一緒にいる特に仲のいいやつらで、川村はほら最初水見さんにカレー作ってもらった時に話したことあるでしょ? 強面の背が高い――」

「究極のスープカレーの人?」

「そうそう。で、市成はどう説明したらいいか……」


 市成は身長や体型、他にも髪色や髪型など目立った特徴はなく、雰囲気イケメンだが、クラスに一人はいそうなそれなりに整った顔立ちのやつで。性格のよさは保証できるが、それを今話したところで意味がない。

 どう説明しようかと困っていると、水見さんがくすくすと笑いだす。


「大丈夫。きっと顔見れば分かるよ」

「そうなの?」

「うん」


 水見さんは楽しそうに頬を緩ませる。本当に嫌なら遠慮なく断るだろうし、そうじゃないということは水見さんの中で問題なしと判断されたのだろう。


「それでさ、俺からはさっき言った二人を呼んで飲み会をしたいんだけど」

「いいと思うよ」

「水見さんは誰か呼びたい人いる?」

「私は……私はお姉ちゃんくらいかな。でも今回は、なしなんでしょ?」

「できれば」

「わかった。それじゃあ、その飲み会の日は私はお姉ちゃんのところに行ったほうがいいよね」


 水見さんはそう言いながら、続けて「いつにするの?」と話を進めようとする。


「そうじゃなくてさ、水見さんも一緒にいてくれない? 飲み会に」


 水見さんは、「えっ?」と驚きの声をあげる。


「どうして?」

「二人に水見さんを紹介したいんだ。その……恋人として。ダメかな?」


 水見さんは髪の毛の先に触れながら目を伏せてしまう。そして、大きく息を吐いて、


「ダメ……じゃないよ。私は小寺くんの、恋人……だもんね」


 と、今にも消え入りそうなほど小さな声で言う。


「うん。そうだよ。かわいい彼女を親友に自慢がてら紹介したいんだよ。そのついでに、この大量のお酒を飲んじゃおうって思ったんだ」

「かわいい……彼女?」

「うん。かわいい彼女」


 水見さんはさらに俯いてしまう。垂れてくる髪の毛を耳に掛け直すが、その耳は真っ赤になっている。それがかわいらしくて、いつまでも見ていたくなる。


「わかった。じゃあ、その時の料理は私が作るね」

「ありがとう。じゃあ、その日は買い物も一緒に行こうか?」

「うん」


 水見さんは顔を上げ、こちらが照れてしまいそうなほど嬉しそうな顔で頷いた。


 それからすぐに市成と川村に飲み会をしようと誘う。夏休みということもあり、意外にあっさりと日程の調整がついた。

 川村と市成には俺の部屋で三人で家飲みをしようとしか言っていない。水見さんの存在は二人にしてみればサプライズというわけだ。


 飲み会の当日。昼過ぎに水見さんをバイト先に迎えに行き、そのままスーパーで買い物を一緒にして帰った。

 集合時間は夕方ごろというアバウトさで、水見さんは二人が揃うまで一旦自分の部屋に隠れてもらい、飲み始める前に紹介しようと思っていた。あの二人にとっては、異性と話すということ自体ハードルが高いのに、さらに相手が水見さんともなると難易度は跳ね上がる。最近、水見さんの表情などが柔らかくなったと思うが、それが自分以外の人の前だとまだ少し不安が残る。以前のような『氷の女王』の片鱗へんりんを見せるようなことになれば、市成と川村は異性に対して恐怖心を抱くことになりかねない。

 しかし、上手くいけば水見さんに同年代の理解ある友人ができるかもしれない。

 まあ、正直なところ水見さんと恋人になった以上は、市成と川村に隠すのが面倒でそれ以前に隠す気もなかったのでさっさと公認の仲にしておきたかった。

 部屋に戻るとキッチンで並んで料理を用意した。俺は邪魔にならないように洗い物や皿を出すしかできないが、相変わらず水見さんの手際の良さは見ていて気持ちのいいものだった。

 しばらくすると、部屋にインターホンの音が響く。音の違いから、部屋の前からじゃなくアパートの玄関口から鳴らされていることが分かるので、部屋に備え付けられているモニターから応答する。


「はい」

「よっす、小寺」


 カメラには市成が映っている。


「市成だけか?」

「いや、川村もいる」


 川村が市成の横から、「おっす」と顔を見せる。二人の顔を確認して、


「とりあえずあがれよ」


 と、言いながらオートロックを解除する。二人一緒に来るのは都合がよかった。水見さんに、


「二人とも一緒に来たみたい」


 と、話しかけると、水見さんは緊張してきたのか顔が強張ってくる。


「どうする? 急いで部屋に戻った方がいいのかな?」

「二人一緒だし、こっちにいなよ。そうだな、バスルームに隠れたら?」

「わかった」


 水見さんにバスルームに入ってもらい、扉を閉める前に、


「そんなに緊張しなくていいよ。いつも通りでいいんだ」


 と、笑いかける。水見さんは表情硬く「うん」と頷くのみだった。大丈夫かなと少し心配になる。

 それからすぐに市成と川村は部屋にやって来た。部屋のインターホンは鳴らさず、玄関の扉を開ける。


「よっす、小寺。つまみ買ってきたぞ」

「サンキュー。で、川村と一緒に来たの?」

「いや、そこのコンビニでばったり。なあ、川村」

「そうそう。今日は酒は買わなくていいって話だったけど、とりあえず一本」


 市成は適当にジャーキーなど数種類買ってきた。川村はなぜか日本酒を持ってきていた。


「なんで酒買ってくんだよ。今日はこっちで用意するって言ったろ?」

「そうだけど、まあいいじゃん。どうせ途中に買い出し行くんだろうし」


 部屋に入ると、開口一番で市成が「お前の部屋こんなに綺麗だったっけ?」と口にし、川村は「料理まで用意してるとか気前いいじゃん」とテーブルに並ぶ水見さんの料理に目を輝かせる。

 そして、二人そろって、「で、酒は?」と尋ねてくる。

 そんな二人にキッチンの冷蔵庫を開けて見せる。中にはチューハイを中心にビールも入るだけぎっちりと入れている。そして、無言で冷凍庫も開ける。そこにもビールが入っている。


「はあ? 何これ。どうしたんだよ」


 市成が驚きの声をあげる。川村は、「よく見ると箱にまだ残ってんじゃん」と目ざとく箱を見つけ中を覗き込む。


「この前さ海に行って、その時に余った酒貰ったんだよ」

「いつ行ったんだよ? てか、誘えよ」


 川村は不機嫌そうな声で言う。


「お盆の終わり。まあ、急だったし誘う余裕もなかったんだよ。悪いな」


 川村は文句を言いながら冷えたチューハイを取り出し、市成にもビールを渡す。俺には渡してくれなかったので、自分でビールを冷蔵庫から取り出す。先に座っていた市成がビールの缶のタブを開けながら、


「とりあえず、乾杯しようか?」


 と、提案してくる。川村も「そうだな」と一気に飲むモードに突入する。


「その前にちょっといいか?」


 場の空気を乱すと分かりつつ、乾杯を止める。市成と川村の注意がこっちに向く。


「なんだよ、小寺?」

「もう一人、呼んでるんだ」

「誰? 先に始めて問題あるのか?」

「シラフのときにちゃんとお前らに紹介したいんだよ」


 そういうと二人はしぶしぶといった風に酒をテーブルに載せる。


「で、もう一人はいつ来るんだ?」

「実はもう来てるんだ」


 二人はばっと辺りを見回し、川村はベランダにまで視線をやる。それを見つつ、ゆっくりと後ずさりする。バスルームの扉を開けながら、「出てきて」と水見さんを呼び込む。

 水見さんは硬い表情をしているが二人から見れば、いつも遠目に見る『氷の女王』が目の前に現れたに過ぎない。そして、二人は口と目を大きく開けてぽかんとしている。それもそうだ。逆の立場なら俺も同じリアクションを取っている。

 ようやく、正気に戻った市成が、


「どうして、水見さんが……ここに?」


 と、尋ねてくる。川村も無言で何度も頷いて、市成の質問に自分の疑問を重ねているようだった。水見さんはというと俺の後ろに隠れるように立ち、シャツの裾ををつまんで黙り込んでいる。最近の水見さんに見慣れてきていたので、今の水見さんは久しぶりに見る気がする。


「こちら、恋人の水見秋穂さん」


 市成と川村は一瞬動きを止め、「はあああああああ!!!!!?」と驚きの声をあげる。


「いやいや、冗談だろ?」

「まじで」

「いつから?」

「付き合いだしたのはお盆の終わりくらいから」

「じゃあ、さっき海に行った相手って言うのは?」

「うん。水見さんと、水見さんのお姉さんとその彼氏さん」


 再度二人はフリーズする。急な情報に頭が追い付かないらしい。


「それでなんでこのタイミングで?」

「お前らに最初に紹介したかったんだよ。友達として」

「それで?」

「それだけ」

「自慢か?」

「自慢したら悪いか? すっげえ美人だろ?」

「それはそうだけど」


 矢継ぎ早の川村の質問に答え切る。


「それで大学とかで俺らと一緒に水見さんも加わるかもってこと?」

「そうなれば俺はいいなと思ってるけど」


 市成はため息をつく。


「わかったよ。とりあえずはおめでとう。水見さんの前で悪いけど、俺はてっきりさ、彼女って紹介されるなら、試験後の居酒屋で飲んでるときに見せたお前と歩いてた写真の人だと思ってた」

「いや、その人だけど?」

「あれ? お隣さんだって言ってなかったか?」

「だから、そのお隣さんが水見さん」

「まじで? 水見さん、ここの隣に住んでるの?」


 市成は俺の後ろの水見さんに視線を向ける。同じように体を捻って水見さんを見ると、静かに頷く。それを見て市成がまじかよって笑いだす。

 川村はまだ表情をこわばらせていて、


「まあ、小寺と水見さんが付き合いだしたのはいいけどさ、そろそろ立ってないで座ったらどう? いつまでも立ってられたら、落ち着かないって」


 と、口にする。水見さんと並ぶように座る。それを確認して、川村が、


「それで水見さん。ちょっと聞きたいことが」


 と、尋ね、水見さんは「なに?」と抑揚のない声で尋ね返す。


「小寺なんかのどこにれたの?」


 川村はいつになくシリアスに尋ねる。「ちょっ、お前!」と間に入ろうとするも、市成に後ろから羽交い絞めにされる。市成も「俺も聞きたい。よかったら教えてよ」と、暴れる俺を押さえながら催促する。

 水見さんはその一連のやり取りを見て、目を何度かぱちくりとさせ、口の端を薄っすら上げる。


「一番は優しいところかな。そして、ありのままの私を受け入れてくれて、ずっと隣を一緒に歩いていきたいって思えるそんな人だったから――」


 水見さんは静かにはっきりと口にする。言い終えるころには、自然と笑顔になっていて、そこにいる誰もが見とれ、言葉を奪われる。水見さんはその中で楽しそうな目で俺の目を見つめてくるので、もう大丈夫だなと確信が持てた。


「お前、どんだけ愛されてるんだよ? ふざけんなよ」


 市成は羽交い絞めからスリーパーに移行し、首を腕で軽く締めてくる。川村も「そうだそうだ。市成、そのままもっとやっちゃえよ」と止めずに笑う。水見さんまでも肩を揺らしながら笑いだす。


 それから、改めて飲み会を開始する。水見さんの料理に舌鼓を打ちながら、次から次へと空き缶の山を作る。

 市成と川村にとって今日の酒の一番のさかなは俺と水見さんの話のようで、根掘り葉掘り詮索され、酒が入り口が軽くなった水見さんが答えれる範囲で全て答えていた。そして、水見さんと話すことに慣れた二人も俺の絡むおもしろエピソードで対抗しだし、俺だけが何を言われるのかドギマギして、どんなに飲んでも酔えなかった。

 途中、精神的に持たないと感じて、こっそりベランダに避難した。市成と川村は相当酔いが回っていたので、きっとすぐには気付かない。しかし、水見さんだけはすぐに気付いて追いかけてきた。


「小寺くん」

「どうかした?」

「今日はありがとう。二人ともいい人だね」

「そうだね、本当にいいやつらだと思うよ」

「小寺くんと会って、付き合ってなかったら、こうやって同級生と集まって騒ぐっていうのも経験できなかった」

「そう? でも、川村は浪人してるから年齢は一つ上なんだけどな」

「そうなの?」


 水見さんは驚いた表情を浮かべ、すぐに頬を緩め楽しそうに笑う。その笑顔を見るだけで嬉しくなり、一緒になって笑う。水見さんはそのまま俺の顔を見つめながら、


「小寺くん、本当にありがとう」


 と、今日一番の笑顔を向けてくる。その笑顔を見つめながら照れてしまい、首の後ろをさすってしまう。


「私は小寺くんの恋人になれてよかった。こんなにも幸せで、楽しくて――」


 水見さんは俺の手を取り、胸のあたりでぎゅっと両手で包み込む。


「私は小寺くんが大好きだよ」


 水見さんの気持ちを真っ直ぐに受け止め、「俺もだよ」と返し、見つめ合いながら笑みをこぼした。

 ふいに視界の端に映る酔っ払いの野次馬に戻ってからどう反撃しようかと考える。だけど、今回は水見さんの笑顔に免じて、見逃そうと決める。

 まだ冷蔵庫にはたくさん酒が残っている。二人には今日のお礼に好きなだけ飲んでもらおうと決めた。決して在庫処分などではなく、お礼として。

 そして、記憶のなくなるまで飲んでもらい、起きた時に二日酔いの中でいいことが起こりますようにと、少しの嫌がらせを込めて、ベランダから見上げた夜空に祈ることにした――。

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